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on Empathy[2017年02月14日(Tue)]
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締切をたくさん抱えながら(今週はピークかも)、それでも、自分の気持ちを"いま・ここ"に落ち着かせようという流れとしてついつい行ってしまうのが、朝の静かな時間にNVCのテキストや書籍に触れるということ、それを自分の中で反芻するという行為だ。そこから、自分とつながり、意識を持って世界を展望する。

今朝のテキストはこれ。NVCでいうところのEmpathyについて。
http://en.nvcwiki.com/index.php/Empathy

昨日のLeadership Programのテレクラスで扱った"Empathy"というテーマを深めるために読んでいるもの。Empathyは共感と訳されたりするが、NVCでいうところの共感は、一般に使われていることよりすこし深い意味合いを持つ。

"Empathy is a quality of being present with someone, and going as deep as possible with what is most alive in the moment. One way we support this "going deep" in Nonviolent Communication is by inquiring about what need is present"

さらに、マーシャル・ローゼンバーグの師、カール・ロジャースの言葉として"Understanding with a person, not about him"という言葉がでてくることも興味深い。"共にあるということ"。その瞬間に起こっていることに深くつながり、共に在るということ。

NVCは自分にとってもっとも納得感の高い世界観を提示してくれていて、これにフォーカスする時間を持つことが、人生への信頼を取り戻してくれていると、強く感じる。この先の人生をこのようにいきていきたいという確信。

4月から開始する予定のコースの構築をしている。基礎編と、それから、経験者向けには現在受講中のLeadership Programからのインスピレーションから構築したリーダーシップをテーマにしたものと。おそらく、どちらも3ヶ月ほどのコースになる予定(定員は5-10人の間)。

こうして取り組み中の作業についてもシェアすることで、時を豊かにするためのアイデアとつながる機会が増えそうな気がして、勇気を出して書いてみました。

今日もよい1日を。
Posted by makiko21 at 07:18 | NVC | この記事のURL
尊厳と、支援と。[2017年02月12日(Sun)]
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Bay NVC Leadership Program (LP) からの余韻の中にいる。2月12日。帰国してから、まだ5日。

山奥でのリトリートは、確かに世間から離れた世界でのできごとだったけれど、私にとってあの学びは、"私が "というより"私という人生が"参加したもので、それはこの日常と限りなくボーダレスな世界にある。

高校時代、交換留学でアメリカ(アラスカ)の高校で学んだ日のことを思い出した。言葉が通じなくて、でも、耳だけはなんとか追いつけるところもあったので"Makiko?彼女に言っても意味通じないし、放っておこう」何て言葉をクラスメイトが発するのを聞いてひどく落ち込んだこととか(そしてその落ち込んだ気持ちも表現できずただ自分を責めて過ごしたこととか)。学校にいくことを、罰ゲームみたいと感じつつ、日本への手紙にたのしいことを書いて慰めていたことだとか。あの頃と比べたら随分臆せず話せるようになったけれど、いまだにLとRやBとVの区別はでたらめで、Liberalという発音が通じなくって、"ひゃあ、難しい、英語!"と、ここぞとばかりに"日本人の特徴"をアピールしてみせたり。

英語でのコースを受ける体験がはじめて、という日本からの参加者もいたので、ついつい、通訳でサポートしようとする自分もいた。サポートだとか、貢献したいという気持ちで動いていたつもりだけれど、私は、その人たちの心の声を訪ねることもなく動いていたのかもしれないと気付かされたのは、ある参加者から、「言葉を超えた、もっと深いところで通じ合えることを味わいたい」という言葉を受け取ったときだった。ああ。私はなんて、表面的なレイヤーでの"理解"に心を奪われていたのだろう。そして、"英語ができること=困っている人を支えられる"と思い込んでいた自動思考に、恥ずかしさを覚えた。私、なんのためにここにいるんだっけ?そう。"ひととひとと、こころを通わせるコミュニケーション"というものに惹かれて、その実践を身につけるということが、目的のひとつだったというのに。

LPの学びで、私が素敵だと感じたのは、日々の暮らしのささいなやりとりのなかに、気づきや、行動をみつめなおすきっかけをたくさん味わうことができたことだ。どうしてそれが起こったのだろう?意識的になったから??

