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闘いの終わり[2012年09月05日(Wed)]
「海で泳ぎたい」の言葉に触発されて、秋空のもと午前6時の海に身体を浸してきました。波がほとんどなくて、穏やかで。初老の男性が幾人か、波打ち際ちかくで伸びをしたり遠くを眺めたりしています。沖には白い船が何艘もでていて、もう少しするとそのうちのいくつかはこの海岸にさかなを連れて帰ってくるのでしょう。

遠浅の海で泳ぐには、ある程度深さのあるところまで入っていくことが必要です。胸のあたりまで潜るところにくると、砂浜は遠くに見える。そこで、昇る朝日の方へ、それから青空に白く浮か月の方へと、いったりきたりを繰り返しました。

やがてカモメたちの群れがやってきて、白い翼で空の蒼さをより一層引き立てるようにして風を舞うのを眺めていると、この平和な時間を私は身体ごと感じているのだなと感動に似た気持ちに包まれます。

「闘いの終わり」

今日のエントリーにはこの言葉を選びました。海からあがって、小さな神社に手を合わせて家までの小径を歩いているうちに心に浮かんだ言葉です。「闘いの終わり」。今朝の海のような静けさを含む脈動。

私は、生物多様性だとか執筆だとかカウンセリングなどの仕事を手がけながら、それぞれの広がりをどのように結びつけていいのか、まだ少し迷いの中におりました。確かにそれらはつながっているように思うのだけれど、上手に言葉で説明できない。けれどもそろそろ言語化していかなくてはならないような気がして。それで、ここ数日何名かの人たちに情報の発信のことについて相談をしたりしています。

「闘いの終わり」は私のテーマをより鮮明に認識させる言葉であるように思います。

どんなにどんなに外に働きかけても、あるいは「正しさ」に向かっても自由になれないなにか。本当にくつろぐことを赦せず、絵画や音楽が自然に生まれることを受け入れられないこわばり。繰り返されるキャンペーンのように「私(i)」を置き去りにする輝かしいシェープたち。

生きる自然はどこにあるの?

そんな問いの、輪郭の繊細さに触れていくことが、私の求めてきたことかもしれない。

海の香りをシャワーで流しながらそんな会話を内でしました。

写真は昨日の夕刻、一時間ほどの間に写した変わりゆく鎌倉の風景。まだ蝉たちのやさしい、秋を流れる時間です。

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