ともしび[2013年12月25日(Wed)]
クリスマスが通り過ぎる。
今年も礼拝で素敵なお話を伺い、しあわせな時だった。
この牧師さんと、通う方(品よくお年を召した方が多い)との出逢いから、私は教会を訪れることが好きになった。美しい言葉、おだやかな笑顔がこうも人のこころを慰め浄めるものかと思った。
そういう習慣を身にまとうことへの、憧れのようなものが、今もある。牧師さんはどうやってあのように清らかな言葉を紡ぎ出しているのだろう。ギリシア語を学ばれたとおっしゃっていた。そうして、聖書の言葉の深みをさらに知り、言葉の奥の叡智のようなものに触れてゆく。それは、なんという清くて甘美な体験だろうか。
礼拝の間、蝋燭のともしびの揺れるのを見ながら、多くの聖なる場でこのようにともしびが灯されることの不思議を思った。鐘の音の好まれること、リズムや音楽が用いられること、色彩や植物に意味のあることの不思議と思った。
祀られているのは、いのちそのものではないか。
切り離されることの、決してない、生命の営み。
それは、寄せては返す波のようだ。
呼吸:わたくしたちの内と外とをつなぐもの。
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何故だか、幼いころに「ままごと」が好きだったことを思い出す。あの「おままごと」というのは、なんだかとても預言じみた遊びのようだと、ふと考える。「いい、これからあなたたちは、おままごとの世界にはいるのよ」。対象としてみていたはずの存在が、あなたと同一化するかもしれない。気をつけてごらんなさい、と。
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元旦の日、また教会を訪れることが今からとても楽しみ。年越しの瞬間はお寺で、初詣はこの土地で最も歴史の古い神社で。贅沢、させていただくなあ・・・。
鐘のない神社の境内。
私たちは、手を合わせる。
音が響く。
響きはそこに存在をみる。

