咲いた花と、時間。[2017年04月12日(Wed)]
11月の頃に埋めたチューリップの球根が、
ようやく花をつけた。
小町通りの入り口の花屋の店先に
ちょこんと置いてあるのをみつけて
「え、もう、チューリップですか?」と
言葉を交わしたのをよく覚えている。
ええ、そうなんです。
もう、土に埋めていいんですよ。
そうしておくだけで、春になると
にょきにょき、育ってきますから。
「何色になるかは、おたのしみです」と
いわれて、あえて、種類のわからないのを選んだ。
それが、いまになってこうして
花を咲かせてみるのをみると
まるで約束が叶ったかのように
うれしい気持ちになる。
自然はただ、秩序のままに。
それだけれど
あの会話のおかげで
時間がずっとつながっていることを
より深く味わうことができて
春は冬とつながっている。
そのことが、うれしいのかもしれない。
*****
和歌山に向かう出張のとなりに
新大阪で、ふたりの友人とあった。
ふたりとも、"不思議なこと"を話した
ということが、今日の奇妙な共通点だった。
私は"不思議なこと"に
あまり精通していないから
想像するばかりだけれど
聞いているとどこか
こころが少し、そわそわしてくる。
*****
私がわたしにいっぱいいっぱいになっちゃうと
ひとを、ひととしてみれなくなる。
そんなことを強く感じて
このところ、こころが痛い。
緊張していたり、恐れに包まれていたり
自分を信じることができなかったり
いろいろな理由で余裕がなかったりすると
"あ、きっと、だめだと思われている"などと
相手からよくない風に
思われることばかりにこころを奪われ
相手のことを、ひとりの存在として
全体性をもってうけとめることが難しくなる。
ねえ、たとえば
そういうことに、ひとつひとつ向き合っていく
"リーダーシップ"
ってそういうことなんじゃないかなって思うんだ
と、私は話した。
ひとを人として尊重しようとしても
嫉妬しちゃったり、自分を卑下したり
こうあってほしいとコントロールしたくなったり
いろいろな気持ちがわいてくる。
そういう気持ちに寄り添う強さを
リーダーシップというのだと思う。
そこも含めて
素直になっていくってことしか
ないんだと思うんだ。
その、切実な気持ちが
わたしの目頭をあつくする。
*****
雷の、光と音みたいに
こころは感じていても
行動にするには、時間がかかる
身体や、思考は
魂よりか、ちょっと重たい。
その重たさがあることで
私たちは
時間とつながっているのかもしれなくて
身体から離れると
時を知るすべを
忘れてしまうのかもしれないね、と
昼に話した"不思議話"のことを
少し思い出した。
ホテルから和歌山城を眺める。
夕暮れが薄暗闇になり
お城を白く照らす光の夜が訪れる。
この闇の中に人知れず、
時を忘れた、誰かが
歩いているのかもしれない。