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EAFの模範 [2008年11月17日(Mon)]
え!そうなんだ、知らなかった…


中国はEFAの模範、だが…


 ユネスコのウェッブサイトでEFA報告書(英文)をオンラインで注文した。支払いはヴィザカードでOK。注文して1週間もしないうちに、ベルギーからの航空便でお目当ての報告書が届いた。いやあ、便利になったものだ。

 題は EFA Global Monitering Report 、2000年にセネガルのダカールで開かれた国際会議で討議しまとめた「2015年までに万人に教育を」行動枠組みの目標がどこまで達成されたか、その進捗状況をつぶさに調査し報告するものだ。




ユネスコ(UNESCO)が出版したEFA報告書(EFA Global Monitering Report 2008)の表紙、Education for All by 2015 … Will we make it? 「2015年までに万人に教育を!我々は目標を達成できるか?」と書かれている。







 ざっと目を通して、どのような章建てがなされているか、どんなテーマが項目として設定されているかをとりあえず見ただけだが、折しもこんな記事が目に止まった。前回当ブログに載せた 『人民網』の記事「義務教育の普及率99%」に関連して紹介しておこう。


 非識字者の減少に粘り強く取り組んできた国の1例として、中国を挙げることができる。実に中国では、1990年に22%だった非識字率は2000年には9%にまで下がった。この成果は、初等教育をほぼ100%近くまで普及させたこと、地域的に対象を絞って識字教育に取り組んだこと、識字教育を修了した後の教育にも注意を払ったことに負うところが大きい。急激な経済成長と一人あたりの所得の増加もこれを助長した。

註) the post-literacy education: 識字後教育=識字を修了した後に継続して行うより質の高い教育

 非識字者をなくそうと1970年代後半から努力してきた中国政府の取組みを主に動機付けしたものは、急速な経済成長を遂げようとする強い欲求だ。識字教育こそ、中国の経済的な競争力を強化すべく、専門技術的な訓練教育を向上させるための基礎と見なされた。

 中国の教育政策(プログラム)の成功は、課題取組みの対象をもっとも識字率の低い地域に絞ったこと、地域社会や非政府団体がこの教育政策(プログラム)に関与したこと、「読み書き算盤」学習を農業的・実業的な技術(スキル)と統合して教材を開発したこと、そしてそれらを技術(テクノロジー)と媒体によって効果的に情報伝達したこと、政策(プログラム)の進捗状況をしっかり監査したこと、これら努力の成果である。


註) skill: スキル=「技術」。ただし、「テクニック」(「技術)と区別し、スポーツのコーチングでは「スキル」は「状況判断」や「判断能力」を含んだ「テクニック+状況判断」を意味する。

 文中には、1990年から2000年までの10年間で識字率を大幅に高めたことの原因の1つとして、「初等教育をほぼ100%近くまで普及させたこと」(英語の原文は the near universalization of primary education となっている)を挙げている。これは、前回このコラムで紹介したウェッブサイト『人民網』の記事の見出し「義務教育の普及率99%」をある程度傍証するものと受け止めてよいだろう。

 中国の躍進的な成長発展の背景には、国民の識字率を高めようと地道に、かつ意欲的に取り組んだ中国政府の努力があったことを知り、中国の急激な発展の何であるか、その実相を新たに認識した次第だ。が、ひょっとすると中国の「後進性」を疑わない、あるいは期待する日本人特有の先入観、あるいは歪んだ優越感が私の中にまだ残っているのではないか、とも思った。

 「義務教育の普及率99%」が、中国共産党のプロパガンダではなく、信憑性の高い報道だとして、これは賞賛に値する素晴らしい成果だ。中国の「後進性」を今でも信じたい私のような日本人にとっては妬ましく、信じたくない「過大」な成果ではある。

 が、その一方で、私達が中国雲南省のような辺境の山間奥地に見る「大勢の子どもたちが学校に行けない、行っても中途で学業を放棄せざるをえない、初等教育を修了できる子どもは3分の1にも満たない」ということも、中国の現実である。『人民網』のウェッブサイトには、ぜひそうした現実をもきちんと有り体に報道し、問題を分析した記事も載せてほしいと思う。