ひとつには、コースのはじまった日の夜、とあるアシスタントのひとから「あなただったら、どうしたいの?」という問いかけを受けたことに理由がある。とある困りごとに直面し、私はそのアシスタントの人に("アシスタント=助ける役割を持つひと"へのリスペクトのつもりで)相談を持ちかけた。その時、「アシスタントは別にそういう意味でのサポートに入るわけではない」のだよ、ということを教えられた。それを解決する方法を私は知っている。すくなくとも考えることができる。だったらそれを表現する行動とはなんだろう。LPで感じ取ったものは、行動という言語活動へと、意識を向けてくれることだった。そこから私にとって、このプログラムに対するスリルな気持ち、挑戦のこころにぐいっとギアがはいった。"解けないふりをするのは、やめよう。自分への信頼を取り戻すのだ"。

さて。昨日は鎌倉に暮らす友人と"支える"ということについて話す機会に恵まれた。それも、ふた組のひとたちと。

NVCも、あるいはそれ以外のことも、"切実に必要とする"状況にある人が、それを手にするアクセスを持たない、ということはよくある。お金、時間、情報、精神的な状況、などなど。では、それらの状況にある人を"支援したい"と思う気持ちとはなんなのだろう。

"支援"あるいは"支える"という言葉に、私たちはつい、"持つものが持たざるものを支える"というイメージを描きたがる。そしていつしか"支援から自立を促さねば"などということを語り出す。

本当にそうだろうか。

私がNVCや合気道に惹かれるのは、そこに、Power Over(力による支配)をPower With(調和)へと転換する世界観を感じるからだ。Power Withの世界には、優越や力の上下関係はない。そこは、各々のいのちの尊厳で満ちた空間となる。

"支援"という言葉は、しばしば平和的なやさしい顔をした "権力構造"をつくりやすい。貧しい人に施しを与えよう、という考えは、その人の尊厳に対するどのような眼差しからもたらされた姿勢だろうか。そういう一見ささいで重大な違いに、意識的でありたいと思った。

このPower Withの世界をつきつめると、経済活動だとか、社会で起こっていることに、これまでとは違う視点から関心が高まってくる。

私が知っていることって、ほんとうにほんのわずかだ、ということが、可能性にも思えてくる("知っている"ことを解き放つことの力よ)。

そんなどきどきを抱えながら、電車に揺られる日曜の朝。これから、企業組織に対してNVCを伝える講師となるための講習をうけてくる。

写真は、LPで、講師やアシスタントが朝のミーティングをしていた場所。彼らはこのミーティングを参加者が観察者として参加する場としてひらいた。私たちの生きる言葉は行動において強い力を発する。その隠しようのないことばを開示した彼らの姿勢に、私は深く敬意を表する。
Posted by makiko21 at 07:46 | NVC | この記事のURL
教育とNVC:ルイーズ・ロマンさんの講座を受けて[2017年01月16日(Mon)]
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ヨーロッパを中心に、教育分野で活躍するNVC公認講師、ルイーズ・ロマンさん。イギリス人の彼女は、現在フランス在住で、ここ1-2年は、フランスの公教育機関の先生向けにもNVCを教えているという。プライベートで日本を訪れるという彼女からの「もし興味があるなら、NVCをシェアする場を好きなようにアレンジしてね」とカジュアルな提案を受け、急遽ワークショップの開催が決まった。告知から1週間ほどで、京都、大阪、東京、すべての会場が満席。関心の高さが伺える。

参加者は、先生や講師として直接教育現場に携わる人、子育て中の人、企業で人材育成に関わる人たちやフリーランスで働くひとなど、さまざま。教育という普遍的なテーマ領域でどのようにNVCを生かしているのか、実践に活かしているのか...。

ここに記すのは、私が今回、運営側として関わった東京のワークショップから、気づいたことのメモ。

***

ルイーズは(私が思うに、往々にしてNVCの講師の多くは)事前にワークショップの内容を細かくプランしない。その場に集まった人たちみんなのニーズを知り、それを充たしあうためにどういった流れを構築するか。そのライブな感覚をとても大切にしている。

