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熊本市のフードパル熊本内にある障がい者就労支援事業所です。事業所内での悲喜交々の活動をご紹介しています
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重い障害のある我が子を託していく人たちとともに考えたいこと[2020年01月13日(Mon)]
きょうされんの安居楽業ゼミナールに参加してきました。本来なら、12月20日から参加したかったのですが、仕事の関係で21日のみの参加となりました。
しかしながら、児玉さんのお話をどうしても聞きたくて、参加できました。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事でもある児玉真美さんは、今回「殺す親 殺させられる親」を5年ぶりに本を書かれました。今回のテーマも〜親が「殺させられ」ないために〜が副題に挙げられています。
尊厳死、意思決定、地域移行。
言葉はきれいなのかもしれません。
児玉さんは、「アシュリー事件」重症心身障害児アシュリー(当時6歳)に行った医療介入。
@子宮摘出 A乳房切除 Bホルモン大量投入による身長抑制。
これは、倫理論争に広がった事として、ピーター・シンガーの発言として、紹介されました。
「人間の乳児よりも知的機能の高い犬や猫だって我々は尊厳を認めない」
「生後3か月の赤ん坊は可愛いと思うが、尊厳があるとは感じない。長じて身体が大きくなっても知的レベルがそこに留まる人についても、私の感じ方は変わらない」
衝撃なお話でした。
現在、相模原障害者殺傷事件の裁判が行われていますが、世界では既に起こったことであることを私たちは、知らなければならないと感じました。
いつの間にこのような怖い世界になったのでしょうか?

コントロール幻想。
例えば、遺伝子検査で「いのちを選別する時代」です。陽性の判定がでれば90%が中絶。着床前全ゲノム読解遺伝子スリーニング。
圧倒的な技術力を背景にグローバルな市場原理に委ねられ、見えにくく、コントロールが及びにくいところで進んでいく命の選別と切り捨て。
児玉さんは、死ぬ原理議論から、安楽死に関する各国の現状を通して、介護実績を免罪符に家族に「殺させる」社会に移行しているのではないか?
と、疑問を投げかけられ、意思決定は、点の問題ではなく、手前の線である時間の経過にあるのではないか!と訴えられました。つまり、生きる(治療)に値しない人での選別の怖さ。根っこは同じで、新優生思想であること。
日本の病院会でも尊厳死について議論が進んでおり、既にシステムとして広がっている事を話され、大切な事は、「できた人」たちから学ぶ能力主義できない人からその弱さを責める個人モデルではなく、なぜ「できないのか」を学ぶ拠点が必要だということ。
現在の「地域移行」は、支援なき地域と家庭にいき、「共生社会」は公助ではなく自助・互助・共助へ移っている事を指摘し、それは「強い者(殺す者)」としての家族「弱い者(殺させる者)」としての家族を生むことにつながるとお話されました。
私たちは、この学びを通してどのような支援が家族や当事者から求められているのでしょうか?
日常的なケアという「線」のところでその問い返しが積み重なっていて、「本人の最善の利益」の検討や「意思決定支援」「共同意志決定」が必要だということ。
多くの家族が老いて疲弊している中、親からケアラーへそして、「支援を必要とする人」へ移っていく中、私たちは、ケアラー支援という視点も持ちながらの活動が求められている事を実感しました。
親なき後とは… 
親にとっては「それより前の問題」であることを私たちは、常に感じながら、親としては、「非力な我が子を託して逝けるだけ、社会を!人間!を信頼する事ができない」と感じられている事を覚え、親も私たちも「殺させられようとしている者」が、「親に殺させるな」「地域に殺させるな」の社会実現に向けて、ともに歩まなければならない。その為には容易に分断されない力を持っていかなばならないと感じたところです。