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尊厳と、支援と。[2017年02月12日(Sun)]
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Bay NVC Leadership Program (LP) からの余韻の中にいる。2月12日。帰国してから、まだ5日。

山奥でのリトリートは、確かに世間から離れた世界でのできごとだったけれど、私にとってあの学びは、"私が "というより"私という人生が"参加したもので、それはこの日常と限りなくボーダレスな世界にある。

高校時代、交換留学でアメリカ(アラスカ)の高校で学んだ日のことを思い出した。言葉が通じなくて、でも、耳だけはなんとか追いつけるところもあったので"Makiko?彼女に言っても意味通じないし、放っておこう」何て言葉をクラスメイトが発するのを聞いてひどく落ち込んだこととか(そしてその落ち込んだ気持ちも表現できずただ自分を責めて過ごしたこととか)。学校にいくことを、罰ゲームみたいと感じつつ、日本への手紙にたのしいことを書いて慰めていたことだとか。あの頃と比べたら随分臆せず話せるようになったけれど、いまだにLとRやBとVの区別はでたらめで、Liberalという発音が通じなくって、"ひゃあ、難しい、英語!"と、ここぞとばかりに"日本人の特徴"をアピールしてみせたり。

英語でのコースを受ける体験がはじめて、という日本からの参加者もいたので、ついつい、通訳でサポートしようとする自分もいた。サポートだとか、貢献したいという気持ちで動いていたつもりだけれど、私は、その人たちの心の声を訪ねることもなく動いていたのかもしれないと気付かされたのは、ある参加者から、「言葉を超えた、もっと深いところで通じ合えることを味わいたい」という言葉を受け取ったときだった。ああ。私はなんて、表面的なレイヤーでの"理解"に心を奪われていたのだろう。そして、"英語ができること=困っている人を支えられる"と思い込んでいた自動思考に、恥ずかしさを覚えた。私、なんのためにここにいるんだっけ?そう。"ひととひとと、こころを通わせるコミュニケーション"というものに惹かれて、その実践を身につけるということが、目的のひとつだったというのに。

LPの学びで、私が素敵だと感じたのは、日々の暮らしのささいなやりとりのなかに、気づきや、行動をみつめなおすきっかけをたくさん味わうことができたことだ。どうしてそれが起こったのだろう?意識的になったから??

ひとつには、コースのはじまった日の夜、とあるアシスタントのひとから「あなただったら、どうしたいの?」という問いかけを受けたことに理由がある。とある困りごとに直面し、私はそのアシスタントの人に("アシスタント=助ける役割を持つひと"へのリスペクトのつもりで)相談を持ちかけた。その時、「アシスタントは別にそういう意味でのサポートに入るわけではない」のだよ、ということを教えられた。それを解決する方法を私は知っている。すくなくとも考えることができる。だったらそれを表現する行動とはなんだろう。LPで感じ取ったものは、行動という言語活動へと、意識を向けてくれることだった。そこから私にとって、このプログラムに対するスリルな気持ち、挑戦のこころにぐいっとギアがはいった。"解けないふりをするのは、やめよう。自分への信頼を取り戻すのだ"。

さて。昨日は鎌倉に暮らす友人と"支える"ということについて話す機会に恵まれた。それも、ふた組のひとたちと。

NVCも、あるいはそれ以外のことも、"切実に必要とする"状況にある人が、それを手にするアクセスを持たない、ということはよくある。お金、時間、情報、精神的な状況、などなど。では、それらの状況にある人を"支援したい"と思う気持ちとはなんなのだろう。

"支援"あるいは"支える"という言葉に、私たちはつい、"持つものが持たざるものを支える"というイメージを描きたがる。そしていつしか"支援から自立を促さねば"などということを語り出す。

本当にそうだろうか。

私がNVCや合気道に惹かれるのは、そこに、Power Over(力による支配)をPower With(調和)へと転換する世界観を感じるからだ。Power Withの世界には、優越や力の上下関係はない。そこは、各々のいのちの尊厳で満ちた空間となる。

"支援"という言葉は、しばしば平和的なやさしい顔をした "権力構造"をつくりやすい。貧しい人に施しを与えよう、という考えは、その人の尊厳に対するどのような眼差しからもたらされた姿勢だろうか。そういう一見ささいで重大な違いに、意識的でありたいと思った。

このPower Withの世界をつきつめると、経済活動だとか、社会で起こっていることに、これまでとは違う視点から関心が高まってくる。

私が知っていることって、ほんとうにほんのわずかだ、ということが、可能性にも思えてくる("知っている"ことを解き放つことの力よ)。

そんなどきどきを抱えながら、電車に揺られる日曜の朝。これから、企業組織に対してNVCを伝える講師となるための講習をうけてくる。

写真は、LPで、講師やアシスタントが朝のミーティングをしていた場所。彼らはこのミーティングを参加者が観察者として参加する場としてひらいた。私たちの生きる言葉は行動において強い力を発する。その隠しようのないことばを開示した彼らの姿勢に、私は深く敬意を表する。
タグ:NVC humanity
Posted by makiko21 at 07:46 | NVC | この記事のURL
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