 ところで、「義務教育の普及率99%」を誇る中国に、今なぜ教育支援なのか? そんな疑問を抱く人はけっして少なくないだろう。むしろ、大抵の人はそう考える。

 が、「自己責任だ」とばかり言って突き放すことのできない深刻な「格差社会」(=華々しい成功の裏で、その恩恵をほとんど受けることなく、貧しく厳しい生活環境に取り残された人々がいること)を地球的な視野で捉えたとき、この地球上の「格差社会」が投げかける諸課題の1つとして国際教育支援に取り組む当協会の活動の理念や意義は、たぶん大勢の方々から理解され支持されるものと思う。


註) 格差社会: 特定の国や地域にかぎらず、地球全体が1つの大きな格差社会だ。かつては「インド人当量」(例えば、アメリカ人1人が1日に消費するエネルギーは、インド人何人分に相当するか)という術語でこの格差のレベルを表現した。かつて貧困の象徴だったそのインドも、今や中国と並んで経済成長著しいBRICsの一角である。が、インド国内に貧困がなくなったわけではない。インドは、相変わらずいろいろな分野で国際支援の対象となっている国である。

梅本(JYFAスタッフ)


 



就学率99%? [2008年11月14日(Fri)]
うっそ!え、それってほんと?



義務教育の普及率99%


 当協会の新しい広報活動の一つとして、当協会が発行している会報『彩雲の南』や当協会がウェッブ上に公開しているホームページには書かない、あるいは書けない記事を、ちょっと趣を変えて、B4版2枚2つ折り(要するにB5版8ページ)に載せ、不特定多数の読者を対象に出してみてはどうか、ついては10月の頭に日比谷公園で開催された『グローバル・フェスタ』に合わせて発行してみようと、第1号を編集発行した。

協会広報用ミニコミ誌『小さな窓』創刊号(No.1)の表紙
10月4日に印刷発行

10月5日、6日の『グローバル・フェスタ』では、このモノクロ版を配布した。

当協会の理念や活動を宣伝普及するための、いわゆるミニコミ誌といったところもので、『小窓』(Xiao Chuang)という表題をつけた。
その意(こころ)は?
初鹿野恵蘭・片岡巌共著『独龍江で学校を待つ子供たち』(技術評論社刊)をぜひお読みいただきたい。


 第2号は、今月の上旬に恵比寿の麦酒記念館内ギャラリーで当協会が主催した写真展『小さなカメラマン』になんとか間に合わせようと編集したものの、入場者に配布する資料があれやこれやある上、さらにこれも加えるとなると、環境問題がかまびすしく議論される昨今、いささか気が退け印刷発行には到らなかった。

 
協会広報用ミニコミ誌『小さな窓』No.2の表紙
11月4日に編集

11月5日〜9日の『小さなカメラマン』写真展では、このモノクロ版を配布するつもりだったが、紙ゴミを増やしては…と発行は控えた。

国際支援のなかで当協会の理念や活動の位置づけを明確にしようと、1990年以来ユネスコが取り組むEFA by 2015(「2015年までにすべての人に教育を」→11月5日付けの当ブログ記事を参照)の運動をとりあげた。




 今日は、このミニコミ誌第2号を編集する過程で得た情報を、ここで紹介しよう。
 まずはこの記事を読んでいただきたい。



 
中国、9年義務教育の普及率が99%に

 教育部基礎教育司の姜沛民司長は25日の定例記者会見で、2007年に中国では9年の義務教育の普及率は99%に達し、2002年に比べて8ポイント上昇していると紹介した。そのうち西部地方で9年の義務教育の普及率は2003年の77%から98%に向上し、21ポイント上昇している。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
 統計によると、2007年の全国小学校の純入学率は99.5%%、中学校の総入学率は98%に達し、それぞれ2002年に比べて0.9ポイントと8ポイント上昇している。2007年の全国の小学校卒業生の進学率は99.9%で(同比2.9ポイント上昇)、中学校卒業生の進学率は同比21ポイント上昇の79.3%に達している。

