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いよいよ来月!JYFAが北海道に初上陸! [2013年07月31日(Wed)]

皆さん、来月19日は何の日かご存知ですか?

聯誼協会の会員さんはご存知ですよねexclamation&question
全国の雲南ファンの皆さんも、知らないと損しちゃいますよexclamation

819日、北海道は札幌市のサッポロファクトリー・アトリウムで、
写真展「笑顔を君に」特別展が始まるんですダッシュ(走り出すさま)

これまで全国各地で計12回開催し、常設展もあわせると13000人以上の方にご来場頂いた、あの笑顔を君にが満を持しての北海道初上陸ですわーい(嬉しい顔)

本番まで1ヶ月を切った昨日、東京本部事務局では、準備の大詰めとなる写真選定作業が行われました。



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イベントや写真展のプロフェッショナル(!?)ボランティアが大集合!

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ヤング瀧澤さん(右)は今回の写真展のボランティア募集を見ての初参加。
実は、若くしてプロのカメラマンでいらっしゃいますカメラ
ベテランボランティアリーダー・シニア滝澤(中央)とのタッキーコンビ、ここに誕生!


今回出展する写真は60点余り。
どれもこれも、13年間の活動を通して出会った、「本当の雲南」の姿を切り取ったものです。

もちろん雲南の鮮やかな民族衣装の数々や、活動を紹介するパネルもご覧頂けますよ〜グッド(上向き矢印)

そういえば、最近民族衣装のコレクションも増えまして、その数20種類以上揺れるハート
写真展当日は、地元北海道の大学生ボランティアたちが衣装を着て、会場に華を添える予定ですかわいい

実は今回の写真展が、何を隠そう協会として初めての北海道上陸。
13年の歴史で初めて、北海道でイベントを開催します。

企画が持ち上がった当初は、右も左もわからず、ボランティアさんの当てもなく、何もかも手探りでした。それが本当に本当に数え切れないほどたくさん方のご協力を得て、いよいよ実現間近というところまできましたぴかぴか(新しい)

ご協力くださった全ての皆さまのご期待を裏ぎらぬよう、そして北海道・札幌の皆さんに鮮烈な記憶を残せるよう、素晴しい写真展にしたいと思いますダッシュ(走り出すさま)


全国巡回写真展「笑顔を君に」札幌特別展、どうぞお楽しみにexclamation×2



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■日時:2013年8月19日(月)〜23日(金)10時〜18時※スタッフの駐在は18時まで
■会場:サッポロファクトリーアトリウム  
■入場料:無料
■主催:認定NPO法人日本雲南聯誼協会
■後援:中華人民共和国駐札幌総領事館、札幌市、札幌市教育委員会、JICA北海道(札幌)
■協賛: サッポロホールディングス(株)、サッポロ都市開発(株)、JR北海道、JR総連、JR北海道労組、北海道日中友好協会、(株)技術評論社

※8月19日11時よりオープニングセレモニー開催!入場無料、どなたでもご参加いただけます。


雲南支部 夏季インターンシップが始まりました! [2013年07月26日(Fri)]

みなさまこんにちは晴れ
全国各地で、猛暑と突発的な雨が続いていますが元気でお過ごしですか?
さて、協会昆明支部では恒例のインターンシップが始まりましたexclamation×2
一週間、昆明支部で協会の仕事を体験した学生の感想をご紹介致します目
ちなみに、于瑋さんは、昆明支部の活動を日頃からお手伝いしてくれている大学生ボランティア「雲日国際大学生協力会」の初代代表をつとめてくれていますかわいい
また李マさんは、25の小さな夢基金「春蕾クラス」の「未来を創る」フォーラム内大学生日本語スピーチコンテスト(6月30日開催)にも参加してくれた意欲あふれる学生です黒ハート

ぴかぴか(新しい)以下、インターン参加学生の感想ですぴかぴか(新しい)

于瑋
インターンシップが始めるからもう一週間になりました。時間の経つのが速いと思います。この一週間で、様々なことを勉強になりました。バスで通うのが苦手ですが、不思議なことは今だんだん慣れています。午後の5時間もそんなに長くないと思います。やはり仕事は学校の勉強と違い、細かいところまで考えなければならないことがいっぱいあります。本場の職場で自分が学んだ日本語を使うことがとても簡単とは言えません。そして、自分が正しいと思った日本語は本当は間違ったものです。普段はあんまり使わないエクセルやワードなどの使い方も大事だと知っていました。綺麗なファイルを作れば、相手も分かりやすいです。中洲さんがいろいろ教えてくれて、間違いを直してくれて、本当にありがとうございました。来週のインターンシップも頑張ります。


