(追記:碑文にまつわる寄稿を紹介)
2017年11月25日(土)〜26日(日)、糸魚川市内3か所の
「ゆりかご」を、定期巡回しました。「いくみ病院」=いくみ保育園は、いつも大雲寺(曹洞宗)の山門をくぐっての定期巡回です。11月25日は患者様の受付はなかったのですが、代わりに、お寺の庭に立つ大きな石碑について報告します。
加
奈
志
比 美
止 止
夜 言
野 閉
雨 度
野 波
布 留
利 計
金 寸 志
原 岐 今
志 仁
省 古 志
吾 止 手
碑文は 金原省吾(きんばらせいご)先生の筆。
原文の万葉仮名を現代文に書き直しますと 、短歌であることが分かります。
悲しみと言えど遥けし今にして
ひと夜の雨の降り過ぎしこと
昭和期のアララギ派歌人にして帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)教授の碑が、
なぜ此処(大雲寺)にあるのでしょうか? それは・・・、
大雲寺塾のこと
昭和22年当時、大雲寺の若き住職は若者の向学心を受けて、新潟大学の高田分校主任教授だった 金原先生 を招聘して、ここ大雲寺で自主夜学「大雲寺塾」を作りました。
1か月に連続6日間の夜間学習に通い、半年〜1年間で卒業し、以後も研究生として勉強できたそうです。
その塾長として、糸魚川(西頚城郡)における 戦後教育の礎 を築かれた 金原先生 を顕彰する石碑なのです。
何と、ToyDr.わたなべの亡実父は「大雲寺塾」第二期卒業でしたので、この 金原先生の石碑 を見るたびに、身が引き締まります!
(※'21/4/4 追記)つい先日、父が生前に寄稿した文集の中に碑文にまつわる記述を発見、
「大雲寺塾」塾生目線での思い出が熱く語られていました。
今の住職(=園長先生)も、先々代からの「お寺は地域と共にあれ」という思いを、現代に引き継いでおられます。
おもちゃクリニック ゆりかご に、
一番最初に お声掛けいただきました。
感謝を込めて、技術研修の成果
「ゆりかご編オルゴール」をプレゼント。