「人民網日本語版」2008年2月26日


 『人民網』は、『人民日報』のウェッブサイトであるが、「教育の普及率」をキーワードにしてインターネットで情報検索をしていて出くわした記事だ。

 これが事実なら、日本・雲南聯誼協会の存在理由がなくなってしまのでは…?記事に対する疑念と同時にそんな思いが湧いた。

 さっそく情報の発信元「人民網」について調べてみた。
 別のサイトの記事には、「人民網」とは「人民日報」のホームページであるとの説明にこんなコメントが付されていた。


 中国共産党と政府の政策や思想を宣伝する機関紙としての性格からメディアとしての信頼性は低いと言われ、中国においてさえも「題名と日付しかあっていない」と揶揄されることがある。
 一方、政府や党の公式見解や方針を知る上では、やはり重要な情報源であるとする見解も存在する...云々。


 
 ふむふむ。かつて国民の戦意高揚を煽ろうと戦況を虚偽報告し国の進路を誤らせたどこぞやの国の大本営発表と同じではないか。要するにプロパガンダってことだね。それにしても「針小棒大」、「自画自賛」にも程度というものがあるだろう。だとしたら...とそのあまりの無邪気さには笑ってしまうほかない。

 地元中国でかつて1000万部を誇った「人民日報」の発行部数が、今や100万部に落ちたということを聞くに及び、党や政府の建前論(イデオロギー)に中国人民もうんざりしているのだなと知って、それこそ改革開放の成果だねとほっとする半面、本来「民主主義」の旗手と自負するはずの共産党が今も相変わらずこれではな、と愕然としたのだが…。

 さて本当のところ、現実はどうなのだろう。中国における義務教育の普及度については、日本の25〜26倍もの広大な国土、13億〜14億とも言われる人口、かつて「九訳を絶す」と言われた56種もの民族的・文化的多様性を擁する中国で、すべてを包括する精密なデータを収集するのはそれ自体が困難であると承知するのだが、みなさんはどうお考えになるだろうか?中国贔屓とか、中国嫌いとか、そんな個人的な立場や感情論は抜きにして、この「義務教育の普及率99%」の記事をどう受け止めるでしょうか?

つづく


 次回は、ユネスコが刊行したEFA2008年版報告書に記述された記事を紹介し、中国における「義務教育の普及率99%」の実情を検証してみよう。予告しておくと、これがまったくデタラメの「嘘」でもないようなのです。驚き!?

梅本(JYFAスタッフ)
EFAをご存じですか? [2008年11月05日(Wed)]
ちょっと堅い話で恐縮ですが…

「EFA」ってご存知ですか?


 国連教育科学文化機関(UNESCO)2006年度版報告書を紹介するウェッブサイトの見出しにこんな記述がありました。


According to the most recent UIS data, there are estimated 774 million
illiterate adults in the world, about 64% of whom are women.

(最近のUISのデータによると、世界には読み書きのできない成人が
推定7億7400万人おり、そのうちの約64パーセントは女性である。)


註:
1) UIS: UNESCO Institute for Statistics=「国連教育科学文化機関統計局」の略。
2) illiterate adult: 非識字成人=読み書きや基礎的な計算のできない15歳以上の人。



 ここで言う「成人」(adults)とは日本で言う「成人」よりも若く、日本の高等学校入学資格(年齢条項)となる15歳以上を指しますが、この報告では、15歳未満で就学年齢に達しながら小学校にまったく行けない子どもの数は推定1億2000万人近いとされています。小学校に入学したとしても、データが得られた133カ国のうち41カ国においては、小学校最終学年まで進学できる子どもは全体の3分の2に満たないそうです。

 ユネスコの統計が、教育の普及率に関して、この世界の実情・実態をどこまで精確に反映しているか、国や地域の政治的・社会的な事情に起因する調査の困難さや調査方法の不完全さを考えると、発表された数字をそのまま鵜呑みにはできないでしょう。「過小な評価」と疑いつつつ、しかし、少なくともこれくらいには絶対なるはずだ、との読み取りは可能ですね。

