私の故郷04-世界を愛するために [2010年04月18日(Sun)]
「25の小さな夢基金」支援生徒の作文をご紹介しているこの連載。 第4回目は2年生雷木門さんの大作です ![]() ![]() その4「世界を愛するために」 私は雷木門といいます。自由に憧れているジンポー族の女の子です。 1991年7月10日生まれで、雲南省盈江県新城村の邦瓦二社に住んでいます。邦瓦は新城の東北に位置するとても美しい村で、海抜は1600メートル、新城の村役場から20キロ離れた、ジンポー族の辺鄙で貧しい山村です。 私には家族が5人います。父の雷迷瓦は今年49歳で、母の楊六巴は45歳です。兄の雷翁は今年20歳ですが障害者で、力仕事ができません。弟の雷春財は今年16歳で、太平村の中学に通っています。父も母も根っからの農民です。 ● ● ● ● ● ● ● ● ![]() 故郷の人たちは、ちゃんとした教育を受けたことがないので、みな教養レベルが低いです。小学校さえ行ったことのない人もいます。そのため、彼らは愚かで無知になっています…。特に男尊女卑の考えが根強く、女の子の中には15〜16歳になったら学校を中途退学して家に帰らされる子もいます。愚かな親が、女の子は将来他の家の人間になるのだから学校へ行かせるのは物質的にも労力的にも無駄だと考えているからです。でも男の子はそうではありません。彼らは自由で、選択することができます。それで私も、女の子であることをつらく感じたことがありました。私はここで、女の人たちがどんなに大変かをよく目にしました。朝早く起きて家事をしさらに仕事もしなければならず、それだけでも疲れることなのにそのうえ薪や飼い葉を背中いっぱいに背負わなければなりません。一方、男の人はとても自由です。刀を背に前を歩くだけで、家に帰れば家事は全て女の人がやってくれます。男の人はただ寝転がってお酒を飲み出し、酔っ払ったら大声でどなりつけ、もっとひどいことには女の人を殴ったり蹴ったりします。さらに憎むべきは、生まれた子供が男の子でなかった場合すべて女の人のせいにして咎めることです。生まれたのが男でも女でも同じなのに。このような男の人は本当に憎らしいです。 ● ● ● ● ● ● ● ● 私はこのような故郷の状況に直面して、自分が女の子であることをつらく感じ、不公平な世の中を嫌に思ったことがありました。この現実から逃げたいと思いました。でも逃げることはできないし、なにより逃げてはいけないのです。もし逃げることを選んだなら、それは無責任で義にもとることになります。毅然として大地に立つ「大きな木の門」である私は義理を重んじる人間です。逃げたりなんてできません。私はこの不公平な世の中を恨むことはできません。私がもし恨んだなら、他に誰がこの世界を愛するというのでしょう。愚かで無知だからこそ私の愛と励ましが必要なのです。私は全精力を注いでこの世の中を育み、改造するべきで、女の子であることをつらく思うべきではありません。つらいことだと思ってしまったら、多くの女の子たちの悲惨な状況が繰り返されることになります。私は運命と戦わなければなりません。でももし、この願いがかなわなかったら…自由な人間になれなかったら…? 私は学業継続と中途退学の分かれ道で迷っています。私が寄る辺なく茫然としていたとき、心優しい皆さんが支援してくれました。一番驚き、また嬉しかったのは、はるか遠くの日本の方に支援してもらえたことです。。 ![]() 心優しい皆さんがどうかお元気で過ごされますように。 文:雷木門(夢基金第2期生) 【翻訳:林秀子(ボランティア)】 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 「私の故郷」バックナンバー 第03回 多種多彩!故郷の民族―雷会蘭(タイ族) 第02回 自己紹介―賀金菊(リス族) 第01回 棚田の故郷―呉仙(ハニ族) ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ |