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生物多様性基本法と、愛知ターゲット。[2013年05月28日(Tue)]
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先日のブログに掲載したこの花。チロリアンランプというのだそうです。ツイッターでIさんに教えていただきました(ありがとうございます)。

かわいいねえ、チロリアンランプ。魔法の道具だよっていったら、子どもたち、きっと信じてくれそうです。小さい子どもがいると、大人たちっていつのまにか、ものがたり作家さんになっていたりしますよね。そういう大人も、また、かわいい。小さいころに(今思えばものがたりの創作なんてこと、すごく苦手であったに違いない)お父さんから、いろいろなものがたりを聞かせてもらったことを、懐かしく思い出しました。

さて、今日は、先日、横浜国立大学の及川敬貴先生からお伺いしたお話についてです(及川先生の『生物多様性というロジック』という著作はおすすめの一冊)。

2010年、名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)において、(主に)2020年までに達成すべき20の目標『愛知ターゲット』が採択されました。

この愛知ターゲット。先生の発表によると、知らない人が77.7%(つまり、知っているひとは22.3%)。ちなみに、個人的には「知っていると答えた人の何人かは、何か別のものと勘違いしているのでは・・・?」というくらい、実感値としての愛知ターゲットの認知度はもっと低いのではないかという印象を受けています。

そして、この愛知ターゲット。環境法を学ぶ人たちの間で「環境法御三家」と呼ばれている本においても、一切記述無し。

あまり重視されていないのでは・・・?という背景には、これが、規範ではあるものの、法的拘束力が弱いものであるということが、理由にあるそうです。つまり、守っても、守らなくてもいい、ということ。

ならば、愛知ターゲットは何故重要か。それは、愛知ターゲットが、生物多様性保全・持続可能な利用の国内での実施と国際法を結びつけるものとして位置づけられるから。

愛知ターゲットには、20の個別目標があり、例えば「 生物多様性に有害な補助金などの奨励措置を廃止・改革する(目標3)」、「作物・家畜の遺伝子の多様性の損失を最小化する(目標13)」、「伝統的知識を尊重する(目標18)」など、条約の目標を実現するための構成要素が、個別に分かりやすい言葉で表現されています。「国際条約」というと遠いけれど、こうして具体的に噛み砕かれることで、「では具体的に何をすればいいのか」ということが、イメージしやすくなってくる。

これを「日本」という国の取り組みに置き換えてみると、日本には「生物多様性基本法」という法律がありますが、これを愛知目標と照らし合わせてみたとき、どの部分が十分でないか、など、比較検討ができるというわけです。

例えば、愛知ターゲット目標11「保護地域」という項目で表現されている「衡平」という概念は、日本の生物多様性基本法には記されていない、というように。

世界の国々が合意した目標と比較して「自分たちが、今、どこにいるか」を把握するための物差しとしても使える、というのです。

これは、言い換えれば、「愛知ターゲットは、他の、規範性の強い法律とリンクさせることによって、全体性としての効果の向上を狙うために有効である」ということ。

愛知ターゲットという(国際的な観点、価値感、進んだ考え方、グローバルな観点)と、生物多様性基本法や生物多様性地域戦略を結びつけたり、比較することを通じて、より効果的な方法を模索し、確立することが可能になる。愛知ターゲットには、そういった可能性がある。

生物多様性基本法の附則第二条には、以下のような表現があります。

(生物の多様性の保全に係る法律の施行状況の検討)
第二条  政府は、この法律の目的を達成するため、野生生物の種の保存、森林、里山、農地、湿原、干潟、河川、湖沼等の自然環境の保全及び再生その他の生物の多様性の保全に係る法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。


この「ものとする」という表現は「原則、そうしなくてはならない」という意味。義務づけとして使われていると認識されます。

法学者の間では、生物多様性基本法のこの表現が、この後の日本の法規制に大きなインパクトを与えうるものであると、評価されているのだとか。

そして、生物多様性の保全や再生について検討する際の評価基準として、愛知ターゲットは活用しうる。

例えば、先住民族の伝統的知識を守るといったことについても、そういった考え方を地域戦略に入れていく、というようなことで、対応が可能となっていく。

愛知ターゲットは、そういう、生物多様性を大切に暮らすための力を、地域で暮らす私たちみんなに、与えうるもの。

(ん?これってちょっと、チロリアンランプみたい(魔法の道具みたいな響きのこと、書いてしまった)と、ふと思ったりなんかして)

そんなこんなで。愛知ターゲット大切だな。言葉でつなぐこと、大切だな、なんてことをあらためて考えさせられたひとときでした(及川先生、ありがとうございます&つたないメモからの書きおこし、どうかお許しください)。

ところで、余談ですが・・・。生物多様性基本法とか、条約とか、前文あたりを読んでいると、まるで「これから大河ドラマ始まります〜」みたいな世界観を、つい、感じてしまいます。いや、実際、それをモチーフに書けるのかもしれない。大河。

何事においても露骨なことはあまり好みではないので、なにかものすごい作品を書くようなことがあったら、「生物多様性条約に着想を得ましたです」なんてこと、言ってみれたら、おもしろい、かも。ハッピーエンドでなくては許されないけれど。
生物多様性とサステナビリティー[2013年05月28日(Tue)]
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生物多様性条約事務局のニール・プラットさんとNGOの意見交換会が開催されました。

生物多様性条約事務局では、「国連生物多様性の10年」や「愛知ターゲット」達成にむけた実施促進などを背景に、生物多様性の主流化やパートナーシップ、普及啓発にとても力をいれているそうです。

そんなこともあって、こんな通知が、今日、発表されていました。

生物多様性に関する文書を、国、現地語を含むローカル言語に翻訳することを、国や国際機関、NGOや先住民族地域共同体らに勧めるという内容です。

生物多様性について普及活動しようにも、国連の公用語は6つ。それ以外の言語で暮らす人たちにとっては、翻訳したものがないと、読むことができないのが実状です。これを、現地語にまで配慮して翻訳することを勧めるというのは、生物多様性が地域で暮らす多様な人たちにとって非常に重要であること、つまり、多様な人たちが存在することを前提にコミュニケーションを行なわなくてはならないという姿勢を明確に示したという点で、注目すべき通知といえると思いました。

ニールさんとの話で、興味深かった点。

Post 2015開発目標設定についての話で、開発系の人たちと環境系の人たちが一緒になって話し合っていかなくてはならない、などという言い方を、NGOの間でもしているのですが、ニールさんの見解では「生物多様性はサステナビリティーの問題」。環境、開発と分けて考えるのではなく、より根源的なものであるということを指摘されました。

たしかに、その通りだよな・・・と、妙に納得。さらには人権だとか平和という要素もあわせて考えていかなくてはならない問題なのだなと思います。

写真は、2009年11月、ニールさんとはじめてあった時に写したものです。あれからもう3年以上たつのかあ・・・。なんだか遠い昔のことのように振り返りました。
水俣のこと。[2013年04月17日(Wed)]
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(水俣エコパークには、被害者を偲び、「魂石」と呼ばれる石像が置かれている)

水俣病の認定基準を巡る、最高裁の判決がでました。
国が水俣病の認定基準を設けたのは、1977年のこと。昨年7月31日に、国による水俣病被害者救済法の救済措置申請が締め切られました。そもそも国の定めた基準が適切ではないとして争われていたこの裁判。今回の判決によって、基準では認められなかった患者も「水俣病患者」として認めうる道筋がたちました。水俣病発生からの、長い、長い歴史。多くの人たちの心において風化され、あるいはある種の特殊なイメージとともに過去のことと葬り去られたようでもあるこのできごとが、今なお、現在進行形であることを、今年3月、水俣を視察に訪れ、とても強く感じました

視察の報告は、近々CSOネットワークのHPに掲載去れる予定ですので、詳しくはそちらに委ねることとして、ここでは、水俣をめぐる、思い出のひとつを紹介しようと思います。

それは、高校時代のこと。石牟礼道子さんの「みなまた 海のこえ」という作品をもとにつくられた組曲「しゅうりり えんえん」の「破壊」という曲を、音楽の授業で歌ったということです。

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(水俣病資料館付近からの眺め)

「しゅうりり えんえん」について調べてみたら、youtubeに慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団による演奏の動画がありました(こちらからご覧いただけます)。「破壊」は9:31あたりから始まります。聴いてみるとわかりますが、不協和音の重なる、心深くに迫りくるような迫力を持った音の響き。こんな恐ろしい曲、どうして先生は私たちに歌わせたのだろうと、当時も不思議に思っていました。先生はとても、発声の仕方だとか、音としての言葉のことだとか、そういうことにとてもこだわりを持っていて、詳しくは尋ねなかったけれど、きっと何か、心に想うことがあってのことと、振り返ります。

このことは長いこと記憶の隅においやられていましたが、水俣の視察をきっかけに、ふと、思い出したのでした。人の記憶は不思議で、ひとたび思い出すと、一気にそのすべてが鮮やかに蘇ってきます。youotubeでみつけた動画のメロディーを聴いたら、歌詞、覚えていたことに気づきました。

今回の水俣視察は、福島で有機農業に励む方々と一緒ということもあり、印象深いものとなりました。人の息づく世界の、どうしようもなく「現実的」であること、得体の知れない正当化に向かう思考回路。・・・なんなのだろう。この、違和感のようなもの。

この違和感は、水俣だから、福島だからということでは、決してないのだろうなとも思います。スムーズな着地を求める、歴史からの学び。そういう「思惑」のようなものが、あちこちに、奇妙に洗練されながら、たくさん転がり落ちている。そういうことに対する、デジャブに似た感覚。

***水俣病認定判決に関する主な記事***

 水俣病認定判決 争いの終結はなお見えない 読売新聞社説(2013.4.17)

 水俣病審査、見直し必要 知事「国、早急に検討を」新潟日報(2013.4.17)

 水俣病認定訴訟 最高裁判決の要旨 朝日新聞デジタル(2013.4.17)

水俣病判決「かすかな希望」石牟礼道子さんに聞く 朝日新聞デジタル(2013.4.17)

水俣病認定・熊本知事、溝口さんに謝罪 毎日新聞(2013.4.17)

クローズアップ2013 水俣病、最高裁が認定 患者救済拡大に道 毎日新聞(2013.4.17)

水俣病認定訴訟 遺族側が勝訴、最高裁が初認定 もう1件も判断へ 産経新聞 (2013.4.16)

環境省の判断求める 水俣病認定で熊本知事 時事ドットコム(2013.4.17)

「なぜ早く救えなかった」水俣病被害団体 最高裁判判決受け 日経新聞(2013.4.17)

水俣病 認定申請を決心 前資料館館長の坂本さん 毎日(2013.4.16)
暦のこと[2013年02月01日(Fri)]
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新しい暦を手に入れなくては、と本屋さんに足を運ぶ。

東京駅ちかくの、大きなところ。だから、きっとあるだろうと思った旧暦の暦が置いてないと知って、結構ショックだった。

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丸の内って、朝大学とかもやっている土地柄でしょ?旧暦のカレンダーをそばに行きたいって気持ち、こういう場所なら普通にあるんじゃないかな、って思ったのだけどなあ。

実用的なものと、そうでないもの、みたいにして、ビジネスライフと自然との触れ合いとか「さもあたりまえに切り離されているような様子」が、私にはとても奇妙に思えた。

意識の変化が必要とか、社会を変えるだとかいう人たちは、いったいどんな未来を想像してるのだろう?

私はシンプルに「自然体」ということを意識して生きたい。意識をしていれば、直に思い出し、ふたたび私の習慣となり、人生となるに違いない。

月の満ち引きを、ゆらゆら揺れる曲線で描いた暦を眺めながら「もう、2月。早いね」とつぶやく。

猫が恋しい。
自然と平和と空想と。[2013年01月22日(Tue)]
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大阪でのリオ+20の報告会で、苔の専門家の方に出会いました(ちょうどその前日に苔玉を買ったばかりだったので、なおさら親しみを感じてしまいました)。

報告会のあとに、その方たちと一緒に、お食事をしながらいろいろなおしゃべりをしました。

その、ひとつ。

「万葉集って、自然観察と恋の話なんだよね」

「自然観察」っていっちゃうと、なんだか「そういうのが好きそうな人たち(チェックのシャツきて双眼鏡もって、のイメージ)」っぽいけれど(笑)、確かに、ね・・・。

ときどき(というか、頻繁に)、「社会のいろいろな問題が解決した先の世界って、どんなかしら」という想像をしています(とても具体的に)。

そうすると、きっとね。争いの種がやさしく救助された世界では、時の流れを慈しみ、眼差しを小さくちいさくして、生活の中の愛おしいものをたくさん捉えて、豊かな顕微鏡のような心で、世界とつながっていきる人たちがいるのではないかと思うのです。

それで「そういう世界に生きることの準備が必要だな」って思うわけ。

生きるってことは「身体を準備させること」だなと、最近とても思います。何故なら、気持ちをいくら切り替えても「身体がついてこない」。それが、何かを実現させる上でのボトルネックになったりするから。

だから、想像をより具体的に具体的にしていって、身体に染み込ませていくことは、大事。

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苔の話をきいたので、苔たちが喜んでいる場所を歩いてみたくなって、雨上がりの気持ちのいい時間に、鎌倉で一番古い神社を訪れてみました。

平日。誰もいなくて、今まで知らなかったことを発見してしまいました(証拠写真をとるのがもったいないくらい、神秘だった現実です)。

苔の育て方のことで、こんなことを伺いました。「丁寧に、大切にしすぎちゃ、だめですよ」。毎日湿度を与えようなんてこと、無理にしちゃいけないのだそうです。「自然じゃないことするとね、失敗しちゃうんです」。

あんまりむやみやたらに大切にしようとすると、自然を見失っちゃうってことなのかもしれない。そんなことを、考えました。

自然観察と恋愛。この組み合わせ、ポイントかも。

バレンタインが近づいていて、チョコを溶かす夜のことを想像すると、嬉しい気持ちの今日この頃です。
Soil:土のこと[2013年01月14日(Mon)]
土壌劣化に関する映像の紹介です。

Let's Talk about Soil (土のことを話そう):


主なポイント:
・自然界で10センチの土が作られるのに2000年の歳月がかかる
・毎年1300万fの森林や植物生息地が伐採されている
・モノカルチャー農業により土地劣化が進行
・毎年280-750億d(一人あたり4-10d)の土壌が浸食されている。
 (2011年だけで240億d、一人あたり3.4d)
・都市化の進行により土壌がコンクリートに尽くされると土壌の豊かな生産性が失われる
・巨大資本による土地収奪が問題とされている。マネーのために土地が売買され、土壌は劣化。その負の影響を最も受けるのは最も貧しい人たちである。何故なら、彼らには選択肢がないから。
・2050年までに土壌の半分が失われるといわれている
・土壌を守るため、土地の権利を守るため、今こそアクションが必要である

( 詳細は国連砂漠化対処条約のこちらのページをご参照ください。
http://unddd.unccd.int/Pages/Information.aspx )

事実はただそれだけで強烈なメッセージを放ちます。
・毎秒サッカー場24個分の土地が砂漠化や干ばつのために劣化している
・地球の表面積のわずか3.3%が生産性のある土壌。34%が劣化した土地。

世界167カ国が砂漠化による影響を受けていると表明している現在。自分の国は関係ない、と思う人たちも、食料などを他国から輸入しているケースが殆どなので、影響がないとは言い切れません。