 ユネスコは「2015年までにすべての人に教育を」運動(Education for All by 2015 )を現在展開していますが、今日はその辺の経緯を簡単に紹介し、当協会がこの8年間推進してきた国際教育支援の意義を鮮明にしておきたいと思います。


【「2015年までにすべての人に教育を」(Education for All by 2015)】


・1990年⇒タイのジョムティエンにおいて、ユネスコ、ユニセフ、世界銀行、国連開発計画の主催で「万人のための教育(EFA)世界会議」が開催されました。「初等教育の普遍化」、「教育の場における男女の就学差の是正」等を目標とする「万人のための教育宣言」及び「基礎的な学習ニーズを満たすための行動の枠組み」が決議されました。
・2000年⇒セネガルのダカールにおいて、ユネスコ、ユニセフ、国連開発計画、国連人口基金及び世界銀行が主催して「世界教育フォーラム」が開催され、ジョムティエン会議後のEFAの進捗状況(10年を経ても「万人のための教育」の達成はおぼつかない状況だった。)を把握し、今後の展開の方向性等が討議されました。
討議の結果は、「ダカール行動枠組み(Dakar Framework for Action)」として採択され、次の6つの目標が掲げられました。


≪「ダカール行動枠組み」によるEFAへ向けた目標≫


@ 最も恵まれない子供達に特に配慮を行った総合的な就学前保育・教育の拡大及び改善を図ること。
A 女子や困難な環境下にある子供達、少数民族出身の子供達に対し特別な配慮を払いつつ、2015年までに全ての子供達が、無償で質の高い義務教育へのアクセスを持ち、修学を完了できるようにすること。
B 全ての青年及び成人の学習ニーズが、適切な学習プログラム及び生活技能プログラムへの公平なアクセスを通じて満たされるようにすること。
C  2015年までに成人(特に女性の)識字率の50パーセント改善を達成すること。また、全ての成人が基礎教育及び継続教育に対する公正なアクセスを達成すること。
D  2005年までに初等及び中等教育における男女格差を解消すること。2015年までに教育における男女の平等を達成すること。この過程において、女子の質の良い基礎教育への充分かつ平等なアクセス及び修学の達成について特段の配慮を払うこと。
E 特に読み書き能力、計算能力、及び基本となる生活技能の面で、確認ができかつ測定可能な成果の達成が可能となるよう、教育の全ての局面における質の改善並びに卓越性を確保すること。


 さて、EFA(万人のための教育)も、2015年まであと7年、目標達成は如何?今日の複雑な国際社会の情勢を考えると「言うは易く行うは難し」ではあります。が、「案ずるよりも産むが易し」とも言いますね。いずれにしても、まずはみんなができることから行動すること、それがとても大切なのだろうな、と思います。

 当協会の活動に対する皆様のご理解とご支援、ご協力に改めて感謝しつつ、さらに大勢の方々の、特に若い人達(気持ちだけでなく、次の世代を担うべき実年齢の若い方!)にも大勢、当協会の活動に積極的に参加・協力していただきたいなと思っています。そう言う私もじき還暦を迎えます。ああ、無常迅速!


梅本(JYFAスタッフ)


   

九訳を絶する… [2008年09月12日(Fri)]
国際協力・国際支援のありかたを模索する


【2】

「10・25・56」この数字が意味するものは…

− 九訳を絶するほどの広大さと多様さ −



▼かつて、まだ学生だった頃のこと、中国を代表する文人魯迅の著作(もちろん日本語訳)に「九訳を絶す」という言葉を見つけた。これは一体何かと思いきや、脚注に曰く、「九人の通訳を介してもなお意思疎通が不可能である」ことの意だという。要するに、この一言で中国の地理的な広大さと民族的・文化的な多様さを表しているのだ。

