桜と、時の旅と。[2017年04月17日(Mon)]
風景に雪のような薄紅の香る時間が、
今年はいつもより長い。
この春のことを
私はどれくらい覚えているだろうか。
***
合気道の合宿で河口湖畔を訪れた。
雪を冠した富士が
目の前に聳(そび)えている。
田畑の境を
積み重ねられた溶岩が彩る。
この、ごつごつとした塊は
かつては真っ赤な恐ろしい様相で
山をくだってきたのだろう。
時は眠る、
そして、ときどき、目を覚ます。
とうてい誰も置き去りになどできない
とてつもない力で。
***
"ただ、我に帰るってことだよね"
帰りの電車に揺られながら
とある先輩から、
ふと、そんな言葉を受けとった。
それは、こころの深い部分について
触れようとするときに
人がつい目指しがちな
"覚醒"や"目覚め"
あるいは"霊性や意識の高さ"
といったことがらについて
より、しっくりくる感覚をつかもうとして
交わした会話の中で
出会った言葉のひとつだ。
"正気になる、というか。
我に帰るというか。
その感覚を持てたら、
人は、自分の力で
たちあがれると思う"
なるほどなあ...と思った。
こんな風にさりげない言葉で
さらりと、表現できる。
先輩のあり方に、またひとつ
憧れを感じてしまった。
***
2枚目の写真は
合宿先の稽古場の近くでみかけた雉。
甲高い鳴き声は
あまりに大きく響くので、
すぐ傍にあるのに
自然とは認識できないくらいで
枯れた藪の茂みの中に
この鮮やかな色彩を目にした時の感動は
もったいないくらい、大きくて
目の前にいる他のひとたちに
知らせることが、できなかった。
雉にこうして出会えたのは、
先輩とわたしのふたりで、
きっと、ふたりで
近くの神社にお参りをしたからだなと
思うことにしている。

