「学びほぐす」ということについて[2012年08月05日(Sun)]
鎌倉で迎えた朝。午前中は日曜礼拝に出掛け、喫茶店で本を数冊読んだ後に図書館に立ち寄りました。この頃少し頭が凝っているので、いつもと違う刺激で頭脳をもみほぐそうと思ったのです。
図書館からの帰り道、歩きながらふと小学生の頃に読んだ動物園で飼育されているトラの話のことを思い出しました。お母さんトラは子どもが怪我をすると、その傷を癒そうとしてペロペロと舌でなめる。けれどもトラの舌はざらざらしているので、なめられることで子どもの肌はより一層傷ついてしまう・・・。それはとても印象深い話でした。
「愛したいのに、上手に愛を表現することができない」
それは人生におけるとても重要なテーマを象徴しているようです。
+++
さて。「学びほぐし」について。
これは英語ではUnlearningと表現され「学びなおし」とも訳されてきましたが、「ほぐす」という表現のほうがしっくりくるような気がします。
最近の「何故なに」は「学ぶってこと、好きなはずなのにどうしてその前で頑になっちゃうの?」っていうこと。いろいろなことが好きだったり、もっと好きになりたかったりするのに、気がついたら混乱してしまっていたり、うまく深みに辿り着けなかったりするのはどうしてだろう。
何故、なぜ?
「ほぐす」というより「ほぐれる」の秘訣があるんじゃないかなと思います。
図書館からの帰り道、歩きながらふと小学生の頃に読んだ動物園で飼育されているトラの話のことを思い出しました。お母さんトラは子どもが怪我をすると、その傷を癒そうとしてペロペロと舌でなめる。けれどもトラの舌はざらざらしているので、なめられることで子どもの肌はより一層傷ついてしまう・・・。それはとても印象深い話でした。
「愛したいのに、上手に愛を表現することができない」
それは人生におけるとても重要なテーマを象徴しているようです。
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さて。「学びほぐし」について。
これは英語ではUnlearningと表現され「学びなおし」とも訳されてきましたが、「ほぐす」という表現のほうがしっくりくるような気がします。
最近の「何故なに」は「学ぶってこと、好きなはずなのにどうしてその前で頑になっちゃうの?」っていうこと。いろいろなことが好きだったり、もっと好きになりたかったりするのに、気がついたら混乱してしまっていたり、うまく深みに辿り着けなかったりするのはどうしてだろう。
何故、なぜ?
「ほぐす」というより「ほぐれる」の秘訣があるんじゃないかなと思います。