今回は、参加者全員の名前、どこから来たか、そしてどんなことに関心があるのかを時間をかけてききとる(「311のあと、暮らし方を見直した」という参加者たちも多く、後から聞いたら、このことは彼女にとっても印象的だったようだ)。

スタートは、自由(freedom)というニーズ(生きていく上で大切なもの)について、3人組に分かれて話すワーク。

自由とは自分にとってどんな意味のあるものか。それが満たされていることをどんな風に感じ取るか、それを大切だと思うようになったのは何故か。自由であるためにサポートになったものは何?

これを、ひとりが10分ずつ話す。3人で30分。それぞれの話がインスピレーションを与えあう感覚。私のグループは「自分史」を語ることから「自由」についての探求になった。つまり、自分の人生を突き動かしてきたモチベーションとの関係から。

私にとってそれは、幼い頃には「先生や親から誉められること」だったし、いい学校に進むことでもあった。でも、そんな風にして大学に入って「なんでも自由にしていいよ」となると、かえって困ってしまう。「自由に好きにする」ということで誉められる(つまり、承認を得られる)感覚をあまり体験してこなかったのではないか...。好きなものがある人が羨ましい...!そして、社会的に意義がありそうなもの、誉めてもらえそうなものに、なんとなく惹かれていく。そういう人生だったのではないか。そして、そこから入った、環境だとか社会課題解決といった「意義ある活動」の中で知るのは、結局は「何に取り組むか」ではなく「どのようにあるか」ということではないか。「社会的に意義がありそうなことに取り組んだ」らしきことで満たそうとしているものって、本当はなんなのだろう。そういう、問いの深まりだったような気がする。結局のところは自分でしか掴めない感覚を求めるような。

そんな振り返りの中から感じたのは、「自由」というのは、クリエイティブが花開く感覚。何かしらの目的意識と結びついた時に、いきいきとした感覚を得られるもの。というものだった。それから「挑戦にひらかれた環境」にいきること。クリエイティブの余白を持つこと。

他の人たちとのシェアから:
人生のエネルギーそのもの
受け入れられた感覚
経済的な心配から自由であり、なおかつ貢献や承認といったニーズも満たされている状態
ありのままの自分であること
選択肢を持っていること
クリエイティビティの空間
自由であるためにはある程度のルールや制約があることも便利
...といった意見があった。

***

ランチタイムの後「今、どんなことを感じている」と全員に尋ねることからのスタート。「満たされている」「あたたかい」「お腹いっぱい」などなど。いろいろな感情がある。そのことに気づいていく。

午後のワークは、言葉の読み解き。

ルイーズは幼い頃に、お母さんから「ベッドを片付けたのね、うれしいわ」と言われ、困惑したという。「え、じゃあ、私がベッドを片付けなかったら、お母さんは悲しいの...?」。大人になった今では、こう推測することができる。「お母さんはサポートを得られたと感じて嬉しかったのかな」。そう感じることで、彼女は自分の自由と選択を失うことなく、相手のニーズを理解しながら、自分のニーズともつながって、生きていくことができる。

人は、感情をヒントに、自分の大切にしているものに気づくことができる。

「あなたがxxxしたから、私はxxxという気持ちになる」
という「あなた」と「わたし」をごちゃまぜにした捉え方は、自分自身が大切にしているものに気づくことを、遠ざけてしまいがち。だから、その表現を
「私がxxx感じるのは、私はxxxを大切に感じているから」という風に置き換え(untangle the phrases)してみよう。

その練習を、3人グループで。

そこで役立つのは、「観察」「感情」「ニーズ」「リクエスト」というプロセス。
批判や評価ではなく、ただ、ありのままを観察する。
そのことに対しておこった感情を受け止める
その感情は、どんなニーズを満たそうとしておこったものなのだろう
相手に対して、どんなリクエストができるだろうか。