▼では、具体的に中国の国土はどれほど広大で、そこにはどれほど多くの人がどんなふうに暮らし、どれほど多様な文化や伝統が根付いているのだろうか。最近の統計(2007年)では、国土面積960万㎢、人口13.3億とある。
 と言われても、なかなかピンと来ない。そこで日本と比較してみると、日本の国土面積は38万㎢、人口は1.3憶だから、国土面積では中国は日本のざっと25倍、人口では日本のざっと10倍ということになる。地球全体で見てみると、世界の人口(約66.7億)の19.9%、つまりざっと5人に1人は中国人という計算だ。国土面積の広さは地球の陸地面積の7.9%に当たり、これはロシア、カナダに次いで第3位の広さだ。ちなみに日本の国土面積は地球の陸地面積の0.3%である。

▼このように統計上の数字をおおざっぱに見ただけでも「いやー、デカイね!」とつい溜息が漏れる中国である。実は、西欧列強が18〜19世紀に産業革命を成し遂げるなか相次いで中国を侵略した理由は、この「デカさ」−当時の世界において、資源、労働力、市場のどれをとってみても中国は桁違いにデカかった− にある。
 世界中の富をできれば独占しようと互いに鎬を削っていた西欧列強は、「眠れる獅子」とそれまでは恐れていた清朝が阿片戦争で脆くも敗北するや、戦争賠償や不平等条約を押し付け、寄ってたかって清朝の主権を侵害し中国の植民地化に着手した。なんともあさましい話だ。侵略された当の中国人にしてみたらこの上なく理不尽な犯罪的暴挙だ。

▼さて、中国の民族的・文化的な多様さはどんなものか。中国には漢民族のほかに55の少数民族(民族識別工作で分類される公的な民族数)がいるというから、つまり漢民族を加えて56の民族がいるということになる。ここで言う民族とはいわゆるネイティブで、戦後の中国に残留した日本人や租界返還後に残留した欧米人は含まない。
 が、一方の日本は?というと、日本を「単一民族」国家と自慢した総理大臣がかつていたほどこの辺の我々の認識はひどく曖昧だ。事実、韓国や日本は同一民族の割合が非常に高い国なのだが、実際にはアイヌ民族のような少数民族もいて、けっして「単一」とは言えない。が、我々日本人の多くは日常そのことをほとんど意識していない。
 というふうに考えると、民族的・文化的な多様性という点では、単純に捉えて中国は日本の56倍の大きさということになる。

▼日本と比較して、25倍の広大な国土に10倍の人口を擁し、しかも56倍の民族的・文化的多様性を有することを考えると、中国の中央集権的な政治的統一は我々日本人の想像を絶する困難な仕事であるように思えるのだが、…。


≪註≫
55の少数民族:
漢族以外の55の少数民族とは次の通り。

アチャン族   イー族     ウイグル族    ウズベク族
エヴェンキ族  オロチョン族  回族       カザフ族
キルギス族   高山族     コーラオ族    サラ族
ジーヌオ族   シェ族     シボ族      ジン族
スイ族     タジク族    タタール族    タイ族
ダウール族   チベット族   チャン族     朝鮮族
チワン族    チンプオ族   トウ族      トゥチャ族
ドアン族    トーロン族   トンシャン族   トン族
ナシ族     ヌー族     ハニ族      バオアン族
プーラン族   プイ族     プミ族      ペー族
ホジェン族   マオナン族   満州族      ミャオ族
メンパ族    蒙古族     モーラオ族    ヤオ族
ユグル族    ラフ族     リー族      リス族
ローバ族    オロス族    ワ族


梅本 霊邦(JYFA)
オリンピック北京大会に思う [2008年08月28日(Thu)]
国際協力・国際支援のありかたを模索する


【序】

「見方を変える」−言うは易く行うは難し。


▼2年前のこと、姉妹校交流の打ち合せでオーストラリアに行った折、土産物を売る店で「マッカサーの世界地図」(世界地図が南北逆さまに描かれており北半球と南半球が入れ替わっている)を見た。
 そして最近、高校で世界史を教えている友人から「この本はとてもおもしろいよ、授業で教材にしているんだけど…」と1冊の本を薦められた。本の表紙には、『ああ知らなんだ、こんな世界史』と書かれていた。

▼私達がふだん見ているこの世界をまったく異なる視点で見たらどうなるだろうか。例えば、ふだん内側から見ている日本を外側から眺めてみたり、外側から見ている中国を内側から眺めてみたり、また日本にせよ中国にせよ中央から辺境を見る視点を辺境から中央へと変えて見るのだ。
 天動説と地動説を置換したような大転換が、ひょっとして私達の個々の知性にも起こるやもしれないな。そんなことを考えながら、徒然に文章を綴ってみることにした。もちろん、国際協力・国際支援の正しいありようを模索し、その意義を私なりに追求してみたいとの狙いがある。でないと、私がこのブログに記事を載せる理由がなくなる。

▼読者のみなさんには肩の力を抜いてHang loose! 気楽に読んでいただきながら、でもそれなりに内容の適度に濃いものを…とは思いつつも、なにせ生来の怠け者ゆえ、日頃の不勉強がたたって、一知半解な認識不足を露呈するのでは、と幾分気がかりでもある。
 もし、「え、それはいかがなものか?」とお気づきのことがあれば忌憚なく質していただき、誤解・曲解は正しく直していただければありがたい。



【1】

「19・43・63」この数字が意味するものは…

− オリンピック北京大会に思う −


▼最近のもっともホットな話題と言えば、なんといってもまずは中国だろう。BRICsと総称される経済成長著しい「新興国」の1つ、2007年の購買力平価ベースのGDPはアメリカに次ぐ第2位という。
 8月8日、北京オリンピックが始まってからは、世界中のメディアが連日「北京の17日」(映画『北京の55日』を捩った)をテレビの画面や新聞の紙面に大きくとりあげた。
 8月27日付けのニューズ・ウィーク誌日本語版が「五輪後の中国」と題して特集を組んだことからしても、オリンピックを盛大にとりおこなった「経済大国」中国が世界経済に今後どれほど大きな影響力をもち、世界中が中国経済の動向にどれほど注視しどれほど高い関心を抱いているかが分かる。

▼世界の最高峰チョモランマにまでわざわざ聖火を運び上げた聖火リレーや、いくら北京オリンピックを成功裏に完遂することが至上命令とはいえ、反政府行動を封殺するために中国全土に敷かれた過度ともとれる厳重な警備体制、それになんといってもあの開会式・閉会式の華美にしてダイナミックなパフォーマンス −私の個人的な感想を言えば、演出がウンザリするほどくどく、エキシビジョン全体が盛りだくさんすぎて、「せっかくの豪勢な料理をあれもこれもすべて1つの皿にてんこ盛りにしたよう」に感じられた− からは、中国政府がこのオリンピックにどれほど「国家的な威信」(21世紀には「時代錯誤」の響きがある)をかけて臨み、そして中国国民の多くがこのオリンピックの成功によって「中国国民としての誇り」をどれほど確信しようとしたか、が実にはっきり見て取れた。

▼オリンピックの各種競技で中国選手が獲得した金メダルの総数は51と、スポーツ大国アメリカ −金銀銅のメダルの獲得総数では110と中国の100を上回ったものの、金メダルの獲得数は36− を大きく引き離してのダントツ第1位だ。この「偉業」とも言うべき成果は正直言って大きな驚きだ(世界の人口の5分の1近くが中国人であることを考えれば、さして驚くには値しないのか?)が、まさに「中国の国家的威信ここに極まれり」といった感がある。
 「オリンピック=国別対抗運動会」に凝縮された国威発揚と国民の愛国心昂揚という中国政府の意図はここに見事に達成された、と言えるだろう。

▼ところで、この事実を世界は、そして私達日本人はどう受け止めているのだろうか。日本人のなかには「え、あの中国が…」と羨望や嫉妬を、あるいは悔しさすら感じる人もけっして少なくないと思うのだ。が、もしそうした感情の裏側に中国や中国国民に対する差別的な意識 −かつて日本が朝鮮半島や中国大陸を侵略し植民地化を企図した時代の被侵略者を侮蔑する優越感− がいまだに残っているとすれば、実に残念なことだ。それこそ甚だしい時代錯誤だと思う。

