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包まれるように[2020年01月22日(Wed)]
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(はやい)からも

(おそい)からも自由な時間が

あなたといると、あるのだよね。
新しい年へ[2020年01月05日(Sun)]
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新年、明けましておめでとうございます。

2019年は、クリスマスのあたりから年末の気配が色濃く、時間の流れがゆっくりになり、そのゆっくりさ故に一年を事実とともに振り返るタイミングを捉えられないまま過ぎてゆきました。昨年末年始はタイのプラムビレッジというところで過ごしたので、久しぶりに日本(鎌倉)で過ごす大晦日と元旦がとても新鮮で、一年で一番好きな時間をじんわりあじわう宵と朝でした。

2019年の手帳を眺めて感じ取ったのは(コラボレーション)(交わり)(立ち止まること)というキーワードです。

2018年からバトンを受けとったLove Smart Cardsを通じたつながり(鎌倉・京都・福岡・東京など)。

SDGsや医療、ストレングスファインダーやTEAL組織、ファシリテーションといった分野におけるコラボレーション。NVC大学プロジェクトの本格的な始動。

NVCは海外のトレーナーとのコラボレーションも多い一年でした(Marie Miyashiro (NVC & Business)、Martha Lasley(Facilitation)、Dian Killian & Liv Larsson (Earth Empathy Project)、NVC Advent Calendar Project 。海外トレーナーと共に歩んだプロジェクトとしてはほかに Jim & Jori Manske夫妻を招いてのメンタリングセッションやNonviolent Leadership Retreat for Social Justiceなど)。私にとってNVCの原点でもあるNVC Dance Floorの深みを受けとる合宿もありました。それから、香港で活躍する仲間から聞いた葛藤や挑戦など。それぞれ個性豊かなメンバーが、どのようなことに想いを抱え、どのように道のりを歩んでいるのかに触れる時間をたくさん持てたことは、大海原につかるような豊かさ、深みを教えてくれるおおらかな体験となっています。

思いがけなかったこととしては、海士町に二度も訪れたり、TEAL Journey CampusでNVCのワークショップを担当したり、ETIC.さんのイベントでNVCのミニプレゼンをしたりといったあたり。それらは支流が交わるような自然さで人生のなかにひょんと舞い降りてきたような感覚のものです。

よく、あちこちを訪れていると思われがちですが、振り返ってみると実際に訪れたのはタイ、名古屋、三重(伊勢神宮)、京都、福岡、長崎、山梨、島根(海士町、出雲大社)、宮崎(宮崎市、高千穂)、中国(重慶、北京)、奥只見、シンガポール、マレーシア(クアラルンプール)、大阪、ベルギー、広島といった感じ。それでも自分としては、あまり活動的でない時間が多い印象で、そんなに動いていないなあという感じがしています。むしろ、閉じこもっていた一年でした。

おばあちゃんが入院したり、地元でSDGsの講演をいくつか行ったりと、ふるさととの距離が少し変わり。それから、NVCと出会う前に関わっていた環境やNGOといった活動にもう一度つながりなおす流れをとても小さく動かし始めたのもこの一年でした。

(とても小さく)だとか、(閉じこもること)にはきっと大事な意味があって、何故なら、その段階でつかんでいた感覚で駆け出してしまうと消耗しそうな危うさがあったから。それなりの手応えはあるものの、自分の中心軸とカチッとはまっていない感覚のまま動くのはよくない気がしていて、今もいくつかのことがらについてはその感覚があるので、たぶん何かが剥がれ落ちようとしているのではないかと思います。

年の終わりに少しだけ一年を振り返ってみたら、これまでの10年とここからの10年の潮の変わり目にいる感じがとても強くあることを感じました。これまでというのは、2008年くらい、名古屋に越したあたりからの流れ。ここからの自分にとって大事なのは、物理的なつながり、共鳴、触れたり交わることの中から体感的に掴み育んでいくもののなかにありそうです。比喩的なようですが、時計の針の音のようなものが聴こえる感覚があって、それは何かしら重要なシグナルであるように思うのです(ほかに鳥の羽ばたき、水のせせらぎ、風の通りすぎる感覚が時どき訪れ、何かの注意を促しているのを感じます)。そういえば、未だ謎が解けていないのだけれど、生と死を予感させるあのイメージ(前方後円墳とたね)は何を意味しているのだろう。

今日は久しぶりに随分と具体的なことについて書いたのですが、ひとつ断りをすると、ここに書いている個人的な人間関係についてのことは、できるだけやわらかに、具体性が伝わりにくいようにしているところがあります。さらにいうと、フィクションであることも多いです。

