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健やかさ[2014年01月05日(Sun)]
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聖書には紫という色彩が何度も登場する。高貴さの象徴でもあるのだろう。薄紫色を思い浮かべながら、その淑やかな衣のよく似合う肌や笑顔を思い浮かべる。基督者ではないため、聖餐に預かることがなく、その持て余した時間に聖書を少し読み進める。そんな隙間の時間、想像で見たひとつの情景。

今日はルカによる福音書第16章『不正な管理人』についての話を伺った。聖書の中でもとくに印象に残る、controversialな(物議を醸す)一節だ。「お金の使い方教えます」と、説教のタイトルにあった。これもまた、礼拝にしてはcontroversialなタイトル。

金持ちに仕える管理人。不正を行ったことを知られ仕事を失うことを怖れた彼は、自分を必要とし迎え入れてくれる者を持つために、さらなる不正を行う。にも関わらず、主人は、この不正な管理人の利口なやり方をほめる。「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である」と。

私にはまだ、一体どうしてそのような物語がもたらされたのか、その真髄を計り知ることはできない。けれども牧師さんの「富たるものは、もともと私たちのものではない:私たちは神から預かり受けた富を扱わせていただているだけ」という言葉については、なるほどと思い至るところがある。

存在から豊かさを放つ人たちの、普通には想像もつかない富や豊かさを手にしていながらも当たり前のように軽やかな、あの佇まい。

薄紫色は、そういった富や豊かさを諭させる、言葉になる前の遣いのようにも思えた。
(そういう方たちはどういうわけか皆、薄紫がよく似合う)

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いのちについての知らせが多いので、どうしても生命(始まりと終わりに挟まれた今)のことを考えてしまう。いのちはどこに安息を求めるのだろう。病に伏したとき、枕元に置けるものは、本当に少ない。少ないからこそ、深くきめ細やかな物語を含むものたちを「選ぶ」ことに、意味があるのだろう。

心を清まし、選ばれたもののそばに、いたいよね。
多分、いのちはそう思ってる。
タグ:こころ
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