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新しい年へ[2020年01月05日(Sun)]
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新年、明けましておめでとうございます。

2019年は、クリスマスのあたりから年末の気配が色濃く、時間の流れがゆっくりになり、そのゆっくりさ故に一年を事実とともに振り返るタイミングを捉えられないまま過ぎてゆきました。昨年末年始はタイのプラムビレッジというところで過ごしたので、久しぶりに日本(鎌倉)で過ごす大晦日と元旦がとても新鮮で、一年で一番好きな時間をじんわりあじわう宵と朝でした。

2019年の手帳を眺めて感じ取ったのは(コラボレーション)(交わり)(立ち止まること)というキーワードです。

2018年からバトンを受けとったLove Smart Cardsを通じたつながり(鎌倉・京都・福岡・東京など)。

SDGsや医療、ストレングスファインダーやTEAL組織、ファシリテーションといった分野におけるコラボレーション。NVC大学プロジェクトの本格的な始動。

NVCは海外のトレーナーとのコラボレーションも多い一年でした(Marie Miyashiro (NVC & Business)、Martha Lasley(Facilitation)、Dian Killian & Liv Larsson (Earth Empathy Project)、NVC Advent Calendar Project 。海外トレーナーと共に歩んだプロジェクトとしてはほかに Jim & Jori Manske夫妻を招いてのメンタリングセッションやNonviolent Leadership Retreat for Social Justiceなど)。私にとってNVCの原点でもあるNVC Dance Floorの深みを受けとる合宿もありました。それから、香港で活躍する仲間から聞いた葛藤や挑戦など。それぞれ個性豊かなメンバーが、どのようなことに想いを抱え、どのように道のりを歩んでいるのかに触れる時間をたくさん持てたことは、大海原につかるような豊かさ、深みを教えてくれるおおらかな体験となっています。

思いがけなかったこととしては、海士町に二度も訪れたり、TEAL Journey CampusでNVCのワークショップを担当したり、ETIC.さんのイベントでNVCのミニプレゼンをしたりといったあたり。それらは支流が交わるような自然さで人生のなかにひょんと舞い降りてきたような感覚のものです。

よく、あちこちを訪れていると思われがちですが、振り返ってみると実際に訪れたのはタイ、名古屋、三重(伊勢神宮)、京都、福岡、長崎、山梨、島根(海士町、出雲大社)、宮崎(宮崎市、高千穂)、中国(重慶、北京)、奥只見、シンガポール、マレーシア(クアラルンプール)、大阪、ベルギー、広島といった感じ。それでも自分としては、あまり活動的でない時間が多い印象で、そんなに動いていないなあという感じがしています。むしろ、閉じこもっていた一年でした。

おばあちゃんが入院したり、地元でSDGsの講演をいくつか行ったりと、ふるさととの距離が少し変わり。それから、NVCと出会う前に関わっていた環境やNGOといった活動にもう一度つながりなおす流れをとても小さく動かし始めたのもこの一年でした。

(とても小さく)だとか、(閉じこもること)にはきっと大事な意味があって、何故なら、その段階でつかんでいた感覚で駆け出してしまうと消耗しそうな危うさがあったから。それなりの手応えはあるものの、自分の中心軸とカチッとはまっていない感覚のまま動くのはよくない気がしていて、今もいくつかのことがらについてはその感覚があるので、たぶん何かが剥がれ落ちようとしているのではないかと思います。

年の終わりに少しだけ一年を振り返ってみたら、これまでの10年とここからの10年の潮の変わり目にいる感じがとても強くあることを感じました。これまでというのは、2008年くらい、名古屋に越したあたりからの流れ。ここからの自分にとって大事なのは、物理的なつながり、共鳴、触れたり交わることの中から体感的に掴み育んでいくもののなかにありそうです。比喩的なようですが、時計の針の音のようなものが聴こえる感覚があって、それは何かしら重要なシグナルであるように思うのです(ほかに鳥の羽ばたき、水のせせらぎ、風の通りすぎる感覚が時どき訪れ、何かの注意を促しているのを感じます)。そういえば、未だ謎が解けていないのだけれど、生と死を予感させるあのイメージ(前方後円墳とたね)は何を意味しているのだろう。

今日は久しぶりに随分と具体的なことについて書いたのですが、ひとつ断りをすると、ここに書いている個人的な人間関係についてのことは、できるだけやわらかに、具体性が伝わりにくいようにしているところがあります。さらにいうと、フィクションであることも多いです。

それはとりわけ大切なひととの関係に関して言えることで、自分にとって大切なひととの関係とは、秘められた領域であり、聖域のようであり、その間に通わせあうものは(糸でんわのような繊細さ)で確かめあっていたいようなものだからです。糸でんわのよう、というのは、お互いの意識が通うところに生まれるつながりといった意味で、つまり、誰かがそとからあれこれ言えることではない、そういう凜としたものであることを明言したい。

それから、もう一つ。自分が大切にしたいものの一つに(美)というものがあります。人が人を見下して笑うところは、とても醜く残念な姿に思えます。その呪縛から自由になることを、私は(美)と定義したいと思うのです。

最後に。フィンランドの新首相サンナ・マリンさんのツイートに、こんな言葉がありました。

”The strength of a society is measured not by the wealth of its most affluent members, but by how well its most vulnerable citizens are able to cope. The question we need to ask is whether everyone has the chance to lead a life of dignity.”
(社会の強さとは、最も裕福な人たちの富によってではなく、最も弱い立場の市民がどのように暮らし得ているのかによってはかられる。問われるべくは、すべての人が尊厳ある人生を送る機会を得られているのかということだ)


私はこの言葉にとても強く共鳴します。

新しい年を迎えるにあたり手にしているのは、パウロ・フレイレ(被抑圧者の教育学)。情緒的なというよりイリュージョンを振りほどくための五感が、今とても目覚めたがっているようだから。

人との出会いは天文学のよう。近くにいても気づかず通り過ぎてしまえば次に交わる時がいつ訪れるのかはわからない、果てしない空洞のようなもの。だからこそ野生的に生きていこうと誓う、2020年1月5日の夜でした。

よろしくね、2020年。

こころをこめて。
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