それはとりわけ大切なひととの関係に関して言えることで、自分にとって大切なひととの関係とは、秘められた領域であり、聖域のようであり、その間に通わせあうものは(糸でんわのような繊細さ)で確かめあっていたいようなものだからです。糸でんわのよう、というのは、お互いの意識が通うところに生まれるつながりといった意味で、つまり、誰かがそとからあれこれ言えることではない、そういう凜としたものであることを明言したい。

それから、もう一つ。自分が大切にしたいものの一つに(美)というものがあります。人が人を見下して笑うところは、とても醜く残念な姿に思えます。その呪縛から自由になることを、私は(美)と定義したいと思うのです。

最後に。フィンランドの新首相サンナ・マリンさんのツイートに、こんな言葉がありました。

”The strength of a society is measured not by the wealth of its most affluent members, but by how well its most vulnerable citizens are able to cope. The question we need to ask is whether everyone has the chance to lead a life of dignity.”
(社会の強さとは、最も裕福な人たちの富によってではなく、最も弱い立場の市民がどのように暮らし得ているのかによってはかられる。問われるべくは、すべての人が尊厳ある人生を送る機会を得られているのかということだ)


私はこの言葉にとても強く共鳴します。

新しい年を迎えるにあたり手にしているのは、パウロ・フレイレ(被抑圧者の教育学)。情緒的なというよりイリュージョンを振りほどくための五感が、今とても目覚めたがっているようだから。

人との出会いは天文学のよう。近くにいても気づかず通り過ぎてしまえば次に交わる時がいつ訪れるのかはわからない、果てしない空洞のようなもの。だからこそ野生的に生きていこうと誓う、2020年1月5日の夜でした。

よろしくね、2020年。

こころをこめて。
手のひら[2019年12月30日(Mon)]
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じゃんけんをするといつもパーばかり出す子とたくさん遊んで、今年もあと一日になろうとしている。その子の読める漢字のひとつが“手“で、形を確かめながらその字を見つける様子がかわいい。

今夜は霧が濃くて電車が少し遅れた。すいていて、歩く人もゆっくりな地方の駅のホーム。ポケットに隠れたりしてる手のひら。

一個だけ、こころに残された刺があるとしたら、それはどれだろう?

尋ねてみたら、何かが緩んだ。

神さまに話しかけた時に少し似ている。
膜の向こう[2019年12月29日(Sun)]
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一年が終わろうとしている。

ずっと同じ
波打ち際に佇んでいるようで、

新しい言葉がもう
紡げなくなってしまった。

それが望むものかどうかは
扉をあけてみないことにはわからない。

それには勇気がいるけれど

風と音に直接触れないと
世界が小さな部屋みたいになってしまうから

転んでもいい
飛び込め。
となりの足跡[2019年12月27日(Fri)]
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年の瀬のこの時期は
人生に寄り添うひとの近くで過ごす時間に
いつもより一層意識がむかいます

そうするとリズムが
ふたりで歩く速度に近づいていく

持っている鞄もできるだけ小さく
iPhoneを手にする時間もぐっと少なくなるのです

普段は選ばないフレーバーティーをいれてみたり
ギャラリーを訪れて、使うのが緊張してしまうほど
美しい器を手にしたりする

西日が射してあたたまる部屋に
ぺたんと座って

ただ本をめくる音が
空間を満たす午後

おしゃべりしている
背中の温もり
クリスマスおめでとう。[2019年12月24日(Tue)]
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クリスマス賛美礼拝が、一年でトップ10に入るくらいに大好きです。

クリスチャンではないですが、普段から礼拝の空間、場を満たす祈りの空気にはとても惹かれるものを感じています。

牧師さまのお話(説教)からいつもインスピレーションをたくさん受け取るし、ああいう"場"の存在がどういう意味を持つのか、そこに集う人たちがわかちあうものとはなんなのかなど、さまざまな想いが巡るから。研ぎ澄まされた祈りの空間が美しいから。

クリスマスの賛美礼拝はキリスト教徒でない人にも馴染みの深い賛美歌がたくさんあり、また、私の通う教会では、礼拝のあとに地下の広場で軽食を楽しむ時間がありとてもあたたかいです(お菓子をつくるのが上手な方がいらして、手づくりのシュトーレンがとてもやさしかったです)。

今日は初めて出会って以来、私がこの場所に足を運び続ける大きな理由の一つにもなっている貴婦人Aさんにも久しぶりにお会いすることが叶いました(そして"時折あなたのブログを読んでいますよ"と声をかけていただいて、とても恐縮したのでした)。