メッセージは「政治的意志が示され、正しい土地管理が行なわれれば、2030年までには20億fの土地が回復するとも言われている」と伝えています。

国連大学メディアOur World2.0にも土壌劣化に関する記事がいくつかありますのでご参照ください。

データを駆使して土壌を守る
http://ourworld.unu.edu/jp/crunching-the-numbers-to-preserve-fertile-farmland/

食料安全保障を支えるミミズ、アリ、微生物
http://ourworld.unu.edu/jp/worms-termites-microbes-offer-food-security/

砂漠での食料栽培が世界の食料危機を救う?
http://ourworld.unu.edu/jp/growing-food-in-the-desert-is-this-the-solution-to-the-worlds-food-crisis/
榧のものがたり -300年先の未来を夢見て-[2012年12月17日(Mon)]
高知生物多様性会議の翌日、日曜市を歩いていたら素敵なお店に遭遇しました。

「榧工房 かやの森」。榧(かや)は将棋盤などに使われる貴重な植物です。

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(店内には榧でできた商品がいっぱい)

榧の実の試食をすすめながら、お店のおかみさんが榧の木のことを話してくださいました。「榧の実というのは食べたことがないでしょう?これは、なかなか手に入らない植物でね・・・」。

お話が気になったので、店内も見学させていただくと、この店のご主人様のことを紹介した新聞記事が目にとまりました。

「榧に魅せられて300年先を夢見て森づくり」

榧の木は成長するのに300年、伐採してから製品になるまでに15年もかかる、手にいれるのがとても大変な材料なのだそうです。希少価値が高いことから中国では1990年代後半に輸出を禁じ、一般の市場には出回らなくなってしまったということ。

そんな榧の木を大切に守り育てたいと高知と徳山の山の土地を買い、300年先の未来を夢見て苗を植え続けているのが、このお店のご主人様である前川頴司さんです。「お父ちゃん」と呼ばれるご主人はもともと種屋を営んでいるそうですが、従業員と共にこれまでに植えてきた苗の数はなんと10万本以上。けれども、榧の木は野ネズミやウサギ、イノシシらの大好物とあって、植えたら食べられ・・・の繰り返し。「動物たちは、身体にいいものをちゃんとわかっているのね」と、おかみさんは話してくださいました。足腰が少し弱くなったお父ちゃんは、山に入ると這いつくばって作業をすることもあるそうで、毎日帰ってくると作業着は泥だらけ。そんなお父ちゃんと、お父ちゃんをささえるおかみさんのファンは多く、この日お店におとずれていた方の娘さんは、お店を応援する看板やチラシを手作りして配りあるいているというほど。

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(店内には、榧の木について説明された資料が展示されています)

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(絵画に描かれているのは、韓国の済州島に榧の木をみにいった時のおふたりだそうです)

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(とても立派な榧の木目です。寿命が1000年ともいわれている榧の木。この木は数百歳???)

お話を伺い、感銘を受けて「よし、ここはにじゅうまるプロジェクトでつながっておかねば・・・!」とおもむろにパンフレットを取り出しました。

「あの、生物多様性って知っていますか?私たち、生物多様性を守るプロジェクトを推進しているのですけれど・・・」

生物多様性が、個性豊かないのちのつながり、いきるものたちの背景にあるものがたりを感じることだという私なりのアプローチでお話をさせていただきましたところ「それ、うちのお父ちゃんがずっと前から言っていたことよ」とおかみさん。「生物多様性を守ることはみんなで取り組んでいきたいことですから、是非このプロジェクトにもご参加くださいね」とお伝えしてまいりました。

最後はご多分に漏れず「にじゅうまるポーズ」
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高知城にも榧の木が植えてあるのだそうで、榧工房 かやの森さんは、その榧の木がちょうど見えるところにお店を構えています。本業は種苗やさん。榧のお店は、ことしオープンしたばかり。

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(高知城を臨む)

300年の未来に向けたこと、私は何か、思いつくかな・・・。そんな浪漫を考えたひとときでした(榧の木を育て守ること。浪漫の影にはとっても大変な努力があるのですね・・・!)。

初めての高知。旅の記録はまだ続きます。プレゼントみたいな出逢いをたくさんいただいた週末でした。

参考:
「生物多様性」と「榧」で調べたらこんなサイトがみつかりました。
世界農業遺産(GIAHS)の潮流。中国紹興市が次のGIAHS認定に向け動いている会稽山(かいけいざん)の「古香榧林公園」について記された記事です。
http://blog.goo.ne.jp/f-uno/e/7331d66c3f7e8ba247e845bdacb00aca
第2回 四国生物多様性会議 高知[2012年12月16日(Sun)]
12月15日(土)、第2回 四国生物多様性会議 高知に「にじゅうまるプロジェクト運営委員」という立場からパネリストとして参加して参りました。そこでどんなお話をしてきたか、しようと思って伝えきれなかった部分も含めて、以下に記してみようと思います。

***

2010年に、愛知県名古屋市でCOP10(コップテン:生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されました。

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(COP10ですべての決議が採択された瞬間)