殷維維

一週間のインターンシップで、職場の人として体験させます。学校の生活とぜんぜん違いますし、いいところがあります、不便なところもあります。要するに、感触が多いです。
 朝、7:30に起きるのは、私にとって、大丈夫です。学校に普段この時間よりもっと早いからです。でも、昆明の交通は込んでいますし、とても不便だと思います。私は今後に、毎朝早く起きてバスを乗り込めるのが連想しました。本当に大変だと感じます。
 しかし、毎日新しいものを習いました。たとえば職場マナーとか、仕事のやり方とか、考え方などです。そして、四人間の協調性も大切だと思います。自分一人の力は小さいです。四人一緒にすれば、もっと早く仕上げリました。最後、中洲さんを感謝します。私たちにいろいろな指導してくれてありがとうございます。
 要するに、この一週間には充実で楽しいです。


唐亞玲
7月22日から日本雲南聯誼協会でインターンシップしました。学校に勉強時全然違うな感じです。毎日も異なる仕事をして、違う分野のすギールを練習して、自分の足りないところを補いました、達成感を感じます。雲日国際大学生協力会の組織作る時、、一緒に規則、活動などについて検討しながらファイルを完成しました。、于さんが素晴らしい自分で規則などを完璧に書いて感心します。毎日、バースがいつも込んでいて大変ですが、優しな中洲さんが仕事について手伝ってくれ、みなさんとお互いに交流する時いい考えが湧き出して楽しいです。日本語の勉強は限りがありません、引き続き勉強したいと思います。

李マ
雲南連誼協会でインターンシップできるのがとても楽しかったです。初めての一週間は毎日忙しいですが、充実です。そして、中洲さんはすごく優しいし、いろいろなことを教えていただき、日本語だけではなく、オフィスソフトもいろいろいい勉強になりました。一番難しい部分というと、企画書の書くことだと思います。初めて書くので、いろいろ足りない所があります。でも、皆一緒に工夫して、解決しました。アンケート集計の仕事でチームワークの大切さをしみじみ感じました。今週のインターンシップを通じて毎日少しずつ上がるようになってきますので、本当に嬉しいです。一人前の社会人になるように頑張りましょう。

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小さなカメラマンプロジェクト ブログ写真展その14 [2013年07月23日(Tue)]

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「学校生活の一場面」(藤誼小学校)

こんにちは晴れ ボランティアのかのアートです。
さて、本日は雲南省の子どもたちが使い切りカメラで撮影した写真をブログで公開する「ブログ写真展」第14弾! 今回は、ボランティアの攸萍さんのご協力で実現した「藤誼小学校」の新作写真をご紹介します。

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「私の親友」

〈学校が変われば、写真の雰囲気もがらりと変わります。「小さな壁新聞プロジェクト」でお届けした、千葉県南新浜小学校の壁新聞を背に、仲良しの友達とハイチーズ〉

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「がんばろう、美化運動」

〈日本の小学校では当たり前のようにあるゴミ箱ですが、雲南省の小学校では実はちょっと珍しい光景です。ゴミはゴミ箱へ。さすがは「100万回の手洗いプロジェクト」に参加していた小学校。衛生観念がしっかりと育っているようです〉

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「我ら文明班級」

〈子どもたちが誇らしげに掲げているのは、優秀なクラスに与えられる「文明班級」の旗。これは子どもたちが、一生懸命勉強をした証。とっても嬉しそうですね〉

次回は、「木杆林区小学校」の写真をご紹介します。どうぞお楽しみにひらめき

●「小さなカメラマン」&「壁新聞」最新ニュース
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たくさんのボランティアの皆さんのご協力のもと、麗江ナシ族の小学校「后山小学校版」の壁新聞がついに完成しました! 日本の小学校には、夏休みが明けてから届けられる予定です。その後、webサイトでもアップする予定ですので、どうぞ子どもたちの力作を楽しみにお待ちください!

(ボランティアかのアート

「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートE [2013年07月22日(Mon)]

6回にわたってお送りしてまいりました25の小さな夢基金「卒業式ふれあいの旅」レポートは、本日が最終回です。前回の記事はこちらからご覧頂けまするんるん
昆明女子中学春蕾クラスを卒業したばかりの2人と訪れた故郷・シーサンパンナぴかぴか(新しい)二人の育った村を歩き、家族や親戚にも会い、お話を伺うことも出来ました目自家製の白酒(バイジュー)で乾杯もしました手(チョキ)
そして二人がどれほど大きな期待を背負い、故郷から遠く離れた昆明で日々頑張っているのか、痛いほど分かりましたぴかぴか(新しい)
二人に別れを告げ、一行は昆明へと戻ります…
飛行機

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午前の便でシーサンパンナへ戻った私たち。早いものでもう今日が最終日です。
熱々の過橋米線で昼食を済ませ、休む間もなく街へ散策に出かけました。
何度も昆明を訪れている会員の皆さんも、日々めまぐるしく変化する昆明の街の変わり様に驚きを隠せません。
たった3ヶ月で、前あった道がなくなっているのですから。


