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日本の色彩とオーラソーマ[2013年12月22日(Sun)]
日本の色彩とオーラソーマをテーマとしたシェアリングデーに参加してきました。

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日本の伝統色については、サイトや書籍もあるので、手軽に調べることができますが、「どうしてそのような名がついたのだろう?」と立ち止まってみると、そこには必ずものがたりがあり、人と自然との出逢いがあり、作業や仕草の息づきがあり。現代のような類いの(忙しさ)がなかった昔の人たちが、どのように時を満たしていたのか、そのひとつの答えを見つけるような趣があります。

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オーラソーマのボトルと、それに対応する色彩の和名を並べてみたり。「かさね」の色目から、自分なりに名前をつけてみたりと、色との出逢いを楽しませていただきました(黒と金色で(卒業ボタン)なんて名をつけてみたりとか)。

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最後には二十四節気七十二候と星座と色彩の関係を探求してみたり。知識的な正確さというより「遊び心を持って楽しむこと」なのかなと、自分なりには解釈しています(自然の法則について、私たちはつねに探求者ではあっても、絶対論者には成り得ないですから・・・)。

いま、世界から少しずつ失われているもののひとつに、こういった「色彩の多様性」もあることと思います。

お正月が近づいていて、里帰りをする人たちも多いだろうな、と思いつつ。「ふるさと」をどうやって守り続けられるかしらと、未来風景を思い浮かべました。
土地と色彩と暮らしの輪郭と。[2013年07月15日(Mon)]
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月末から数日間、バングラデシュを訪れることになりました。昨年創設40周年を迎えた、とある国際協力NGOとのご縁からです。

世界のあちこちに出かけたことがある複数の方から「バングラデシュは自分にとって特別な土地」という言葉を受け取り、この人たちの心にそれほどに印象をもたらす土地とは、そしてそこにいる人々や暮らしとは何なのだろうと考えました。そして、体験せずに言葉をつづるなんて、咀嚼を省略する気持ち悪さを抱えることになるなんて嫌だと思いました。

だから、ほかのプロジェクトでご一緒している方にはご迷惑をおかけしてしまいますが、数日の間、出かけてくることにしたのです(場を提供してくださる皆さま、本当にありがとうございます)。

さて。そのバングラデシュに関わることを調べているうちに、ふたつの記事に遭遇しました。興味深いことに、いずれも「色彩」に関わるものです。

ひとつは、国連大学メディアOur World 2.0に掲載されていた記事。そのタイトルは『いろんな水の色:バングラデシュの皮革工場』

もうひとつは、『Story of She』

どちらも色に関わることが記されていますが、それぞれ、とても異なる色彩のことを伝えています。

『いろんな水の色』の記事で紹介されている水の色とは、皮革加工工場の排出する有毒化学廃棄物によって色づけられたもの。

『Story of She』で紹介されているのは、アーユルヴェーダソープの工場で働く女性たちのものがたり。彼女たちがどんな人であるかを紹介する記事の最後には、いくつかの質問があり、その中のひとつに「好きな色」とありました。ターコイズブルーとか、オウムグリーンとか、赤とか。

「色彩」という切り口から浮かび上がる、異なる暮らしの輪郭。

色はもっと、探求を求めているのではないか。そんなことをふと考えた一日です。

三連休の最後の一日は、部屋の掃除と読書にあてました。読み終えた本の山。こういう「山」は、嬉しい。
「時」を巡る概念について[2012年07月21日(Sat)]
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鎌倉に引っ越したことで縁が深まり、学びの共とすることになったオーラソーマ(きっかけはこちらのサイト。よくみると、住所が由比ケ浜。私の暮らす長谷のすぐ隣です)。今日(7月21日)はひさしぶりにボトルたちとじっくり向き合うひとときを過ごしました。

色彩のメッセージを頼りに、特定のテーマを掘り下げてみるという密かな試み。今回はテーマに「時間」という概念を選びました。

私たちは「時」や「時間」というものにどのような概念を抱いているのでしょう。何気なく手にしたボトルの色彩をヒントに、イメージを深め共有していきます。そこに新たな問いを加え、イメージがどのように変わるのか感じ取ってみる・・・。「オーラソーマ」そのものではなく、オーラソーマのボトルに表現される色彩をヒントに、「言葉」という鍵を用いて展開を探るアプローチです。

