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先生の日記。[2013年06月12日(Wed)]
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この日記。「会いたい人」というタイトルにしようか、ちょっと迷った。けど敢えて「先生の日記」と書いたのは、「先生」という存在て、子どもが社会を知る過程でとても大きな存在だからです。

(人が社会とどう出会うのかって、何においても、とても大切なテーマでしょ?)

ときどき、インターネットの世界を歩いていると思いがけないおもしろいサイトに出会うことがあります。そのうちとくに「これは」と喜んでしまうものの多くが、私の場合、先生をしている人の書いたもの。

子どもの頃って、先生がどんな気持ちで先生をしていたかなんて、あまりよくわからなかったじゃない?けれども、学校に入ったら必ず毎日顔を合わせる大人は先生だし、とくに私のように、どこか心細く自分を支えている子どもにとって、先生の存在は大きかった。

まっすぐ向き合いたいはずだけど、目を合わせるのが怖いような。はじめて仮面を被り始めたのも、きっと「先生」のいる世界に入ってからのこと(そういう意味では、幼稚園の時が「先生」や「社会」との遭遇の始まりだ。感情はあるけど、それを上手に整理する思考をまだ持たなかった時代)。

そういうわけで、先生という大人がどんなことを考えているか、気になるけれど、臆病な分だけ想像で埋めることが多かったように思います。(あ、きっと今、怒っているな)とかいう想像は(先生はこういう時に怒るものだ)に結びついたり。「一般化」みたいなことも、この時期に発達する機能のひとつなのかもしれません。

そうして、幼いこころに「スタンダードな大人像」が形成されるのです。

先生をしている人の日記を読んでいると、「先生」という典型がはがれ落ちて、「先生をやっている人」のひとりの人間としての顔が見えてきて嬉しい。「先生の日記」を読むときの新鮮さやどきどきの背景には、そういう気持ちが、あるのかもしれないです。

そういうものの見方ができるようになったとき、ずっとしっていたはずのその人に「やっと会えた」っていう気持ちになる。

「本当は出会いたかったあなた」。それは、ステレオタイプの向こうにいる。

今日の日記には、愛犬「とら」を見つめる目線を選びました。「先生」の、とても人間らしい素の表情に触れたとき、何故だか泣きたくなったことがあったなあ。例えば、家庭訪問のとき「かわいいねえ!」と子犬を撫でているときのほころんだ笑顔。「あ、おなじだ」って、通うものがありました。

ひとの素顔って、風景の中で静かに共有されているのです。きっと、きっと。
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