学びの姿勢について、おもしろいなと感じることがある。
同じように学びはじめても、こころに抱く問いの質感には、とても違いがあるようなのだ。
ある人は「思った以上に奥深いその深みを、自分自身のうちにしみわたらるために何ができるのだろう」という。そして立ちどまり、自分のためにスペースをつくる。
ある人は「どうしたらはやくにマスターし、伝えられるようになれるだろう」という。そして、より速く進むよう、スペースを何かで埋め尽くしていく。
・・・ように、見える。
そして、この質感は姿勢の違いから滲みでるものであるように思う。
そのような観察をする私自身の姿勢とは、一体どのようにあるのだろうか。