しあわせのカーテン[2019年11月14日(Thu)]
今日は大嘗祭ということもあって
ていねいに美味しくいただいた
お食事の写真を選んだ。
正確にはちょっと違って
昨日、銀座のお箸やさんを取材して
お食事というものの豊かなあじわいに触れ
静かな対話の時間のような
あの食事のひとときのことを思い出したから。
大切に、想いを込めてつくっていただき
運ばれてきたものを
一つひとつ、その名を確かめながら
いただくことの贅沢さよ。
いや、贅沢というか
その豊かさをいつの食卓にだって
本当はもたらすことができるのだなと
こうして、書きながら気づく。
したざわりや、香り
意外さやあまさ、にがさがあって
官能的でさえあるような体験。
樹木希林さん主演の「あん」という映画の
あずきを茹でるシーンのような
空想絵巻のようなあじわい。
***
ここのところ
とても満たされた気持ちの時、ふと
風景のなかに薄いレースのカーテンがみえて
自分はその向こう側、それともこちら側
そのどちらにいるのだろう?
と考えることがある。
すっごくうれしい!
と思う気持ちのそばで、はたと
カーテンのこちら側からみて
それはうれしいことなのだろうか?
と立ちどまる(つっこみをいれる?)感覚
(つっこみを、と書いたのは
そんなに深刻な感じじゃないよっていう意味です。
わりと、からっとしている)
この、カーテンの向こう側とこちら側を
意識することは
本当に必要なことなのだろうか。
フレキシブルというか、遊びごころのある
自由な自分でありたいけれど
少しは溺れていたいような気もする。
そういう時に
カーテンを(区切り目)ではなく
(Wonderのダンス)として捉えたら
おおらかさと、無邪気さ
その両方と
遊んでいられて、素敵だろうか。