「クリスマスの喜び」をテーマにしたこの日の牧師さんのお話は、羊の話に及びました。当時の暮らしに欠かせぬ存在であった羊、そして、羊飼いたちのこと。

主イエス・キリストの降誕の知らせを天使たちから最初に告げられた彼らは、とても大変な仕事(現在でいうところの6K)に就く人たちでもありました。野宿をして時に危険に身をさらしながら羊を守り移動して暮らす人たち。そういった彼らに天の知らせはもたらされたのです。羊飼いたちはそれを祝福として受けとめ、信じてベツレヘムへと訪れます。しかし、いうなれば身分の低い彼らによって目撃されたこの祝福の物語を、人々はどどのように受けとめたことでしょうか。階層の高い人たちによって語られたとしてもにわかには信じがたいようなこの物語をーーー。

この話を通じて、(羊飼い)という存在がこれまでよりも深い意味を持つものとして響くようになりました。

この日、世界のあちこちに、このようにろうそくを灯して人々の集う場が地上を照らすことを想い。宗教という名の下に集うことが不安や危険と隣りあわせにある人たちのことを想い。理由などなくとも、互いの温もりを確かめあうように頬を寄せあう人たちのことを想い。

メサイアを聴きながら、夜は静かに更けてゆきます。

サンタさん、忙しく長距離はしってるかな?枕元、スタンバってるからよろしくね。

クリスマス、おめでとう(メリー・クリスマス!)

(写真は、近くのカフェで教えてもらったスウェーデンの伝統的なクリスマスの飾り。ヤギを表現していてユールボックというのだそうです)
鏡の対話[2019年12月22日(Sun)]
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昨日「会いたい」と「会いたかった」という題材を思いついて書いた。

そこに出現する「ふたつの正反対のストーリー」がおもしろいなと感じたから。

「会いたい」が「会いたかった」に変わるとき。

「やっと会えたね」が浮かぶのか

それとも

「会いたいという気持ちは過去形になってしまった」が浮かぶのか。

この興味深い差異について

あなたは何を思うでしょうか。
通過[2019年12月22日(Sun)]
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会いたい



会いたかった

に変わる

時間の川が

二人の間に流れてる
パジャマのままで[2019年12月17日(Tue)]
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こんばんは。

今日は明け方雨だったけれど、午後になると霧のかかった日差しに包まれ、まちはとてもやわらかでした。そちらはどんな風景にいますか?

今朝はとても不思議な夢をみました。

海を泳いでいる。とてもとても大きな波が突然やってくる。一瞬慌てるけれど、大丈夫、潜ってやり過ごせばいいんだと、深呼吸して潜り込んだ水中から上をみる(空からの光をあびて、波が通り過ぎるさまがとても綺麗)。まわりに中学時代の同級生が何人かいて、あの独特のはにかんだ笑顔はN川君?A原?などと記憶を辿る。知らない場所(今回は異世界の宮殿のような場所)に紛れこみ、出口を探してる。と同時に、誰かのことも探しているみたい。その人をおいては逃げられない。。。人ではない何か(いきもの?)がおともしてくれている気配を感じる。。。

夢から覚めてしばらくの間、現実との区別がつかず、どこにもない世界の住民のようになっている時間はとても不思議です。いつだったか、その混ざった記憶のなかで会話をはじめて、噛み合わないこともあったよね(目覚めていきなり(どの便にのればいいの?)みたいなことを言っていたような気がする)。

そういう(すきのあるところ)を私ももっとみたいので、もうちょっとだけ(油断だらけ)になってもらえないでしょうか?

ときどき、わき腹をくすぐりながら、そんなことを考えています。

写真は広島で泊まったホテルのカフェ。川沿いにあってモーニングがおいしいんだよ。
夜の12月。[2019年12月16日(Mon)]
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ホットココアを頼む頻度があがるこの頃。

この時間に聴きたくなるのは小谷美紗子で、なかでも「子供のような笑い声」がとても響く冬の夜です。

あまいチョコレートを食べると、苦いコーヒー、もしくは渋めのワインが恋しくなる。この曲を聴くとさらに(今日の気分からかな?)ブランデーが欲しくなってくる。

抱きしめても覆いきれないほどの凍えを、内側から熱せよ。

***

力がはいらないのは、越えられないと"決めた"山にたっているとき。

越えさせてくれるのは、その頂に抱かれた光景への憧れがあるから。

今宵は憧れに抱かれて眠ろう。

差し伸べられた手を掴む、確かな感触とともに。
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