おみやげ物屋が並ぶ老街(古い町並みを残した通り)で協会のイベントの際使用する民族衣装を買い込み、皆でぶらぶらと買い物をしたあと、市内にあるファストフード店「徳克士(dicos)」で休憩をとりました。

旅の2日目に参加した春蕾クラス卒業式後の交流時間、協会名古屋支部支部長近藤釼一さんが生徒たちに「夏休みはどうするの?」と聞いたところ、
「故郷に帰ります。」と答える生徒の中に一人、「徳克士(dicos)でアルバイトをします。」と答えた生徒がいたそう。ペー族の李喬秀さんです。
なぜ故郷にすぐ戻らずアルバイトをするのか、その理由は尋ねるまでもありません。
徳克士(dicos)で喉を潤しながら、「まさか、李喬秀さんが働いている姿を見られたりして」と、半ば冗談で盛り上がっていると、一人の小柄な店員さんが礼儀正しく背筋を伸ばし私たちのテーブルの横に立って、少しはにかみながら中国語で話し始めました。
「皆さん、すみません。私は近藤先生にご支援を受けていた春蕾クラスの生徒です…」
あまりの偶然に、全員が顔を見合わせて大喜び。
春蕾クラスを3日前に卒業したばかりの李喬秀さんだったのです。
何を隠そう「徳克士(dicos)」は昆明市内の至る所に店舗を構えるチェーン店なのですから、偶然なのか運命なのか...
卒業したばかりの春蕾生が社会に一歩足を踏み出し、懸命に働いている姿に遭遇できたことは、言葉では言い表せない喜びでした。
改めて彼女にエールを送り、一行は店をあとにしました。


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李喬秀さんと、「日本のお父さん」近藤釼一さん
 

夕方からは、昆明支部特命支部長の平田栄一さんに連れられ、
昆明の芸術家たちが暮らす「LOFT」と呼ばれる集合アトリエで、画家の胡俊先生と奥様にお目にかかりました。
昆明の街中からバスで15分ほど行った場所にある「LOFT」はアンティークな雰囲気と洗練されたモダンな雰囲気が調和したとてもおしゃれな建物。
昆明の賑やかな街の喧騒から身を潜める様にひっそりと建っていました。
ここでは、外国人を含む芸術家たちのアトリエが集まり、共に活動をしているそうです。
芸術家として強い意志を持っていらっしゃる胡俊先生のお話を伺いながら、雲南省の様々な場所で描かれた雄大で色鮮やかな美しい作品に触れることができました。
その晩、回族レストランでの最後の夕食会には、胡俊先生ご夫妻と、胡俊先生のお話を同時通訳して下さった雲南大学外国語学院の張麗花副教授もご参加。


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「LOFT」は、昆明にこんなおしゃれな場所があったのか、と驚くほどの素敵な建物です


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胡俊先生は、昆明では非常に有名な画家でありながら、とても気さくで、主に雲南省の各地を描いたご自身の作品を惜しみなく見せてくださいました


レストランにはもう一人の素敵なゲストの姿がありました。
2010年協会創立10周年記念式典の際に日本へ来たこともある春蕾クラス卒業生、ヌー族の劉慧娟さんです。
雲南民族大学に通う彼女は、試験中にも関わらず喜んで夕食会へ参加し、故郷に住むお母さんが織ったヌー族伝統の布を私たちに持ってきてくれました。
春蕾クラスを卒業して1年、改めて劉慧娟さんに春蕾時代の生活について聞いてみました。
「同級生はみんな田舎から出てきて、山も川もない大都会昆明での生活は初めはとても辛かった。毎日夜になれば泣きながら家族に電話してたの。でも、みんな同じ境遇で頑張ってるから、新しい家族ができたみたいに心強くて…だんだん楽しくなってきたんです。」
「大学に入れば、クラスにはものすごくお金持ちの家の子もいれば、私みたいな子だっている。日本の大学生は一人一台パソコンを持ってるんですか?信じられない。テレビを見るのも、食堂に行かなくちゃ見られないんですよ。」
志望する大学に進み法学を学んでいる劉慧娟さんは、そう話しながらも「いつか外国に行きたいんです。」と目を輝かせていました。
その日午後からの試験に向けて、先輩のお下がりの教科書を懸命に読む彼女が少し頼もしくもありました。


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初鹿野理事長はじめ、会員の方の多くが劉慧娟さんとは2年ぶりの再会。年に1度こうして成長した姿にまた会えることが、最高の喜びです



かわいい「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポート おしまいかわいい


来年の「夢基金卒業式の旅」でお会いできることを楽しみにしています。
生徒たちへの応援、引き続き宜しくお願いします黒ハート
昆明の街が15年ぶりの大洪水! [2013年07月19日(Fri)]

昆明は今、大変なことになっていますexclamation

昨日夜、雷と大雨の音で目が覚めました雷台風
するとなぜか部屋の中に干していた洗濯物が水浸しで、水道管からは今にも破裂しそうな、不吉な音が・・・ふらふら

朝、一晩降り続いた豪雨の結果、昆明はなんと街の半分が水に沈んでいましたがく〜(落胆した顔)


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昆明の東と西を繋ぐ幹線道路「東風路」は、歩道者天国の地下の車道トンネルが水没し、東風広場から昆明ホテルまでの道も冠水したため、東から西に抜ける道路は閉鎖されましたバッド(下向き矢印)

昆明市を貫く川「盤龍江」は増水し、川の両岸に止まっていた車は全て見事に浸水しました車(セダン)東、西、南、北のトンネルすべてが冠水し、それ以外の道路も渋滞でマヒ状態ふらふら


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わたしの友人は朝7時半に車で家を出て、私がブログを書いている今(11時半)、まだ会社に到着していないそうです。友人曰く、1時間に500メートルしか動かないのだそう。


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庶民の足・路線バスの車内も大変なことに!



1998年も大雨が降り、同じような状況になりましたが、昆明の排水インフラはその頃と全く変わっていません。
一晩大雨が降っただけで、街中のマンホールから水が溢れ出し、町の半分が水に浸ってしまうなんて…がく〜(落胆した顔)本当に政府には何とかしてもらいたいですあせあせ(飛び散る汗)


(雲南支部 林娜)
未来を育む異文化交流!夢基金生・上海日本人学校交流会開催 [2013年07月17日(Wed)]

協会「25の小さな夢基金」で応援する昆明女子高校春蕾クラスの女の子たちが、先日、生まれて初めて大都会上海に降り立ちました飛行機
上海日本人学校の同世代の生徒たちと交流するためですわーい(嬉しい顔)

上海日本人学校は2011年4月に高等部ができたばかりで、現在は101名の日本人生徒が在籍しています。

皆さんもご存知の通り、上海は中国有数の大都市で、経済、文化、その他の面でも雲南省とは比べ物にならないほど発展しています。一方の昆明女子高校春雷クラスは、雲南省山岳地帯出身の、学費を賄えない貧困家庭の女子を受け入れるクラス。現在150名余りの生徒が親元を離れ、省都・昆明市で勉強しています。

国籍はもとより、家庭の事情や生活環境まで何もかも違う同世代の若者たちが、異文化への理解と、互いを尊重する心を育み、やがては将来の日中関係を担うような絆を結んで欲しいー今回の交流会はそんな思いから始まり、たくさんの方のご協力を得て実現しましたハートたち(複数ハート)

当日の様子を同行した雲南支部職員のレポートでご紹介しますメモ


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 


78日、私は春蕾クラス生10人と2人の先生と一緒に、上海日本人学校との交流会を行うために上海へ向かいました。

ところが、最近飛行機が遅れることが本当に多く、今回も夜9時発の便が時間通りに飛ばず、空港の近くで航空会社が用意してくれたホテルで便が飛ぶまで休むことにがく〜(落胆した顔)

いつの間にか寝てしまって、起こされたのは朝の4もうやだ〜(悲しい顔)
飛行機は6時半にようやく飛びたち、みんな疲れた顔で上海に到着しましたバッド(下向き矢印)


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9時間遅れでようやく上海に到着!憧れの大都会は遠かった…


本来は上海で一泊するはずが、予約しているホテルへ行く時間もなくそのまま上海日本人学校へ向かい、予定の交流会開始時間になんとか間に合いましたダッシュ(走り出すさま)

上海日本人学校の先生は夢基金一行を大歓迎してくれ、少しでも疲れと癒すために色々気遣ってくださいましたわーい(嬉しい顔)

まず、皆ばらばらになり、上海日本人学校の高校1.2年のクラスに分かれて交流しながらお昼ごはんファーストフード
その後、日本人学校の全生徒と先生、それに校長先生も加わって、楽しく賑やかな交流会がスタートしました。

日本人学校の校長先生は英語で歓迎のスピーチをし、生徒の皆さんは日本語と中国語で、上海の生活などについて発表してくれました。皆さんの中国語のうまさに驚き、上海で暮らす体験に感動ぴかぴか(新しい)


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上海日本人学校高等部の水野俊夫校長先生は流暢な英語でスピーチ


最後にお互いの学校がプレゼントを交換し、今回の交流会の発起人で協会会員の三木秀隆さんの挨拶をもって、最初のセレモニーが終了しました。

後半は、生徒だけの交流会るんるんお互いが用意したショーを披露したり、日本伝統の遊びを一緒に楽しんだり、夢基金生もいつの間にか疲れを忘れ、夢中になっていましたわーい(嬉しい顔)