同じものをみつめていても、概念を切り替えることで目にうつる印象が異なってくる・・・。カメラのレンズを換えるような発見の感覚。

好きなものをいつまでもずっと好きでいるのって、そういう切り替えのセンスが活きるのかもね!なんて、いたずらに考えました。

オーラソーマカウンセリングのご案内はこちら。旅するような時間を歩みたくなった時にご活用ください。
色を連れて歩く。[2012年07月14日(Sat)]
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三連休ということでひさしぶりに故郷の宇都宮に帰りました。金沢に暮らす妹が帰省するということもあり、オーラソーマの出張セットをスーツケースに詰め込んで出歩きます。111本もあるボトルを持ち歩くのは重たいけれど、広げればいつでも行き先をセッションルームにできることが色を連れ歩く嬉しさであり「大変そう」と言われてもやめられないことのひとつです(哀しいかな、腕と肩が筋肉痛ですが・・・(苦笑))。

「直感で4本、気になるボトルを選んで・・・」

色彩を頼りに心の内側を読み解く旅は楽しいです。同じ風景を歩いているようなのに、同じ空気感に包まれているようなのに見えているものや感じているものは違くて。私たちはそんな、微細さの重なり描くもどかしいような絶対のような感覚を共有しながら生きているのではないでしょうか。オーラソーマのボトルを前にすると、そんなことをつい考えてしまいます。

色彩と言えば、今年は本当に随分と長いこと紫陽花の存在を意識し続けているような気がします。リオに出発する前「帰ってきたらピークは過ぎてしまうかも」なんて考えていたのに、今もまだずっと、毎日まいにちの風景を、土壌と水の呼吸のようなこの花の色彩が漂っている。そんな紫陽花たちが彩りをおとなしくさせる頃、子どもたちの夏休みが始まり、今度は朝顔やひまわりたちがまちの風景を鮮やかにすることでしょう。高くを見上げたり、蔦の這う壁沿いを眺めたり・・・視点もきっと、花たちを追ってたくさんのアングルを得るのでしょう。

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実家の近くに、クロコムラサキという蝶の生息する地域があります(なんと、こんな素敵なHPを発見してしまいました!)。「ヤナギの木のあるところにいるのだよ」と父に連れられ、しばらくの間、木の下で蝶が現れるのをどきどきしながら待ちました。残念ながら遭遇することはできませんでしたが、こんな風に地域の人たちが蝶や野の花を大切に守り生活しているところを故郷に持ち、自分は本当に恵まれているなと有り難く思います(そんなことも、暮らしていた頃には何も気づかず「田舎には何もない」なんて吐き捨てるように言ってごめんね)。

「あたりまえ」の日々の営みがこんなにも多くを含み、けれども余計な装飾は必要とせず静かで。私の日常にはそのような慎ましやかな美しさが欠落しているように思えて、恥ずかしい気持ちにもなりました。

故郷の放つ音色に耳を傾ける夜です。

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(ヤナギの木。とても近くてちゃんと知らなかった存在)
色彩との出逢い[2012年07月03日(Tue)]
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(毎年必ず訪れている貴船神社。赤と緑のコントラストが印象的)

色彩に関する論文を書き進めるための記録として、これから少しずつ「色彩のこと」というカテゴリーにて記していこうと思います。

記憶に底に残る色・・・。私の場合、その最初の記録は幼稚園の頃に遡ります。いつも紫色のワンピースを着ていた女の子。彼女の周りにはいつも男の子たちの存在があって、お姫様のような雰囲気が漂い、とても「大人」に思えました(幼稚園生だというのに!)。それから、母方のおばあちゃんが亡くなった時のこと。まだ死というものが分からなかった私は、お葬式でおばあちゃんは白い菊の花がいっぱいに入った棺桶の中でまるでお姫様のように穏やかな顔をして眠っていているのをみて「綺麗・・・」とうっとりとして見とれていました(まわりの人たちがどうして泣いているのか理解ができないまま)。そしてその風景にもやっぱり、お坊さんの身につけた紫色が(橙のような色と一緒に)不思議な存在感を放っていました。小さい頃の私にとって、紫は遠い存在を、白は憧れと安堵を思わせる印象深い色でした。同じく幼稚園の時、オルガンを習っていたのですが、その時にも、音を聞きながら色を感じることが当たり前のようにあって、他の人が必ずしもそのように感じているわけではないことが不思議に思えていました。

