路地裏[2013年06月06日(Thu)]
路地裏を歩くのっていいよね。
そう話すと、
「私も」と答えてくれる人は、案外たくさんいる。
「いいよね」
「うん、いい」
「落ち着いたところがね」
「そうそう、垣根に小さな花が咲いているのだとか」
「お洒落な喫茶店が、あったりなんてして」
路地裏を一緒に歩くってこと、
けれども、
あんまりすることはない。
日常風景の中にある、
ちょっとだけ、非日常なんだ。路地裏は。
いや、「路地裏」として鑑賞されるそれは。
路地裏を、ふたりぽっちで歩く
そういう時の、はやさだとか、歩幅、リズム、距離感の
あの、心地のよさは何なのだろう。
見えない手をつないでいるような
なにか、とても、「共有している」ような感覚。
そんな風に、ひとが、狭いところをちょこちょこ歩くのを
小鳥たちはおもしろがって見ているかもしれない。
「かわいい」って。
小鳥がかわいがるような人間に
なることができるのかもしれない
路地裏を歩いていると。
鎌倉も・昨日歩いた表参道も
あちこちにある知らない片隅も
人のたてる音が
跳ね返ってくる狭さが、広がりが
私はとても、好きだなと思う。
写真は、シナリオの学校の前で写した紫陽花。
何故だか気がつくと、古い商店街とか、食堂だとか、
時計の修理屋さんだとか、
そういう風景を
シナリオの題材に選び続けていた。
廃墟と近代文明の同居・混在・折り合いを付けること。
そして今朝は、こんなことを考えた。
ひとはみな、還る場所を知りたくて
言葉と一緒に、
そのための手がかりを風景の中に探しもとめることが
私の愛する、創造の旅。
その考えは、私をとても安堵させた。
ちいさくて信じられるかけらを
私たちはきっと
静かで透明などこかで
分かち合っているのかもしれないね。