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春蕾生が踊りを披露。この後日本人生徒も輪に加わり、みんなで盛り上がりました

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言葉が通じなくても大丈夫!見よう見まねで折り紙を作ります

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こちらはけん玉。春蕾の女の子たちは夢中です


生徒たちの交流に感動した先生たちの大らかさによって、交流会は予定時間を30分オーバーしたところで、ようやくお仕舞いとなりました。最後は、生徒と先生が盛大に見送ってくださるなか、私たちは上海日本人学校を後にしました。

お互いの言葉が通じるか通じないかに関係なく、遊びを通して両学校の生徒の心が溶け合うことにとても感動しましたぴかぴか(新しい)
この先もずっと連絡を取れるように、何人かの生徒は連絡先を交換したようです。日本と中国の若者がこれから熱い友情を育て、ふたつの国を末永く友好の絆で繋いてくれればいいなと思います。


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みんなで日本語の「故郷」を合唱しました!


(雲南支部 林娜)



第1回日雲高校生国際交流プログラム
日程:2013年7月9日
主催:認定NPO法人 日本雲南聯誼協会
協賛:メディネットインターナショナル株式会社/上海日本人学校/昆明女子高校
参加者:昆明女子高校生徒10名、上海日本人学校高等部全校生徒
同行者:昆明女子高校教師2名、認定NPO法人日本雲南聯誼協会職員2名


「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートD [2013年07月15日(Mon)]

本ブログにて6回にわたりお届けしている25の夢基金「卒業式ふれあいの旅」レポート
も残すところあと2回となりましたexclamation×2
前回のブログはこちらからご覧頂けます。
今日は、春蕾クラス卒業生の故郷を訪ねるシーサンパンナの旅第2日目です。


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シーサンパンナ滞在二日目、当初はミャンマーとの国境に有るタイ族村での観光を予定していましたが、急遽予定を変更。
「もっと生徒たちの家族や生徒たちの育った場所を見たい!観光なんていつでもできる!」というのが、参加者全員一致の意見。頼もしいです。
前日、プーラン族玉応坎さんの実家にも一緒に訪れた、同じく春蕾クラスを卒業したばかりのタイ族依金罕さんのご実家を訪問することとなりました。
突然のスコールに見舞われながらも、途中ミャンマーとの国境にある検問所へ立ち寄って記念撮影をしたり、ハニ族の民族料理で昼食を楽しみながら、3時間半ひたすら東へ向い車を進めます。

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これがミャンマー国境の検問所

依金罕さんの故郷はシーサンパンナの東部に位置し、隣国ラオスまで山をはさみ約40キロという位置にあります。
タイ族の村では、道路標識などすべてに漢字とタイ語が併記されています。東南アジアのタイ王国で使用されているタイ語とはまた異り、共通する単語こそあれど、あくまで異なるタイ族語を使用しているのだそう。


前日に訪れた、シーサンパンナ西部にあるプーラン族玉応坎さんのご実家と同じように、ここでも全ての家が高床式になっており、一階では牛や鶏などの家畜が飼育されていたり、火をおこす燃料の木材が保管されています。

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前日訪れた玉応坎さんの故郷と同じく、タイ族ばかりがクラスこの集落も、全ての家が高床式です


依金罕さんは、村で歴代第2番目の大学進学者。
女性では初めての大学進学者です。
突然の訪問にも関わらず、家には老若男女たくさんの親戚が集まっておもてなしをしてくれました。
「テレビの中以外の日本人を初めて見たよ。皆さんに会えてとても嬉しい」と歓迎してくれたのはお父さん。
タイ族の伝統的な衣装に身を包み、男性よりも元気な女性たちは大きな声で歌を歌いながらお酒を勧めてくれました。


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男性は朗らかで元気、女性はパワフルでもっともっと元気です

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バナナの葉をお皿代わりにして、たくさんのごちそうを頂きました


依金罕さんは2人兄妹で、21歳になるお兄さんがいます。
お兄さんは両親の畑仕事を手伝い、早くに結婚して既に子ども一人います。
お父さん、お母さんは片言の普通話を話しますが、お兄さんは小学校を中退している為ほとんど理解できません。
タイ族の習慣で、男の子はみな小学校の時にお寺に入ることになっているそうです。
お寺で使用されるのはタイ族語。
女の子達が小学校で普通語を学ぶ一方で、お寺に入った男の子たちは普通語を学ぶ機会がないそう。
このような理由から、この村では男性で普通語を話すことができる人が女性と比較しても少ないのだそうです。