リクエストする時にポイントとなるのは、結果に執着しないということ。相手はYESというべきだ!という考え方は、リクエストではなく、強要になってしまう。リクエストはとっても大切なこと。でもね、ライトに(軽やかに)伝えてね。自分のニーズの美しさを味わうことも、助けになるそうです。そのニーズが満たされたらどんな気持ちになるのだろう...という想像をして、ニーズを味わいつくす、ということ。

共感のために大切なことは、理解、そして耳を傾けてもらうこと。いっぱいいっぱいになっていると、共感する余裕もなくなってしまう。批判まみれで、命令的で、つらくあたっているようなとき...人は、共感の酸素ボンベが空っぽに近いのかもしれない。だから、まずは共感を満たすということに挑戦してみよう。共感の酸素ボンベが空に近い状態だと、人は、自分の大切なものに気づくことが難しくなってしまう。そして、自分の大切なこと、気持ちをないがしろにしたまま、気づけないまま、自分をさらに共感から遠ざける"悲劇的な表現"を無意識のうちに選択してしまう。"聞きづらいメッセージ"という形で(例えば、「あいつはこういう奴だ、だから俺は不愉快になる!あんな奴はさっさとクビにしろ!」というように)。


そこで、「共感」のワーク。3人組で、ひとりが10分話し、残りの2人が5分間でフィードバックをするということ。その時に、相手が大切にしている「ニーズ」を推測する。共感で受け止める。共感の酸素ボンベを満たしあう感覚。

共感の眼差しは、人の中に「人間らしさ」を見つけさせてくれる。

でも、この「NVC的なやりかた」は、練習だからそうなのであって、日常生活に「NVC的フォーマット」をやたらと持ち出すと、そもそも会話そのものが不自然になる。ロボットみたいになってしまう。

大切なのは、1に意図する、2にサポート、3に練習、4に練習、5に練習...。そう、つまり「練習」すること。誰かの"悪いところ"をみつけて、"どこが悪いのだろう"と分析し、正そうとすることから、ありのままを観察し、感情につながり、ニーズを感じ取る。その習慣に切り替えていくこと。

***

ルイーズは会場に「ハリネズミ」のぬいぐるみを持ってきていた。人は時に(疲れて心に余裕がないことなどが理由で、共感の欠乏によって)いっぱいいっぱいになり、ハリネズミのように棘を張り巡らせてしまう。自分を守ろうとして。でも、こころにゆとりがあると、やわらかなお腹(無防備さ)を見せて、打ち解けあうこともできる。ひとって、そういうものだよね...。

***

NVCとは、頭からきたものを、ハートに戻すコミュニケーション。ハートとともにあるコミュニケーション、とも言える。

ルイーズは幼い頃、お父さんに「家の中での対立は許さないぞ!」と言われてしつけられたそうだ。だから、対立はいけないことだと思っていた。今は、対立は、大切なものにつながるチャンスかもしれないと、感じ取ることができるようになったという。

***

「どうやってNVCを公教育の現場に広げることができたの?」という質問に、ルイーズはこう答えた。「NVCを売ろうと思わないでね」。

NVCを伝える=「製品を売りたくてたまらない営業になること」ではない。それを生きること。そうしているうちに「あなたのやっていることに、興味があるのだけれど...」となる。「いい営業は、いいリスナー(聴き手)だっていうでしょ(good sales person is good listener)と彼女はいった。いいリスナーになろう。共感を持つ聴き手に。

NVCは言葉を扱うことに思えるけれど、共感の沈黙で相手と触れ合うことだってできる。いのちの生き生きとした感覚を感じ取るって、そういうことなのかな...とも思う。

***

随分長くなってしまったけれど。このメモが、これからの私の、そして誰かの役にたてたならば嬉しいです。

love with respect. makiko
Posted by makiko21 at 05:58 | NVC | この記事のURL
ゆうきと、めぐり[2016年11月02日(Wed)]
kirin.jpg

