「夢は叶う」池田弘一さん講演記1 [2011年10月28日(Fri)]
皆さま、こんにちは
先日、会員の山本忠明さんの連載が終了してしまいましたが、本日より、新たな連載がスタートします 2009年の丘ヤス氏(アルバート・アインシュタイン医科大学名誉教授)、2010年の新井淳一氏(日本経済研究センター会長、当協会顧問)に続いて、今年9月、当協会「25の小さな夢基金」で支援を行っている「昆明女子中学校」(中高一貫校)にて、「夢」をテーマにした講演が行われました 今回の講師はアサヒグループホールディングス株式会社相談役の池田弘一氏です。 春蕾クラス生に加え、雲南大学日本語科の大学生併せて約300名が勇気づけられた池田弘一氏の講演内容を、全19回(毎週金曜日更新)に渡ってご紹介します 第1回 東日本大震災の被害 私はアサヒビールの仕事で度々中国を訪問しておりますが、雲南省にはまだ一度も来たことがありませんでした。今回、このような機会に雲南省昆明市を訪ねることになり、個人的にも大変楽しみにしていました。 この講演会は、「夢は叶う」がテーマだときいています。若い皆さんにとって、どれだけお役に立つか不安ではありますが、私の経験をお話しすることで、少しでも皆さんの将来のヒントになればと思います。 本日は、私がアサヒビールで経験したことを中心にお話ししたいと思いますが、まずその前に、今年の3月11日に発生した東日本大震災の状況について、皆さん方にご報告と御礼を申し上げたいと思います。 3月11日14時46分、日本の東北地方にある宮城県仙台市沖で、大変大きな地震がおきました。宮城県、岩手県、福島県を中心に、東日本の15県で非常に大きな地震が度々起こったのです。 地震による被害ももちろんですが、地震によって引き起こされた津波が海岸沿いを襲い、大変大きな被害をもたらしました。 更に、この津波によって福島県の原子力発電所が被害を受けました。電源が切れて放射能原子炉を冷やすことが出来なくなり、大変危険な状態に陥ったのです。 電力会社をはじめとして、国を挙げての努力をしたものの、一時は国際評価尺度 (INES)レベル7という危機的状況にまでなりました。7月のはじめに、ようやく放射能を冷やす状況が整い、一段落したところです。 この震災は、地震と津波、そしてそれによって引き起こされた原子力発電所の放射能漏れの三重苦という、我々が未だ経験したことの無い大変大きな災難をもたらしました。 ≪続く…≫ 池田弘一さん略歴 アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。 ★ 是非クリックをお願いします ★ |