彼方[2014年01月13日(Mon)]
夕暮れは
私たち誰もに還る場所があることを思い出させてくれる
朝陽が
私たちひとりひとりが新鮮な
「今このとき」を与えられていることを
思い出させてくれるように
***
最近、人から教えていただきとても気になっている
六車由実(むぐるまゆみ)さん。
11月に、「NHKラジオ深夜便/明日へのことば」という番組で介護民俗学のことを話してらしたことに、今になって気づいた。
有り難いことに、そのストリーミング配信は
今日まで視聴できることになっている。
笑ったり、じぃんとしながら、
何度も、繰り返し聴いてしまった。
「なんて、新鮮な語り口調なのだろう」
六車さんの声を聴いていると、何故だか嬉しい気持ちになってくる。
頭や感情の理解する世界を超えて、
深くに湧きいずる泉のような存在:
六車さんが見つけているものは、人生の茂みに隠された
その湧き水のようなものだのだろう。
***
(いつか)という言葉がある。
いつか、ゆっくり、生活と向き合って。
いつか、誰かと、こんな風に過ごして。
(いつか)には少し(空席)を思わせる雰囲気がある。
言葉を変えると
(未来を予想図の範疇におさめておきたい)という
あくまでも無意識のうちにいて、
少し、期待しすぎたような感覚
***
ああ、直線の年表をみていたみたい、わたし、と
気づかされて、はっとした。
***
六車さんのラジオの中で、施設にいるおばあちゃんがある日突然、口ずさんでくれたという「蛙のよまわり」という唄が紹介されている。
蛙の夜まわり ガッコ ガッコ ゲッコ ピョン ピョン
ラッパ吹く ラッパ吹く ガッコ ゲッコ ピョン
それ吹け もっと吹け ガッコ ゲッコ ピョン
調べると、野口雨情の作詞、中山晋平の作曲だと気づき
驚いてしまった。
(老いた記憶にかようにして蘇る、なんという贈りものを
この方々は残してくださったのだろうか)
その、おばあちゃんの唄う声が番組で紹介されていて
私は、おばあちゃんの背に背負われて
子守唄を聴いて過ごした子ども時代のことを思い出した。
あの薄夕闇と、背中から伝わる震動と温もりのことを、
思い出した。
そして
自分の周りにはなんという確かな(生)があったのだろうかと
どきりとしてしまった。
***
今、この時代を生きるおじいちゃんやおばあちゃんの
身体に染みついた人生の美しさのことを思う。
お世話する、とかではなくて
触れさせてもらっていい?と尋ねたくなってしまう
ごつごつとした、決して優雅とも限らない生命の形。
どうしてそれが
心を惹きつけてやまないのだろう。
***
(いつか)を期待できるほど
私は器用ではなく、
むしろそれは祝福されるべきことではないかと
今はぼんやりと考える。
言葉にもせず、わかりやすく整理されることがなくても
奇跡のような確率で、導き合い、出会っているものが
この世には本当にたくさんあるのだろう。
それは、私にしか意味のないことかもしれないが
それこそが私が生を受けた理由でもあるような気がする。
すくなくとも子どもに
(その発見は何の意味も持たない)などという言葉を
たむけるわけはないではないか。
***
昨日見つけた言葉。
Meditation(瞑想)の語源はMedicine(薬)。
健康な人に薬は要らない。
子どもの無邪気さがあればいいのだよと。
お年寄りと、子どもと。
その間の大部分をしめているように(見える)
大人という時間は、
実はおかしな(からくり箱)かもしれないね。