短い滞在時間ではありましたが、2日間にもわたり春蕾卒業生の故郷を訪れることができたのは「卒業式ふれあいの旅」史上、今回が初めて。
再び西に向かって車を進め、ホテルのあるシーサンパンナ随一の大都・市景洪市へと向かいました。

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かわいい25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートEに続くかわいい
「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートC [2013年07月14日(Sun)]

25の小さな夢基金「卒業式ふれあいの旅」レポート第4回目ですぴかぴか(新しい)
春蕾クラス卒業式の様子をレポートした記事はこちら
今日からは舞台を雲南省最南端のシーサンパンナ・タイ族自治州に移します。
(※本レポート、当初は全5回にわたってお届けする予定でしたが
どうしてもお伝えしたいことをまとめきれず、全6回となりました猫あせあせ(飛び散る汗)


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「ふれあいの旅」もいよいよ後半に突入です。
前日に高校を卒業したばかりの春蕾クラス卒業生2名と共に、一行は空路雲南省最南端、ミャンマー・ラオスと国境を接するシーサンパンナへ向かいました。
「ふれあいの旅」恒例行事、卒業を迎えた生徒の故郷を訪ねる旅です。


今回訪問するのはプーラン族玉応坎さん、そしてタイ族依金罕さんの故郷です。
午前5時半に昆明ホテルを出発するも、シーサンパンナへ向かう国内線が欠航。
昆明支部林娜の冷静な対応により、なんとか無事振替便を確保しました。
30分遅れで一路シーサンパンナへ。
玉応坎さんと依金罕さんにとって、普段の里帰りは1年にたった1度のことでした。
それも毎回片道11時間以上かかるバスの長旅だったそう。
初めての飛行機に2人は興奮気味です。何より、1年ぶりに会う家族のことを思うと、思わず笑みがこぼれてしまいます。


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玉応坎さん(左)と依金罕さん 初めての飛行機にわくわく

シーサンパンナの空港から車でひたすら4時間ほど走ると、高床式の家と道をふさぐように広げて干されたお茶の葉があちこちに並ぶ、孟海県プーラン山郷に到着しました。
玉応坎さんの故郷です。
文字を持たないプーラン語には、「ニーハオ」にあたる言葉もまたないのだそう。その代わりに使われる「仕事に行かないの?」を意味する「モッ(ク)ミッカー?」を覚え、村中の人たちに挨拶して炎天下の中、村を散歩する一行なのでした。


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道端でお茶の葉を干していたのは玉応坎さんの、大好きなお婆ちゃんです


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全ての家はこのように木造で隙間だらけ。高床式の2階部分が生活スペースです


玉応坎さんの家の近所に住む小学校時代の同級生が、3歳になる子どもを家の外であやしているところに出会いました。聞けば中学を中退し、15歳で結婚・出産をしたとのこと。玉応坎さんの同級生の女の子たちは、彼女を除き全員がすでに結婚しています。

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とても玉応坎さんと同い年とは思えないほど、大人びた女の子でした


玉応坎さんのご実家では、お父さん、お母さんをはじめ20人を超えるの親戚が集まり、たくさんのご馳走と地元のお茶、そして白酒でもてなしてくれました。停電は日常茶飯事で、この日も電気はありませんでした。
お母さん、お父さんが、自分たちで育てたお米や野菜、なかなか食べることのできない鹿の肉の料理等をふるまってくれました。
また家の壁には、玉応坎さんと弟たちが学校で優秀な成績をおさめて手にした賞状が大切に飾ってありました。
玉応坎さんは、この村から初めて大学に進む、まさにプーラン族の希望の星なのです。


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玉応坎さんの家族、親戚が大集合で出迎えてくれました


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お父さん、お母さん、そしてお兄さんや親戚の方が獲った野菜や米で、最大のおもてなしをしてくれました


続いて一行は、車に乗り玉応坎さんの卒業した小学校へと向かいました。
政府や日本の支援で整備された校舎は、意外なほどにしっかりとした建物でした。
校庭では、地元出身の若い先生を囲む子どもたち。勉強する子もいれば、あちこちはしゃぎまわるこの姿も。
みんな、日本からの珍しいお客さんが気になって仕方がありません。

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先生を囲み、のびのびと授業に参加する子どもたち


教室では、小学校の校長先生、郷政府の方々に、学校の抱える問題やプーラン族の教育の実態を伺う機会を設けて頂くことができました。
清潔感のある校舎だと思っていましたが、トイレの数が不足していたり、水へのアクセスがかなり不便だという問題があると話して下さいました。
一方で、この小学校の卒業生でもある玉応坎さんが大学進学を果たしたことはプーラン族にとって誇れることであり、今後の彼女の学業面等に、郷政府としても協力していく意向だと話してくれました。