生物多様性は、さまざまな個性をもついのちが、多様につながりあっているということを示す言葉です。「自然」とか「環境」となんとなく呼んでいるものたちにはそれぞれ個性があって、不思議な魅力をたくさん隠しもっていて・・・だから私たちも、そういうことを受けとめる感受性を忘れずにいましょう、というようなことと、私は理解しています。例えば「緑を大切にしよう!」というときに、ただやみくもに木を植えればいいってことではないよね。その木自体にも個性があるし、その木を生活の一部とするいきものたちもたくさんいる。もちろん人間だって、そのいのちのつながりの環のなかにいるひとり。例えば、そんな気づきのまなざしをもって、世界と出会っていこうね、っていうこと。

生物多様性条約は、「地球にいきるいのちの条約」なんていう風に表現されたりもします。Biodiversity is life. Biodiversity is our life(生物多様性はいのち・生物多様性は私たちの暮らし、と訳さていますがLifeが暮らし・いのちをあらわす言葉でもあり、この表現は示唆にとんだものと言えます)。いのちや暮らしというのは、静止画じゃないよね。そこには常に、背景に流れている、言語化されていないものがたりがある。そのものがたりを感じとる想像力をもって生きましょう、ということも、生物多様性の重要なメッセージではないかと思うのです。

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(2010年国際生物多様性年のロゴとキャッチコピー)

さて。日本が議長国となったこのCOP10という会議で、生物多様性を守るための「愛知ターゲット」という目標が制定されました。それは「2050年までに人と自然が共生する社会を実現すること」というビジョンと「2020年までに守るべき具体的な20の目標」を示した、とても大切な約束ごとです。その目標を達成するためには、そういう目標があるということをみんなが知っていて、「大切だね」という気持ちでつながり、「一緒にがんばろうね」っていう気持ちが育まれるような環境をととのえていくことが必要。ということで、考えだされたのが、IUCN(国際自然保護連合)日本委員会の運営する「にじゅうまるプロジェクト」です。

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(にじゅうまるプロジェクトのロゴ)

2020年までに、20の目標を達成しよう。そして、愛知ターゲット達成にむけてとりくむみんなにで、おたがいに「にじゅうまる」をつくろう。そんな気持ちから、愛知ターゲット達成のためのこのプロジェクトには「にじゅうまるプロジェクト」という名前がつけられました。

生物多様性というのは、とてもひろがりと深みのある言葉です。だから、それを守るための活動も本当にいろいろなものがある。それは、20の目標にざっくりを目をとおすだけでも、なんとなく想像がつくと思います。

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例えば、目標1は、とても簡単にいうと、誰もが生物多様性の価値や、それを守ったり大切につかうためにどうすればいいか、わかっていいるということ。お水も、空気も、たべものも、衣服も・・・私たちが暮らしに必要としているすべては、生物多様性があるからこそ、授かり受けている恵みだよね。そういうことを、あらためて実感するという時間を持つことが大切だし、特に政治や政策に携わるような人は、そのことを重々承知した上で、未来をどうしていきたいかの計画をたてる必要があります。

目標4は持続可能な消費と生産に関係すること。私たちのライフスタイルが、地球に過度な負担をかけて、いきものたちの暮らす環境をうしなうことにつながっているかもしれない・・・そんなことがないように、企業も消費者も、みんなで考え、行動していくことが大切です。

目標7は一次産業の営み。一次産業の衰退、なんていわれているけれど、森林やたんぼ、川や海といった場所に、豊かな生物多様性がたもたれている。そんな未来を描くことは、いきものたちを守ることばかりではなく、人を元気にすることにもつながっているのかもしれません。

・・・というように。少し意識を変えてみることで、生物多様性を大切にすることの具体的なつながりに気づき、それを守るために、どんなことができるかな・・と考えてみる最初のきっかけがつかめるような気がします。そして、生物多様性を守るための行動を結びつけていけば、一つひとつは小さなものであっても、大きな力にすることがきっとできるはずです。

これは、私の実家(栃木県宇都宮市平石地区)ちかくにある河原で、地域の人たちが大切にまもっている希少種カワラノギクの花です。

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地域の人たちは、昔から鬼怒川の河原にあったこの植物をとても大切に想い、それを未来をいきるこどもたち(まごたち)にも残したいと、一生懸命保護して育てる活動に取り組んでいます。

カワラノギクは、土止め用として河川整備に使われた外来種シダレスズメガヤのすさまじい繁殖力で、その生息の場を奪われていってしまいました。シダレスズメガヤを使用する政策には、配慮にたりないところがあったのかなと思います。

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(シダレスズメガヤ)

だから、地域の人たちにとって、シダレスズメガヤをとりのぞきながら、カワラノギクが育つ場所を少しずつ増やしていこうと、一生懸命がんばっています。

カワラノギクを守る活動をしているうちに、ミヤコグサがはえているのもみつかったそうです。

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(ミヤコグサ)

花が咲いているのをみては「うれしいねえ」といって喜ぶ地域の人たち。べつにこの人たちは「愛知目標を守ろう」とか「生物多様性を守ろう」といって活動をはじめたわけではありません。「故郷の美しい風景を子どもや孫たちに残したい」。そんな気持ちからはじまる活動の方が、世界にはたくさんあるのではないかと思います。「生物多様性の保護」なんて立派な名前がついていなくても。

だから、そういう「自然や未来を大切に想う気持ち」から行われている活動から「あ、これって、生物多様性を守ることにつながっているんだ」という要素をみつけて、それを生物多様性という言葉から読み解いてみることも、「にじゅうまる」でできることかな、と思います。