勇気を出すって、なんか、いいよね。

蛹からでてくる感覚に似て
自然にむくむく、湧き上がってくる。

誰のこころにも、勇気は育っていて
(たとえそうとは思えないようなときも)
「いつでも準備できてるよ」に、
限りなく近いところにいて

最後の、魔法みたいに不思議な
ほんのちょっとのきっかけを得ることで
一気に表に出てくるような

そういうものかもと、考えたりする。

***

勇気のポイントをいつのまにか
思い出させてもらっている感覚が
いま、とてもある

それで、つい
いろいろのアイデアがわいてくるので
うれしくなって、そのシェアをいっぱいしている

朝から、晩まで。
いつも、なんどでも。

その中のひとつが、
共感カフェをつくろう、っていうもので
思わずそのことをシェアしたら
「講師として呼ぶ予算は準備できると思う」と
ご提案をいただいた

うわあ、そんな素敵な!
という気持ちと同時に
「めぐる」しくみをつくるには
どうしたらいいだろう、ということに
意識が向かう。

今朝。シャワーを浴びながら思った。

たとえば:

私が、NVCから得た
「共感的なコミュニケーション」を伝える場をつくる
(このことに比較的馴染みのないひとたちを対象に)

参加費を一定額決める
そして、その場で
共感的コミュニケーションを実践したよ、って
いうことが起こったら、メンバーで(お祝い)をする。

その(お祝い)の分は、
その参加費のなかから、そのひとへの
(お戻し)にしてもよいし、
(共感を、新しい誰かに伝えるための
リソース)としてまわすという選択にしてもよい。

そういう風にして

楽しく「挑戦」できて
自然に「お祝い(祝福)」できて
さらに、他の誰かにつながるっていう
ループにもつながったら

そんなことを考えて
「ん?いいかも?」と
考えた(そして、忘れないうちに、こうしてメモ)。

つたなくて、いいじゃない?

もっといいアイデアがあれば、
そういうことを教えてくれる
ひともきっといる。

おおきな可能性のことを想像していると
失敗が怖くなくなる

おおきな可能性というのは
私の場合、Humanity(人間性)への希望です。
Posted by makiko21 at 07:55 | NVC | この記事のURL
脳科学はおもしろい[2016年11月01日(Tue)]
brainscience.jpg

びっくりだ!
脳科学について、こんな風に「すっごいー!」と
わくわくする自分を見つけるなんて。

もちろん、これまでも
脳科学に関する記事を興味深く読んだことはある。
けれども、
サラ・ペイトンとの出会いがなかったら
こんな風には、科学に対する愛情を
感じるまでには至らなかったように思う。

サイエンス。
のみならず、というより、自分には
「歴史」を学ぶことにも
大きな抵抗がある。

無知が、あるいは知性が、
人を生命の断絶に向かわせた、というような
感覚がどこかにずっとあるのだ。
細胞に染み込んでいる感じで。

(いまは、
「歴史」を学ぶことへの恐怖や抵抗は
「権力(暴力)構造(抑圧)」と
それに対する「無力感」「絶望」
みたいないろいろな感情が
ぐわあっと、脳を萎縮させていたからかも、
と思っている)

サラからの流れで、脳科学について
探求することは

"知らなきゃ。
でも、心理的にとてもつらくなる"

を超えていくためのヒントにも
つながっていきそうで
そのことが私を、とてもとてもドキドキさせている。

読みたい本がいっぱいだ。

***

楽器を演奏することが脳にはとてもいいみたい。
TEDのレクチャーより)
サラからの合宿から帰った日に
ショパンのノクターン20番に心を捉えられて以来
こころはずっと音楽で。
11月1日。
今日から毎日、1日15分ピアノ演奏を習慣にしたら
脳生活は、どんな風に変化するかしら?
Posted by makiko21 at 07:30 | NVC | この記事のURL
Restoration[2016年10月31日(Mon)]
lifecircle.jpg

I see it so clearly why restoration of humanity is so important for restoration of nature and our society.

I will dedicate myself for rebuilding trust.

Trust in life.
Certainly that is what we all share in common.