参加者から投げかけられた「先ほど、村で小さな赤ちゃんを抱いた若い女の子に会った。学業を続けられない実態に直面して胸が痛かった」という意見に、
「私たちプーラン族にとってはそれが普通で、何も珍しいことではないのです。」との答えがありました。幸せの尺度は人や民族それぞれであることは確かだ、と気付かされました。
プーラン族の文化や特色を守りつつ、よりプーラン族という非常に少ない人口しか持たない貴重な民族の発展に取り組みたいと話してくださった校長先生や郷政府の方、そしてプーラン族の未来を担う子どもたちにとって、本当に必要とされることを模索し、協会としても協力を続けてゆきたいと感じました。

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玉応坎さんの大学合格を祝って、おもてなしの御礼も込めてお祝いを渡すと、皆手を胸の前にいつまでもいつまでも御礼を言ってくれました


その晩、職員Tは玉応坎さん、依金罕さんと3人で夜の街を1時間ほど散歩しました。
10も歳が離れていない二人は、まるでかわいい妹のようです。
二人とも、春蕾クラスでの毎日は、ほとんど学校の敷地から出ることなくひたすら勉強に打ち込みました。学校の規則により、生徒たちは日曜の12時から16時の4時間を除き、学校の敷地から出ることを認められていないのです。
これから始まる大学生活。今よりぐんと世界が広がり、自由になるでしょう。
いつまでも、故郷を思う純粋な気持ちを持ち続けて欲しいと密かに願わずにはいられませんでした。


ハートたち(複数ハート)
「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートDに続く
ハートたち(複数ハート)
「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートB [2013年07月13日(Sat)]

6月29日から一週間の日程で行われた25の小さな夢基金「卒業式ふれあいの旅」黒ハート
3つのイベントのうち、春蕾クラス同窓会「未来を創る」フォーラムについては既に
ご紹介しましたぴかぴか(新しい)過去ブログ記事はこちら
本日は、この旅のメインイベント春蕾クラス3年生の卒業式レポートですかわいい


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昆明女子中学「春蕾クラス」は全部合わせて4クラスあります。
日本雲南聯誼協会が応援しているのは、そのうちの1クラスです。
今年は、48名の生徒たちが3年間の高校生活を無事に終え卒業を迎えました。
その全員に、遠く日本から応援し続けてくれたサポーターがいます。
3年間応援してくださったサポーターの皆さんの多くが「卒業式に出てあげたいけれど都合がつかない…」と言って下さいました。
お手紙やプレゼントを託けて下さった方もいらっしゃいました。
全てのサポーターの思いを、愛を、激励を胸に、今年も私たちは卒業式に参加して参りました!


卒業式は、3年間の高校生活を振り返るVTRでスタート。
多くの生徒が涙する中、まだ1年生の頃の友達や自分の姿に思わず笑ってしまう生徒も…
一人ひとりの涙や笑顔に、3年間故郷を離れ懸命に勉強をしてきたことへの自信と、
これから始まる未来への希望が溢れていました。
3年前、田舎から大きな荷物を背負って昆明女子中学に入学してきた姿がVTRで映し出された時には、私も思わず涙腺が緩んでしまいました。


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多くの卒業生が涙したのは担任の先生方からの「卒業生に贈る言葉」。
「生徒を想う先生方の気持ちに胸打たれた」と話す協会名古屋支部支部長の近藤釼一さんの目にも、光るものがありました。


来賓の挨拶では、昆明市婦人連合会李主席に続いて初鹿野理事長も卒業生にエールを送りました。そして来年度入学してくる新入生を、引き続き協会が応援していくことを約束しました。
参加したサポーターの皆さまも舞台に上がりお一人お一人、卒業生に言葉を贈ることになりました。そんなこともあろうかと事前に中国語のあいさつを準備してきて下さったサポーターさんも... 「大家好!(みなさんこんにちは)」の挨拶に生徒たちからは「おぉ〜っ!」と歓声が上がります。
4クラスある全ての春蕾クラスが、日本雲南聯誼協会の活動を知っているわけではありません。
こうして協会の会員が卒業式に参加して生徒たちとふれあうことで、先生方を含め多くの方に協会の存在を知ってもらうことにもなるのです。


校長先生のご挨拶に続き、クラスの代表生徒に卒業証書が手渡されました。
協会が支援するクラスの代表はチベット族の扎西永宗さん。
卒業生全体の代表挨拶という大役も果たしました。


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卒業生から先生方に向けた歌のプレゼントもありました。
曲は「感恩的心(感謝の心)」。協会の支援する生徒たちは全員舞台に上がり、
手話を交えながら力強く、涙を見せることなく歌い切りました。


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卒業式が終わるといよいよお待ちかね、サポーターの皆さんとの交流会です。
自分を応援してくれているサポーターが卒業式に参加してくれている生徒は、
やっぱりとても嬉しそう。片時も側を離れず、学校生活のこと、これから進む大学のこと、
故郷のこと...話題は尽きません。
参加して下さったサポーターの皆さんを囲むようにいくつも輪ができました。


