(やりなおすこと)のお願い。[2019年12月10日(Tue)]

7日間の長いプログラムが終わった。
ノンバイオレント・リーダーシップ・リトリート for ソーシャル・ジャスティス- すべての命が大切にされる世界のために -
私たち運営スタッフは準備や振り返りのためリトリート前の2日間、そしてリトリート後の2日間も用意されていたので、かれこれ12日間ほど広島のあの会場にこもっていたことになる。
そんなこんなで、とても咀嚼しきれえない思いも抱えつつ、今後にいかすべくことの多さに圧倒されつつ、仲間とともに、そのまま振り返り合宿(のようなもの)をすることになった。なにしろ、なかなか会うことが難しいので。
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何気なく発したひとことが受け手の心に大きな影響を与えることがある。
そんなつもりはなかったのに、相手から「とても失礼に聞こえた」とか「あんなこと言われて怖いよ」とか「そんなテンションについていけないよ」などという返答が届くようなこと。
振り返りつつ関西に向かう車の中でもそういったシーンはいくつもあって、その度に私たちは、立ち止まり、お互いの意図や相手へのインパクトを確認し、気持ちにつながりなおし、痛みを招いたそのやりとりをやりなおし(Do Over)した。
「さっきの言われた言葉が受け取りにくかったんだけれど、どんな意図があったのか、聞かせてもらってもいい?」「よかったら、この言葉を受けとってどう思ったのか(インパクトを)聞かせてくれないかな」...。
私はこの合宿の間、深い学びと感情的動きのさなかにいて、この場にいない相手に、きっとその人からするととても温度差のあるメッセージを送ってしまうことがあった。
相手の返事が素気ないように思えると、冷たい水をかけられたように、しゅんと縮こまる。反射的に(ごめんね)と言いたくなり、その後、自分を責める声がふつふつとわきあがる。言葉なんてかけなければよかった、とがっかりしたり、もっと気が利く自分になれたらいいのに、と落ち込んだりした。
少し経って、このしぼんだ気持ち、自分を責める声から立ち直ったころ。すれ違いや誤解が生まれたときに(もう一度やりなおさせて)と、つながりを取り戻すことができたならすごくいいのになあ、と思った。自分の意図を何度も説明して相手にわかってもらおうとする代わりに、相手が受けとったインパクト、あるいは相手がその時どんな気持ちでいたのかを尊重するためのスペースを、差し出しあうことができるように。
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どんなに寂しくすれ違う会話でさえも、本当はつながりあいたいという、素朴な響きを放っている。
私はその深い憧れの中で、出逢い続けていたい。