「生物多様性条約で合意された目標からいいますとね・・・」と言葉づけを最も必要としているのは主に政府の側。条約で約束したことを、政策と実施の両方で実現させていかなくてはならないのだから。そのための予算取りや方向性を決める上の「政策言語」として「生物多様性」は使われているのです。自分たちが大切にしていることを政策の言葉で説明できるということは、市民が自分たちの想いを社会を変える力に結びつけていく上でも、きっと大切なことだと思います。だから、なんだか難しそうな言葉に思えるかもしれないけれど「生物多様性」という言葉は、知っておくととても役に立ちますし、自分を守る言葉にもなるのです。

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(地域の人たちの活動が認められ、カワラノギク保護活動地域であることを示す看板がたてられました)

ちなみに、このカワラノギクを守る活動は、愛知目標でいうと、目標8(外来種)、目標12(主の保全)にあたりますし、この活動を「生物多様性」という文脈に結びつけて伝えることができたら目標1(普及啓発)にもつながっていきます。地域の人たちの想いで支えられているこの場所が、生物多様性について学ぶことのできるフィールドとしても機能してゆくのです。

こういう風に、生物多様性を守るための「愛知ターゲット」に関連している活動は、本人たちの自覚のある無しに関わらず、世の中にはきっととてもたくさんあるのだと思います。だから「にじゅうまるプロジェクト」では、「私たち、生物多様性を守ってます!」という自覚のある人たちを結びつけるだけではなく「え、この活動って生物多様性というものと関係があるのですか?」というタイプの人たちには、活動と生物多様性のつながりについて、気づくヒントを提供する。そうすることで、想いと政策が結びつき、問題の解決やいのちを大切にする想いが大切にされる社会をつくることにつながっていけたらなと、考えているのです。

にじゅうまるプロジェクトへの登録は、こちらのサイトから登録フォームにご記入・ご送付いただくことによって行うことができます。

登録すると、プロジェクトのページ等で紹介されることはもちろん、「生物多様性」に関係するタイムリーな情報(例えば、政策や助成金のこと、言葉の解説やニュースなど)を受け取ることができます(2013年1月から、登録団体にニュースレターをお送りさせていただく予定です)。

「にじゅうまるプロジェクト」の運営母体はIUCN(国際自然保護連合)日本委員会という、世界最大の自然保護団体の日本支部です。IUCNには91カ国、127の政府機関、903のNGO、44の協力団体が会員となり(2012 年11月現在)、181ヶ国からの約10,000人の科学者、専門家が参加しているとても大きな組織。IUCN日本委員会はそのネットワークとのつながりを持っているとてもパワフルな団体です。

そして、にじゅうまるプロジェクトの運営メンバーは、日本でCOP10が開催された時に積極的に生物多様性に取り組んできた人たち。つたえることの難しさを、常日頃感じながら奮闘している人たちです。

大切に守りたいものがあって、生物多様性という言葉と結びつくことに可能性を感じる方がたに、是非、「にじゅうまるプロジェクト」を通じてであい、一緒に素敵な未来をつくっていけたらと思っています。

最後に。

あんまり立派っぽいことをいうと、ついつい力がはいって、つかれちゃいますよね。

ということで、「にじゅうまるポーズ」。

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(にじゅうまるポーズ)

じゅうなんに・クリエイティブに・リラックスして・たのしくつながってみよう。そんなことを伝えたくて、このポーズを思いつきました。

手を、重ねて輪っかにすることがポイント。それから、「じゅうなんたいそう」ですから、身体を伸ばしてリラックスしてくださいね。

ということで、最後は第二回四国生物多様性会議に参加したみなさんと撮ったにじゅうまるポーズの集合写真です。

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◎にじゅうまる〜◎

本当に、こころから、また四国にいきたいなと思っています。機会をくれたにじゅうまるプロジェクト事務局の道家さん、四国生物多様性ネットの谷川さん、どうもありがとうございました◎
まなざしを変えること(2)[2012年12月01日(Sat)]
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(国立オリンピック青少年記念センターのカフェ)

さて、ESD地球市民会議2012の「貧困撲滅と社会公正のための教育」のテーマ会議にて私がお話させていただいたことについての紹介です。

このような大きなテーマに、さらに「生物多様性と女性の視点から」というご依頼をいただき、正直なところ私の乏しい知見からどのようなお話ができるかと、大変恐縮していました。その分野の専門家でもありませんし・・・。けれども、たしかにこのキーワードにひかれるものを私は感じている。それは、何だろう。そんな気持ちから紐解いたところのお話です。

ESD地球市民会議2012初日の全体会合では、ゲストスピーカーの方からさまざまな話がありました。

その中でも、気にとめた言葉をリストしたのが以下です。

「Raising Awarenessとは感受性を磨くこと」
(経団連政治社会本部斎藤氏)

「持続可能な開発のためには制度や目標の設定だけでは不十分。意識の変革が必要」
(ユネスコESDセクションチーフのアレグザンダー・ライヒト氏)

環境や社会の課題を学ぶのではなくそれらの複雑さ、困難さにたちむかうことのできる人材を育てること。
(持続可能性のための教師教育刷新ユネスコチェアホルダー、チャールズ・ホプキンス氏)

