音と響きと。[2012年07月30日(Mon)]

本気で知りたいことがあってワクワクとのめりこんでいます。「のめりこみ方」は人によって特徴があると思い、私などはとても穏やかにのんびりとかもしれせんが、小さな小粒のような触手がふわふわ漂うような感じです(そう、クリオネみたいに!)。

ここのところは「どうしたら静寂が聴けるのかしら」ということに関心を持って書物などを読みふけっておりますが(本を読むとき、心に自然といろいろな感情や思考が沸き起こりますが、それを黙って観察するのを楽しむのです)、一昨日読んだ本に書かれていたことと昨日体験的に学んだこととが非常に重なりを持っていて感銘深く思いました。書籍に記されていたのは、とある七つの法則のこと。昨日の学びは身を清める祓いの言葉のことです。
(清め、循環する・・・水の持つ役割と私たちの生きることとはとても関係がある。生命はその営みを通じて「清め」に携わっているのだから・・・それが私が心に抱く仮説であり宇宙観であるようです)
生きるうえで大切なことのうち、現代人がついうっかり忘れていることのひとつは「自らのうちに水の音(ね)を聴く力」であるように思います(「自らという自然のうちに」という方がより正確かもしれません)。外側の音でさえ騒がしすぎると「聞こえなくなる(無視する)」本能が働きます(都会の雑踏などをあるいている時、ひとつ一つの音を全部まともに受けとめていたらおかしくなってしまうでしょう。ですから耳は自然と音をフィルタリングし、無意味化している)。一方で何もないようなところでは僅かの音にも、その放つ振動や響きというものを感じるでしょう。響きは細胞に、つまりは生命の源の形に語りかける言語です。存在を微細においてどう捉えるか。ただ在るという状態を感じ取る感性はどのように磨くことができるのか。
私などは随分長いこと外側の栄光に憧れ、内なる静寂に耳を傾ける力を衰えるがままにさせてきました。
水の清らかな音を聴くための空間をつくりたい。あるいはそれが、私の密かな願いなのかもしれません。つつましやかに、つつましやかに。
追伸:
昨日は暑気払いといって調子にのっておさけを二杯もいただいたので家に帰ったまま眠りについてしまいました。ちょっとずるして7月30日付けにした記録です。