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何名かの生徒に、卒業式には来られなかったけれど日本で卒業をお祝いしてくれているサポーターへの思いを聞いてみました。
「本当は今日、●●さん(サポーターのお名前)に会いたかった。でもおじ様はとても忙しくされていることを知っていますから。この3年間おじ様のおかげで勉強を続けることができて、本当に本当に感謝しています。これからも努力を続けます!」と力強く話す女の子。
「おば様に応援してもらったのに、思うような成績が出せなかった。あんなに応援して下さったのに...本当に悔しい。でも、おば様のご支援に、心から感謝しています。」
と、話ができなくなるほど涙を流し話す女の子…
生徒たちを遠く日本から応援し続けて下さったサポーターの皆さまの気持ちは、
私の想像をはるかに超える程、生徒たちに深く深く届いていました。


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交流の時間もいよいよ終了に近づくと、どこからともなく中国語、日本語の歌声が聞こえてきます。生徒たちが自民族の踊りや歌を披露すると、大きな大きな歓声があがります。
やがて歌声は合唱となり、たとえ言葉が満足に通じなくてもお互いの思いが歌声に乗って
卒業生たちとサポーターの気持ちを強く結んでいました。


卒業の喜びと、サポーターの皆さまとの心躍る楽しい交流、3年間の苦楽を共にした仲間との別れ…会場には、今日で「春蕾」を卒業してゆく生徒たちの、たくさんの思いが溢れていました。
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「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートCへ続く
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「夢は叶う」加藤丈夫さん講演記7 [2013年07月12日(Fri)]

これまで6回に渡ってご紹介してきた25の小さな夢基金「夢は叶う」講演会・加藤丈夫さんの講演も、今回で最終回です。

夢基金生は皆貧しい山村の出身で、入学の際の調査票にはほとんどの女の子が「知識で運命を変えたい」と書いていました。
彼女たちにとっては、山奥から省都昆明に出て勉強するだけでも夢のようなこと。でも世界はもっと広く、無限の可能性に溢れています。

これから先、彼女たちがもっと大きな夢を抱いて、希望に満ちた人生を送ることができますようにexclamation



>>>前回はこちら



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7.自分の信念を貫く


こうして謙一の生き方を見ると、父が成功したのは、人生のある時期から「自分はどうしてもこれを成し遂げたい」という強い希望を抱いたことであり、それが自分の得意とすることにピッタリ合っていたことだと思います。

自分の得意なことに合った仕事を「天職」と言いますが、実は天職を見つけるのはそれほど簡単なことではありません。

幼いころから「やりたい仕事」を見つけて、それで成功する人もいるし、いくつも仕事を変えてみてようやく天職にたどりつく人もいるし、中には一生かかっても天職を見つけないで終わってしまう人もいます。

私自身の経験を言うと、私は幼い頃は藤子不二雄と同じように手塚治虫のような漫画家になりたいと思っていました。中学生のころは新聞記者になりたいと思っていたし、
大学に進んでからは学者になりたいと考えました。

最後は会社に入って経営者になりましたが、いまでは(もう変えようもありませんが)それが天職だったと思っています。

ただ、私のように年をとるにつれて考えが変るのは誰にでもあることで、むしろ幼いころから一つの道を決めて進む人は例外かもしれません。

私自身の経験から言えることは、自分が何をするかをあまり早く決めないで、周りの人たちの意見をできるだけ多く聞いて、その中から進む道を決めた方が良いと言うこと。

そして、ある時期に“これ”と決めたらすぐに投げ出さないで、時間をかけてそれに取り組んでみることだと思います。

いまお話した加藤謙一も「子どものために尽くしたい」という気持ちは変わらなかったけれど、それを実現するために学校の先生から雑誌の編集者になりました。

手塚治虫も医者になりたいと思っていたのに、まったく違う漫画家になりましたが、
この二人に共通していたには、悩んだあげくに「やろう」と決めたことを徹底してやり抜く強い気持ちだと思います。

今日は「夢は叶う」というテーマでお話しましたが、夢を叶えるにはまず「大きな夢を持つこと」が大切です。これから皆さんが大きな夢を持って、それに向かって元気に突き進んでいくことを期待しています。

≪終わり≫


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加藤丈夫さん略歴 東京大学法学部卒業。富士電機株式会社に入社し、企画部長、人事勤労部長を務める。1989年に取締役就任後、取締役副社長、取締役会長を歴任。企業経営に携わるかたわら、企業年金連合会理事長、社団法人日本経済団体連合会労使関係委員会委員長、中央労働委員会使用者委員、学校法人開成学園理事長兼学園長などの要職も歴任した。

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