「ESDはクオリティ・オブ・ライフに関わること」
インド環境教育センター所長カルティケア・サラバイ氏

「愛を持って、一人ひとりの生徒の言葉に耳を傾ける」
ウー・チーン氏


これらの言葉から、あるキーワードが見えてくるように思いました。それは「感性を磨く」という言葉に象徴される、まさに感受性を豊かにする、感じる力を大切にするということ。複雑さ・困難さに立ち向かうというような言葉もまた、人としての成長を意味する言葉です。それは、知識を超えてとても内面的なところにある「学び」のこと。それから、もう一つが「クオリティ・オブ・ライフ」つまり人生の質、あるいは価値に関することです。

内面の成長を促し、人生の質を高めるための教育。これは、なんなのか。

生物多様性と女性に共通する特徴として「一律化されたものさしでははかりにくい価値」というのがあげられるように思います。単に「緑」だったらいいのではない。生命のつながり、その広がりや多様性、関係性の奥深さに注目した「生物多様性」の視点をもたなくてはならない。けれども、そういう繊細なまなざしはどこかおきざりにされて不自然な「グリーン化」のもと「開発・発展」がすすめられた社会。人には個性がある。その一人ひとりに必要な時があり、タイミングがあり、あるいは成熟の時期がある。表面化されていなくても静かに眠る種のような価値があるかもしれない。あるいは、眩しいスポットライトを浴びなくても・・・。女性の持つ質もまた、生物多様性と同じように「わかりやすく市場化されがたい」繊細なまなざしを必要とする質を重んじるものであるように思います。チクタク・チクタク。同じ幅で横線にのびていく時間が支配する世界の「不自然さ」をおそらくはより敏感に感知しているであろう身体性としての女性性。

今、開発の在り方がおかしいとか、見失った何かを取り戻そうという時、こういった二つのことがらにまなざしをむけることにとても意味があるように思います。

女性性・・・色彩の世界では「オリーブ」や「マゼンタ」に象徴されるともいう性質。受容性、プロセスへの信頼、慈愛・小さきものへの愛、しなやかな強さ。

私たちが本当に感応性を高め、人生の質を追求する学びを手に入れたいのであれば、こういった性質のことを本当に考えていくことが大切なのではないかと思います。

というのも、現代の社会が、そういった感応性、繊細さをむしろないがしろにする方向に、あるいは痛みに背を向ける方向に発達してきたということを指摘する声があり、そのことにとても強く共感を覚えるからです。

「対象喪失ー悲しむということ」
1979年小此木 啓吾

「感じない子供 こころを扱えない大人」
2001年 袰岩奈々

「無痛文明論」
2003年 森岡正博


感受性を失う方向に「発展」してきた社会への警鐘はこういった書物からも読み取れるように思います。

持続可能な開発のための教育とはすなわち、眩しく光り輝くものに向かわされてきた社会が見失ってしまった微細なるもの・・・私たちの胸を痛ませるものも含めて・・・にふたたびまなざしをむけるという決意であるように思えて、私にはなりません。

今年の6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された「リオ+20(国連持続可能な開発会議)」に参加し、女性グループの会合に参加することでとても強く実感したのは、彼女たちの「痛みへの感受性の強さ」でした。「正しいかどうか」ではなく「胸を痛める人がいる」ということに彼女たちは反応し、故に、福島の原発事故を体験した日本の人たちということで、私たちの声を大切に受けとめてくれたのではないかと思います。

IMG_0952脱原発デモs.jpg
(リオ+20本会議場での脱原発デモ。日本のNGOが企画したが、女性メジャーグループのメンバーが賛同。リーダーのサーシャ氏をはじめ多くの女性たちが参加した)

予防原則だとか、環境正義だとか(リオ宣言第10原則にいわれる「情報アクセス、司法アクセス、市民参加」だとか)。生物多様性や女性性を尊重する上での制度面からのアプローチは複数考えられます。けれども制度面、権利面だけではなく、感応性の問題として、あるいはこれまで何かしらの理由からまなざしをむけることを敢えてしてこなかったかもしれない問題に敢えて向かい合っていくことが、本当に大切な時代になっているのではないかと、私は考えています。

生きるということ。死にむかうプロセスとしての生。私たちの細胞に無意識に刻み込まれた生と死をめぐる記憶。

そんなことを想い(そこまでは表現しなかったけれど)、痛める心を持つことを選んで生まれてきた人間として、いま立ち止まり、あらたなまなざしを手にして歩みなおしてゆきたいと考えている今日この頃です。
まなざしを変えること(1)[2012年12月01日(Sat)]
ご縁をいただき、ESDの10年地球市民会議2012に参加の機会をいただきました。

ESDはEducation for Sustainable Development(持続可能な開発のための教育)の略です。2002年のヨハネスブルクサミットの際に日本がESDの10年を提唱し、2014年には最終会合を日本(岡山・愛知)で開催するとあって、そこにつなげるために、教育セクター、専門家、企業、NGOなどさまざまなバックグラウンドの方々が集まり全体会合やテーマ別会議を開催しました。

この会合に最初に関わったのは3年前のこと(もう、3年になるなんて・・・!)。その時アテンドとしてお手伝いさせていただいたインド環境教育センターのサラバイさんとはその後リオ+20、生物多様性条約COP11の会合でも再会し、つながるご縁となっています。