私に限らず、子どもというのは色彩に対して生理的、直感的な反応を持っているのだろうなと感じることがあります。それは例えばおりがみを広げた時。キラキラとした金や銀はとても人気があって「これがいい!」と急いで手を伸ばす子どもの顔の元気さは微笑ましいものです。

+++

私が「色彩」というものにただならぬ関心を抱いた最近の記憶は、振り返ってみると既に7年も前、妹との二人旅を楽しんでいたころに遡ります。

京都・三千院では円融蔵の天井画の復元図に驚かされました。京都の寺院というと古びた木造建築に描かれた色褪せた宗教画という錆れた美学を思い浮かべますが、そこで目にしたのは真っ青な背景に赤やパステルカラーまでちりばめられた色鮮やかな壁画だったのです。これが、その古い建物の内壁を埋め尽くしていたなんて・・・。「やっぱり寺院って落ち着くねえ・・・」。そんな暢気な台詞も、その復元図を見たことで「こんな色彩に囲まれていたら、きっと、そわそわしちゃうよね?!」に即座に切り替わりました。寺院には曼荼羅図など華やかな色彩が用いられたものが多いことは書籍で読んで知っていたはずだったのに、この時ほど色彩の存在感を意識させられたことはなかったのかもしれません。

それから、もうひとつのきっかけは妹とチベットに旅行することを決めた時のこと。2005年9月の出来事です。ガイドブックを買って、チベットというキーワードで本を調べているうちに密教に関心を持ち、その領域に詳しい宗教学者正木晃さんの講演会に足を運びました。その講演のタイトルは『風の谷のナウシカの宗教学』。配られたシラバスには「霊性の色彩学」という項目があります。

王蟲の目の色が怒りの中では赤に、静謐の時は青になっているということ、ナウシカの着衣が水色(淡い青)からピンク(淡い赤)、そして濃い青へと変化していることについて。青は処女性や純潔性を表す色であり赤は愛欲や激情を表す色であり、この色彩の変化はキリスト教図象学でも語られているそうです。人間性の復活が提唱されたルネッサンス期の絵画では、聖母マリアが赤い衣を身につけているという傾向が見られるとのこと。ナウシカのラストには一面黄金色の風景と黄金の触手を伸ばす王蟲が登場しますが、金というものはもっとも変わりにくいものであることから、永遠の生命の尊重、最高の聖性を表す色とも伺いました。色彩という観点から見直すと実に多くの「秘められたメッセージ」があることに驚きます。

正木さんの話も大変興味深いものでしたが、実際に訪れたチベットもまた色彩において非常に印象深い土地でした。チベット密教の極彩色を基盤とした強烈な彫刻、絵画は思考を超えて全身に浸透するエネルギーを放っています。そしてそれらにふんだんに用いられている赤や青の装飾は、海底が隆起してつくられたというチベット山脈の赤珊瑚、チベット・ブルーとも言われる青空そのもののようなラピス・ラズリトルコ石によってつくられいて、そこには色彩の波動に加え「大地に蓄積された凄まじい時間のエネルギ−」が込められているようでした。

+++

色彩のことを学ぶようになって、色は眼→脳というルートだけではなく、皮膚によっても認識され心身に影響をおよぼすということを知りました。京都やチベットで体感した色彩の放つ無言のメッセージ。それは確かに、視覚というよりも全身が感じ取ったものと言えます。

私たち人類は「集合的無意識」と呼ばれる「人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域」を共有していると言われています。その集合的無意識とは、無言のうちに織りなされる(つまり、音が世界を拓くよりも先に認識される)色彩との会話を通じて育まれたのではないでしょうか。であるならば、色彩という光の言語を媒体にすることによって「言語による表現力」の優劣の影響を受けずに、心の深い部分にある微細に触れることができるのではないでしょうか。そのような仮説が、いつからか私の心に存在するようになりました。

関連書籍:
はじめての宗教学 ー『風の谷のナウシカ』を読み解く 正木晃

追伸1:
ポタラ宮、ジョカン寺もさることながら、強烈に印象に残っているのが霊力の高い女神として信仰されるタプチェ・ラモ。こちらのページに画像が掲載されています。女神のイメージを超えている!

追伸2:
すっかり忘れていたのですが、関連することについて、昨年の5月に別のブログに「祈り」という名で記した文章がありましたのでここにリンクを紹介します。 
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