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いまというプロセス[2020年04月17日(Fri)]
Waterlogue-2020-04-11-23-01-15.jpg

対面で人と会う機会が減り、"よそいき"の服装に着替えることもすっかりなくなってしまった今。オンラインのスクリーンには明るい色が映えると、着る服の色に気を使うようになった。メイクをするより、色彩の鮮やかな服を身に纏う方が全体に及ぼす印象がよいような気がして。それに、自分自身のエネルギーが高まるような気がするし。

そんなことを考えたのは、近くに咲くこの花を見かけた時だった。この写真を撮ったのは幾日前のことだろうか。社会が時に迷子になりかけた時には、自然にまなざしをむけるのが役に立つ。料理をするのもいい。食材の鮮度が時の流れを教えてくれるから。いのちは否応なしに流れる時間を教えてくれる。

いま、ちょっとしたことを手掛けながら思うのは、自分のなかですぐに過去になっていくプロジェクトのことだ。たちあげる・育てる・手渡す。まだないものに形を与えることが好きだということ。そしてそれが、共有できるかたちになり、自分の役割を終えたなら、また次のものを生みだすために動いていくということ。

(手渡す)を意識することで、区切りが生まれ、フォーカスも明確になる。逆に自分が十分に発揮できていない時というのは、手渡し先がうまく準備できていない場合だ。そうなると、時としてある意味(義理)のような感覚でその場に携わることになる。よどんでしまうのは、そんな時だ。

今年のうちに手渡したいと考えているものがいくつかある。本当は昨年から計画していたつもりが、法則がみえていなくてうまくいかなかった。今年はつかめますように。実際、3年くらいはかかってしまいそうだけれど、手渡す準備を着実に進めていけますように。

昨日、(さよなら)や(別れ)のことについて書いた。それは寂しさに関係があるような気持ちがした。でもそんなセンチメンタルな側面のほかに、立ち去らずにはいられない性分のようなものも感じている。

そしてだからこそ、帰る場所を持つことが私には大事だ。
ちいさな手ざわり[2020年04月15日(Wed)]
Waterlogue-2020-04-07-12-08-15.jpg

ひさしぶりにこのBlogを開いた。

正確にはこれまでも何度か開いてはみたのだけれど、さわさわ落ち着かない何かが邪魔をして、ここにとどまることを許してくれなかった。

仕事に影響はでているものの、飲食店や旅行業を営む人たちのようのような大きなダメージは私自身は受けていない。それでも気持ちが落ち着かないのは、しばらく実家に帰れないこと、人とあっても距離をおいてしか話せないこと、こんな時期だからコミュニケーションをひかえることがやさしさになるかもしれないと、どこかで自分をおさえていること。などが影響しているからかもしれない。

それらは小さなことだけれど、じわり、じわりと気配が身体にしみてくる。私は前よりレモンチェッロを飲む回数が増えた。あまくて強いお酒は、ほんの少しだけ心をほぐしてくれる。朝には残らないくらい少しばかりのお酒。

普段より少し呼吸が浅くなっているせいだろうか。アロマをいつもより強めに焚くようになった。今日は無性に檜の香が恋しくなり、ふと、部屋のなかで立ち尽くす。外出は控えるべきだ。けれども、オンラインでする買い物はとてもさみしい。お店の人がとてもこころを込めて紹介してくれるものを買うのが私は好きだ。その人が本当に大好きなものを売っているんだなあと実感する空間に足を運ぶのが好きだ。仮にネットで買うとしても、私は愛すべく人たちから買いたい。どこの誰か知らない人が、もしかしたら誰かを犠牲にしているかもしれないシステムのうえでつくっているものより、関わる人たちがそれに関わることそのものを愛しているような循環から生まれるものを手にしたい。以前から気にかけていたつもりであるが、この時代になってなおいっそう、そう感じるようになった。

否応なしに押し寄せる変化のなか、私たちはつい、"必要に迫られて変化を遂げている"ほうにばかり意識を向けてしまう。でもその影で日々行われていることのもうひとつの側面とは、実は、限りない決別なのではないだろうか。

いままで当たり前と考えていた現実と名づけられた物語は、しらないうちに背中の向こうに通り過ぎてゆく。もちろんそれを取り戻そうという動きもあるかもしれない。けれども一旦(さよなら)と言葉にするために立ち止まってはどうか。いや、むしろ日本人らしく(さよなら)にふさわしい(儀式を) ----何につけても儀式という装置は有効度が高いのかもしれない ----メモリアルに刻印しておくことも必要なのではないだろうか。

私のどこか一部が、(さよなら)という言葉、(わかれ)という言葉を発したがっている。そしてもうひとりの私の冷静がいう。不協和音を言葉にしたくなるくらいの寂しさがここにあるのだということを。

写真は、展示が始まったばかりの頃にとった大野象平さんの器。とても美しく、また眺めにこようと思っていたうちに、出歩くことの自由がしばし幕をおろしてしまった。
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