今年も海外からの方のアテンドを少しだけお手伝いさせていただき、二日目には「貧困撲滅と社会公正のための教育」というテーマ会議に、「生物多様性と女性の視点から」ということでコメンテータとして参加させていただきました。

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(ウー・チーンさん)

この分科会のゲストとして廣野良吉先生がご招待なさったWu Qing(ウー・チーン)さんのお話の内容がとても素晴らしかったので、ここに少し共有します。

ウーさんは北京外国語大学の教授で、北京農家女文化発展センターで中国農村部の女性の教育にも携わっていらっしゃいます。お父さまが中国のミッションの代表でいらしたことから、第二次世界大戦後、廃墟だった日本に暮らしていた経験があるそうです。

まだ幼い少女だったウーさんは、戦争の体験から日本をひどく嫌っていて「絶対に日本語なんて習うもんか、ひとりも友だちなんてつくらない」という気持ちで日本にやってきたそうです(けれども、専属の運転手が日本語しか話せなかったので仕方なしに「あっち」とか「こっち」という日本語から覚えることになったそうですが)。そんなウーさんのお母さんは作家さんで、米国に留学していた時にできた日本のお友だちがいて、日本では彼女たちを自分の暮らす家に招いて、食事をごちそうしたり、家族にわけてあげるようにと食べるものを提供したりということをしていたそうです。彼女たちはウーさんにとって「日本のおばさん」のような存在でもありました。

ウーさんは、日本人のことがにくらしかったけれど、「日本のおばさん」たちから「自分たちは戦争に反対だった、市民も随分、軍隊によって酷い目にあったと・・・」と、一般人が受けた虐待のことなど、生々しい話をきくことになります。これまで「日本人」が憎かった。けれども、そんな日本人もまた、苦しむ市民でもあったと(ウーさんはとてもパワフルな女性ですが、この体験を共有くださった時にはこらえきれず目頭を熱くしていらっしゃいました)。

ウーさんのお母さんも、親戚を日本軍の攻撃によって亡くすなど、戦争でとてもつらい体験をした人だったそうです。だから、日本人を憎しむことだって、いくらだってできた。けれども、彼女は「憎しみ」という選択を選びませんでした。「憎しみをばらまいてどうするの」。そうして、彼女はウーさんに、罪のない人たちを憎んでもしかたがない、人として愛をもって接するということを、身を以て示したそうです。そんなお母さんをウーさんは「真のグローバルシチズン(地球市民)」だと振り返ります。そしてウーさんもまた、お母さんから憎しみではなく愛を持って生きる人間として生きることを引き継いだのです。

ウーさんの暮らす中国では、人権問題を口にすることがタブーでもありました。1995年に開催された国連北京女性会議ではNGOの立場で女性の権利に関するワークショップを複数開催したというウーさん。こういった活動を警戒され、国内外の移動が自由にできない時期もあったのだという話を、個人的に伺いました。そんな危険を犯してまでも、ウーさんにとっては女性の権利を守ること、女性たちの教育・エンパワメントはとても重要なテーマでした。「女性が生命をこの世にもたらすでしょう。母親は最初の先生なの・・・」。女性が教育を受けエンパワーされていることが子どもや家族に与える影響は大きい。だからこそ、どんな貧しい農村においても女性たちが教育を受けていることが大事だと、ウーさんは文字通り「愛と魂(Love and Soul)をかけて」活動に取り組んでいらっしゃいます。

そんなウーさんが大切にしているのは「生徒たち一人ひとりを愛しその声に耳を傾けること」。そうすることで信頼が生まれ、相互に通う愛が生まれ、人は変わっていく。「意識を変えることが大切ではありますが、それは難しいことではないですか?」という問いに対して、ウーさんはこのことを即座に答えました。ウーさんの大切にしていること:Love, Listen, Learn, Laugh(愛すること、聴くこと、学ぶこと、笑うこと)。学ぶことはプロセス。そしてそれは、関係性のなかで(学び合うことによって)おこること。

とてもパワフルな言葉と笑顔が、深く心に刺さりました(個人的にお話をさせていただくと、驚く程深く瞳をのぞきこまれるようで、さらにドキドキしてきます。こういう体験は、めったに味わえることではないなと思いました)。

ウーさんが全体セッションでお話されたことに「和 言皆」という言葉があります。調和を意味するという中国語。和は穀物と口。食べることができること。言皆(これで一文字の漢字です)は皆が声をあげることができること。つまり調和とは「みんなが食べることができて、声をあげることができること」だとウーさんは言います。

これは本当に真実をついた言葉だと、私は思いました。ウーさんの言葉がパワフルだったのは、彼女が心を痛ませながら、生きる上で何が大切なのかということを自身で見つけ、確信していったからではないかと思います。「農村に行って、私は貧困を知ったの・・・」。その言葉を口にした時の、その瞬間にタイムスリップしたようなウーさんの眼差し。きっとその時の衝撃は、毎日のように貧困の現場に携わる今も変わらず胸に生き続けているのでしょう。

「まなざしを変えること」。これは初日にウーさんの講演を聞いて、私が自分のスピーチ用に用意したタイトルです。

初日に伺った話を受け、自分なりにこれまでに感じてきたことを言語化しようと試みた講演のことは、次のブログに記します。
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