▼振り返ってみれば、東京でオリンピックが開催されたのは1964年(敗戦後19年目、私が高校1年生15歳のとき)だ。その24年後(戦後43年目)には韓国の京城でオリンピックが開催された。それぞれのオリンピック開催が1964年当時の日本人にとってどんな意味をもち、1988年当時の韓国人にとってはどんな意味をもったかを考えてみると、それからさらに20年後(戦後63年目)に開かれた今回の北京オリンピックが中国国民にとってどんな意味をもつものか、それは察するにそう難くはない。
 これら3つのオリンピックの大会を、それぞれの時代にそれぞれの開催国(名目は都市だが…)がどう意味づけ、それぞれの国民がそれをどう受け止めたか、時代や国民の違いこそあれ、そこには「飛躍的な経済成長」、「国家的な威信」、「国民としての誇り」といった共通項があることに誰しもが気づくはずだ。ひとり今回の北京オリンピックだけをとりあげて、国威発揚を企図し国家的威信を世界に見せつけるための政治的なショーだった、と一方的に貶すのはいささか不公平な論評だと思う。

▼むしろ、着目すべきは戦後63年という時間の長さだ。敗戦国の日本が戦後19年目にして東京にオリンピックを招致した −このことは日本が第2次大戦の壊滅的な経済的ダメージから驚異的な復興を成し遂げたことを全世界にアピールした− のに対し、戦勝国にして国連常任理事国(国連=ユナイテッド・ネイションズは「連合国」の意)である中国は北京にオリンピックを招致するのに、実に戦後63年かかったという事実だ。
 戦後19年目の東京オリンピックと戦後43年目の京城オリンピック、それに戦後63年目の北京オリンピックを1本の時間軸の上に並べ、それらのタイムラグ(時間差)が意味するもの、特に第2次世界大戦終結から北京オリンピック開催までの63年という時間の長さが意味するものは何なのかを考えるとき、近・現代において日韓中の3つの国が歩んで来た歴史的過程の違いが見えてくる。
 そして、阿片戦争から第2次大戦終結までの約100年の間、中国が置かれた「甚だしく理不尽」とも言える過去の困難で屈辱的な境遇と今日中国が成し遂げつつある飛躍的な経済発展の誇らしい現状、この2つを重ね合わせてみると、北京オリンピックに熱狂する中国政府と中国国民の意気込みの「過大さ」も十分に納得できるのだ。
(つづく)


≪註≫

映画『北京の55日』:

 私が中学生から高校生だった頃、『モーゼの十戒』、『キング・オブ・キングズ』、『ベンハー』などハリウッド映画では歴史スペクタクルが大いに流行った。『北京の55日』もその1つ、1900年の義和団事変(北清事変、庚子事変とも言う)を題材に、北京城に籠城し一致団結して義和団の攻撃に抗い、耐え凌いだ外国人居住者達の55日を描く。
 英仏露米独伊墺日の8カ国は「自国民の生命・財産を保護する」(他国を侵略するときの常套句、最近ではロシアのグルジア侵攻がよい例)との名目で、軍隊を派遣し義和団を鎮圧したが、義和団の乱を利用して外国勢力の国外退去を画策した清朝のもくろみはもろくも失敗し、利権拡大を求める欧米列強及び日本によってこれ以降清朝の主権はさらに大きく侵害され、中国大陸における清朝の中央集権的な権威は失墜することになる。
 北京オリンピックでは、メイン会場の「鳥の巣」スタジアムに世界204の国・地域の旗が翻ったが、108年前の1900年には英仏露米独伊墺日8カ国の旗が北京城にへんぽんと翻り清朝を威圧した。
 この義和団事変から数えて、オリンピック北京大会は108年目、ちなみに阿片戦争(1840〜42年)から数えると168年目のビッグイベントだ。

梅本 霊邦(JYFA)