説明はあとに許して

ただ、人間性の修復が
自然や社会の回復に
とても意味があることを私は知っていて
もうそのことを置き去りにしない

いかなるバトルフィールドも
(そして、故にシェルターも)
この、こころの中にあるのだ
Posted by makiko21 at 08:45 | NVC | この記事のURL
NVCとの、これまでと、これから。[2016年10月07日(Fri)]
flower_inase_river.jpg

ここのところ、NVCのことについてばかり書いている。
なにしろそれが、どうしたって、
自然なことに思えるのだから仕方がない。

マーシャル・ローゼンバーグのNVCの書籍タイトルに
「A Language of Life」という言葉がある。

日本語では
「人と人との関係にいのちを吹き込む法」と訳されている。

生命のエネルギーを通い巡らせる
いのちの言葉

それは、水のように
生命をうるおし
流れとともに、清めをもたらしてゆく。

***

さて、このあたりで、これまでのNVCとの
関わりのことを、少し記してみたいと思う。

「これから」について計画をたてるうえで、
「これまで」や「いま」について
シェアする機会が増えているから。

***

NVCという言葉に初めてであったのは
今年、2016年の3月12日のことだ。
(amazonの記録から、私はそれを確認した)

その頃わたしは、
「ナラティブ・セラピー」と呼ばれているものに
とても関心を持っていた。

いのちに、深くふれる言葉のことを探していた。
いのちに、深くふれる感覚を持った
人生をいきたいという、渇望があった。

いくら器用に、さらさら生きていけたとしても
それは虚しいだけだと
こころの奥から、呼び声のようなものを
感じ取っていたのだと思う。

「ことば」をあつかう仕事をしている。
だからこそ
「ことば」で虚しくなることは
こころに、人生に、しんどい。

そういうことを、終わりにしたかった。

そして、人生にまなざしを向けたとき
それは、ちいさな、一瞬いっしゅんの積み重ねだという
あたり前のことに気づかされる。

あたりまえの中に、
こころを闘いに向かわせたり
攻撃を恐れ、つけた鎧の重さで
まっすぐたてない自分をみつける。

この「あたりまえ」に対して
私には何か、できることがあるはずだと思った。

Non-Violentという言葉
そして
Communicationという言葉に出会ったときに
直感的に、答えがあるような気がした。
そして、とにかく、その本を読んでみることにしたのだ。

翻訳監修の安納献さんが、
同じ年に同じ大学に在学していたことに気づいたことが
私を次の一歩に向かわせた直接的なきっかけだった。

どんなひとだろう?
シンプルに興味を持った。
そして、羽根木(東京都世田谷区)で開催された
安納さんのワークショップ(Be the Change)に参加したのが
NVCを学ぶひとたちとの、出会いの第一歩。

ワークショップは、とても穏やかで、
平和な雰囲気のもとにはじまり
静かだけれど....
そこには、確かに、真実の言葉があった。
そんな風に、感じた。

そしてそれは、場の調和のなかで
自然に起こっていることに思えた。

この感じ、好きだ...と私は思った。
もっと、触れてみたい世界だと。

***

4月にはいり、余韻を感じつつ
ぼんやりと過ごしていると
5月にイギリスからCNVCの
公認講師がやってくるという情報を目にした。

NVCダンスフロアという手法を教えている
ブリジット・ベルグレイヴさんと
ご主人のルード・バーンダースさん。

ダンスフロアって....?
サイトを見たけれど、
わかるようでいて、わからない。

まずは、1日だけでもでてみるか...。
と、ギリギリまで迷い、
前日の夜に滑り込みで申し込んだ。

4月14日(土)、下北沢でのコース。
NVCのベーシックを午前中に学び、
午後はダンスフロアについて学んだ。
(2つほどのダンスに触れたと記憶している)

この日、集まった仲間には
学芸大学に暮らしていた時代の
馴染みの喫茶店の常連さんや、
自分と同じ大学の出身者など
共通項があるひとたちが複数いて、
そのこともまた、新鮮な驚きだった。

ダンスフロアは素晴らしく
それまで、ロジカルなアプローチだと
感じていたNVCが、突如として、
非常に右脳的でクリエイティブな存在として
受け止められるようになった。

NVCって、こんなに面白く、パワフルだったんだ....!

