「25の小さな夢基金」2013年卒業式ふれあいの旅レポートE [2013年07月22日(Mon)]
![]() ![]() 昆明女子中学春蕾クラスを卒業したばかりの2人と訪れた故郷・シーサンパンナ ![]() ![]() ![]() そして二人がどれほど大きな期待を背負い、故郷から遠く離れた昆明で日々頑張っているのか、痛いほど分かりました ![]() 二人に別れを告げ、一行は昆明へと戻ります… ![]() ![]() 午前の便でシーサンパンナへ戻った私たち。早いものでもう今日が最終日です。 熱々の過橋米線で昼食を済ませ、休む間もなく街へ散策に出かけました。 何度も昆明を訪れている会員の皆さんも、日々めまぐるしく変化する昆明の街の変わり様に驚きを隠せません。 たった3ヶ月で、前あった道がなくなっているのですから。 おみやげ物屋が並ぶ老街(古い町並みを残した通り)で協会のイベントの際使用する民族衣装を買い込み、皆でぶらぶらと買い物をしたあと、市内にあるファストフード店「徳克士(dicos)」で休憩をとりました。 旅の2日目に参加した春蕾クラス卒業式後の交流時間、協会名古屋支部支部長近藤釼一さんが生徒たちに「夏休みはどうするの?」と聞いたところ、 「故郷に帰ります。」と答える生徒の中に一人、「徳克士(dicos)でアルバイトをします。」と答えた生徒がいたそう。ペー族の李喬秀さんです。 なぜ故郷にすぐ戻らずアルバイトをするのか、その理由は尋ねるまでもありません。 徳克士(dicos)で喉を潤しながら、「まさか、李喬秀さんが働いている姿を見られたりして」と、半ば冗談で盛り上がっていると、一人の小柄な店員さんが礼儀正しく背筋を伸ばし私たちのテーブルの横に立って、少しはにかみながら中国語で話し始めました。 「皆さん、すみません。私は近藤先生にご支援を受けていた春蕾クラスの生徒です…」 あまりの偶然に、全員が顔を見合わせて大喜び。 春蕾クラスを3日前に卒業したばかりの李喬秀さんだったのです。 何を隠そう「徳克士(dicos)」は昆明市内の至る所に店舗を構えるチェーン店なのですから、偶然なのか運命なのか... 卒業したばかりの春蕾生が社会に一歩足を踏み出し、懸命に働いている姿に遭遇できたことは、言葉では言い表せない喜びでした。 改めて彼女にエールを送り、一行は店をあとにしました。 李喬秀さんと、「日本のお父さん」近藤釼一さん 夕方からは、昆明支部特命支部長の平田栄一さんに連れられ、 昆明の芸術家たちが暮らす「LOFT」と呼ばれる集合アトリエで、画家の胡俊先生と奥様にお目にかかりました。 昆明の街中からバスで15分ほど行った場所にある「LOFT」はアンティークな雰囲気と洗練されたモダンな雰囲気が調和したとてもおしゃれな建物。 昆明の賑やかな街の喧騒から身を潜める様にひっそりと建っていました。 ここでは、外国人を含む芸術家たちのアトリエが集まり、共に活動をしているそうです。 芸術家として強い意志を持っていらっしゃる胡俊先生のお話を伺いながら、雲南省の様々な場所で描かれた雄大で色鮮やかな美しい作品に触れることができました。 その晩、回族レストランでの最後の夕食会には、胡俊先生ご夫妻と、胡俊先生のお話を同時通訳して下さった雲南大学外国語学院の張麗花副教授もご参加。 「LOFT」は、昆明にこんなおしゃれな場所があったのか、と驚くほどの素敵な建物です 胡俊先生は、昆明では非常に有名な画家でありながら、とても気さくで、主に雲南省の各地を描いたご自身の作品を惜しみなく見せてくださいました レストランにはもう一人の素敵なゲストの姿がありました。 2010年協会創立10周年記念式典の際に日本へ来たこともある春蕾クラス卒業生、ヌー族の劉慧娟さんです。 雲南民族大学に通う彼女は、試験中にも関わらず喜んで夕食会へ参加し、故郷に住むお母さんが織ったヌー族伝統の布を私たちに持ってきてくれました。 春蕾クラスを卒業して1年、改めて劉慧娟さんに春蕾時代の生活について聞いてみました。 「同級生はみんな田舎から出てきて、山も川もない大都会昆明での生活は初めはとても辛かった。毎日夜になれば泣きながら家族に電話してたの。でも、みんな同じ境遇で頑張ってるから、新しい家族ができたみたいに心強くて…だんだん楽しくなってきたんです。」 「大学に入れば、クラスにはものすごくお金持ちの家の子もいれば、私みたいな子だっている。日本の大学生は一人一台パソコンを持ってるんですか?信じられない。テレビを見るのも、食堂に行かなくちゃ見られないんですよ。」 志望する大学に進み法学を学んでいる劉慧娟さんは、そう話しながらも「いつか外国に行きたいんです。」と目を輝かせていました。 その日午後からの試験に向けて、先輩のお下がりの教科書を懸命に読む彼女が少し頼もしくもありました。 |