ダンスフロアのこと、ブリジットとルードのことを
もっと知りたいと思った。

翌週、名古屋では「NVCと平和」をテーマにした
講座が予定されていた
(この来日中、このテーマはこの日だけだった)。
実は、大学を選んだひとつの基準が
"「平和研究」があること"だった
ことを、いまさらのように思い起こし
「平和」のことを、改めて深く考えたいと感じていた。

名古屋のワークショップの申し込みを決める。
4月21日(土)、名古屋へ。

そして講座のすぐ後、翌週、29日(日)の
京都でのワークショップにも参加することを決めた。

この頃には、コースのオーガナイザー、
通訳をされている後藤ゆうこさん・剛さんといった
NVCに関わるひとたちのコミュニティへと
自分の関心が移っていく。

NVCを実践しようと、こころに決めていきているひとたち。
その空間はここちよく、
この挑戦を、私も生きたいと思った。

この感覚を、余韻のうちに消えさせたくない。
そんな気持ちから、ネットで目にした、CCC主催の
「Authentic Leadership」コースに申し込む。
NVCのベーシックをオンライン・オフライン講座で学ぶ場。
5月26日スタート、まもなく、10月17日に最終回を迎える。

それから、マウイ島に移住しNVCを実践し・学び・教えている
後藤ゆうこさん・剛さんの生き方に
より深くふれたいという関心からも
参加を決めたのが、「ミディエーション道場」だ。
6月11日(土)。「調停」という重たいテーマに
実践的に取り組む。くたくたになった。
心地よい疲れを、全身に感じながら。
(こころの筋肉痛、と、私はこの感覚を名付けている)。

そして、後藤夫妻によるオススメのポストをみて
思わず受講を決めたのが、
NY NVCによる1年間のオンラインコースだ。
毎週メールで送られてくる課題に取り組みつつ
年数回のテレクラスに参加するという、世界的プログラム。

このオンラインコースの素晴らしいところは、
日本人の受講メンバーがボランティアで
翻訳チームを形成し、協力してタイムリーに翻訳を作成して
受講者コミュニティにシェアする、という姿勢だ。
毎週送られてくるメール教材という、
いかにも挫折しそうなものに
「共同作業」し「シェアする」ということで
大きなよろこびが加わった。
課題をこなせているわけではないけれど、
これはとても、大きな学び。

7月にはいると、
NVCで学んだことを風化させたくないと
鎌倉の自分のスペースを使って
ささやかな勉強会も開催しはじめた。
1回目が7月9日(土)、2回目が7月31日(日)。
facebookでの告知で知ったという
初対面の大学生の方も、参加してくれた。

「私も、まだまだ学び始めたばかりだから」と
「教える」というのではなく
「学びをシェアする」というトーンで
場をアレンジしていった。
シェアすることを通じて、
自分にもさらなる気づきが生まれた。
なにより、分かち合うことを通じて
互いに発見しあうことが楽しかった。

8月。Authentic Leadershipを受講している仲間と
「NVCで学んだことをSkypeで共有する」
セッションをためしてみる。
関心があるひととつながり、30分ほど時間を決めて。
この体験も、とてもパワフルなものだった。

「実践」あってのNVC。本当にそう思う。
この頃から自然と、facebookでのNVCについての発信も増え
NVCでつながる仲間と、SkypeやZoomで
つながる機会も増えた。

NVCを伝えるリーダーをぐいぐい育てよう!という
旗揚げ人、麗美ちゃん(鎌倉在住)たちとの出会いもあった。

そんな流れの中で、9月にマウイ島在住の
CNVC公認講師ジム&ジョリ マンスキー夫妻が
日本に訪れるにあたり
関東(鎌倉)でのコースのオーガナイズ/通訳を
やってみないかと、
後藤ゆうこさん・剛さんが私に声をかけてくださった。

「え、本当にいいんですか?」と、
ドキドキしながらお引き受けすることにし、
最初にジム&ジョリさんとZoomで会議をしたのが
7月23日のこと。
鎌倉で一番古い神社の隣にある
大好きなカフェの庭から、ハワイとつながった。

「ジム&ジョリ ワークショップin鎌倉で実現したいこと」
という文章をまとめ、やりたいことを整理する。

北鎌倉のミライエが最初に頭に浮んだ。
初めて訪れた時に、
直感で「ここでNVCをやりたい」と思った。
管理人&住人、土肥ちゃんがとても興味を示してくれた。
Social Actionをテーマに開催することを決める。

NVCって何?というひとも
気軽に訪れることができる場をつくりたかった。
そこで思いついたのがソンべカフェ。
ネットも携帯もやらない宇治香さんのもとを
自転車で訪れ、相談する。
テーマはコミュニティがいいな。
いいねー、いいよーと返事をいただき、
すぐに決まる。すごく嬉しい。

そして、2日間のワークショップ
(紛争を解決に導く9つのコミュニケーションスキル)。
この会場は、長谷にある古民家シェアハウス「ユリイカ」に
したいと考えた。これも、直感的に。
ユリイカの"ゆりねえ"に相談したところ
「私も学んでみたい」とOKをいただき、会場が決定。

通訳のサポートをしてくださった
美紀さんとの出会いも大きかった。
(事前の顔合わせのつもりの会合で、
共通点がたくさんみつかって、
どれだけ盛り上がったことか...。
そのひとつには"演劇"というのもある。
そして美紀さんのイニシアティブのお陰で
ふたりの間の打ち合わせがとても
NVC的なものになった)。

コースを通じて出会ったひとたち、
そこに生まれたコミュニティ。
すごく恵まれた流れだった。

それから:
NVCを文字通り実践し、生きる姿にしているジム&ジョリ夫妻
との日々が私に与えた影響はとても大きい。

彼らと一緒にいることで、
おそらくは、私がたいていの時間には使わずに眠らせている
"場を信じ、委ねる力"が、とても導き出されることを感じる。

彼らと組むのは初めて。
ワークショップも、すべてテーマが違う。
どんなことを話すのだろう。うまく通訳できるだろうか。
そんな不安より、
これから起こる"未知"に身を委ねることの
心地よさがあった。
それは、ジム&ジョリだけではなく、
参加したひとたちすべてを信じる、という勇気にも
つながっていったと思う。
(ひとは、その勇気を持てず、
うつくしいものを見逃してしまうことが
少なくないのではないだろうか)

さて、鎌倉のNVCののちも
NVCのつながりは続いていて、
来週には北鎌倉ミライエのつながりの
ひとたちと朝食ミーティング、
再来週には「9つのコミュニケーションスキル」の
受講者たちとのフォローアップセッションが予定されている。

この"いそがしさ"が、私は好きだ。
フォーカスがあり、まっすぐで、共鳴がある。
未来へのビジョンが、より鮮明になっていく感覚がある。

***

ここからは、「これから」のこと。

NVCは、デスクワークではない。
活かすもの、生きるものだ。

だとしたら、これを生きる私の人生とは
いったいどんなものになるのだろう。

今は、その感覚にDeep Diveしている。

「このひと、関心や感覚が近そう」というひとと
つながれるようにと、感じたことを
素直に綴るということも、意識的に行いながら。

「学びたい」プランはいくらでもある。
10月下旬には脳科学を専門にするCNVC公認講師、
サラ・ペイトンの集中講座を受けることになっているし
来年は海外で受講したいコースが2つもある。

それもこれも、暮らしのなかでNVCをいかせる
自分になっていきたいから
そして
それを伝えられる人になりたいから。

好きなことを通じて、
誰かの役にたつことができるならば
そんな嬉しいことはない。

***

NVCの何が好き?

そう尋ねられたら、
私はその"Power With"の精神だと答えるだろう。
"Power Over(力の支配)"ではない。
"Power With(ともにある力)"。

いつまでも初心者クラスの自分がいうのも
恥ずかしいけれど
「合気道」の精神だなあ...と、やっぱり、思う。

***

さて。こんなに長くにまとめたことには
ちゃんと理由がある。

自分にとっての振り返りと(忘れないためにのメモと)、
これからの気持ちを伝えることが
学びの門を、私に開けてくれるという希望があるから。

NVCと出会って、私はより、素直になった。
それは、素直であること、無防備なこころのまま、
実感を持って人生を生きることの中に、
とても大きな可能性を、感じはじめているから。
Posted by makiko21 at 22:09 | NVC | この記事のURL
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