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生きていること[2013年05月10日(Fri)]
新月の夜です。新しいことをはじめるのにちょうどいい日ということで、こっそり初めてみました。あたらしいこと。人見知りなので、なれるまでは内緒にしておこうと思います。隠れて、こつこつ。

IMG_8167.JPG

昨日は少し不思議なことがあって。別のところでも書いたのですが、この場にも記しておこうと思います。「誕生」に関することです。

「女性手帳」というものの導入について、あちこちのニュースやブログで目にするようになりました。妊娠とか、出産のこと。「適齢期」という言葉。

それに対する批評じみたことをあまり口にするつもりはないけれど、私が等身大の人生の体験から言えることは、そういうこと、適齢期を過ぎても、まだ当事者になっていなくても、本当にとっても大切に真剣にかんがえて生きている人たちがいるってこと、想像する気持ちをもってほしいなということです。とても大切に思っても、いろいろな理由から手にすることができないこともあるでしょ?頑張ってといわれても、どうにもならないことだって、あるでしょ?そういうことを、黙って乗り越えていきている人たちがいること、ほんのかたすみにでも想像する気持ちをもつことができたら、もっと人は、やわらかな気持ちになれるのになって、思うのです。

制度や何かがある程度の基準を必要とすることはよくわかる。けれども同時に、ある一定の定規をつきつけられることがもっとも悲しいのも、いのちという存在です。いのちって、誰のいのちも同じようだけど、どれひとつ同じものはないでしょう?いのちには一つひとつかけがえのない魂が、こころが宿っている。生きようとする意志が宿っている。社会という秩序めいた入れ物のなかではわかりにくいかもしれないけれど、いのちというものは、いつだってサバイバルを続けているんだ。頭と、こころと、身体と、噛み合ないことだってあるけれど。

私は、いのちがそうやって一生懸命悩み、生きる道を切り開こうとする姿を、とても普遍的で個人的なそれを、あんまり簡単にひとくくりで伝えて欲しくないなと思う。

そして改めて、価値観というもの、尊い人生を尊く生きるための砦となるのもは、私たちが自ら築いていくものなのだよな、とも思いました。生きているこのいのちは、私のものであり、私を大切に想う人たちとわかちあうものであり、誰かわからない「誰か」に、簡単に傷つけられるものではないのだと思います。だからこそ、強さを持って生きることは必要。教育・啓蒙という「明るい」ものを前に。

さて。そんなこんなで、この関連の記事を読んで少し熱くなっていたこの日、横浜駅のホームに降り立ったわたしの目の前に、具合を悪くしてしゃがみこむ女性の姿がありました。ビニール袋に嘔吐していたその女性に「大丈夫ですか」と声をかけると、彼女は「大丈夫です、つわりなんです」と涙目で微笑んでこたえてくれました。それでもやはり辛そうだったので、私と、もう一人通りかかった女性とで少しだけ介抱して、「お大事に」といって分かれたほんの数分の間、私たちは不思議と、安心したような、あたたかく穏やかな気持ちをともにしていました。女性の時間だな・・・と、感じたひとときでした。

そんな出来事のあと、この日は久しぶりにオーラソーマのスクールで勉強会がありました。

私がオーラソーマを学び始めたばかりのころ、先生が授業で見せてくださったのが、このブログのエントリーに掲載した写真です。受精の瞬間。科学系の雑誌からの切り抜きだそうです。

私たちはたったひとつの細胞からはじまって、お母さんのお腹のなかで、長い時間をかけて人間のかたちになり、この世におぎゃあと生まれてきた。いまだって、忘れることなく呼吸し、血液を循環させ、体温を調節して、身体は生命の秩序を抱えてずっとずっと生き続けている。そのなんと神秘的なことか・・・。

この受精の瞬間の写真をみると、私は自然と、涙があふれてしまいます。そうか、私も、お父さんやお母さんも、みんな、みんな、たったひとつの細胞からはじまって、こうして大きくなったんだ。生きていくために必要な情報をちゃんと抱えて、こうして今も生きているんだ・・・。そう思うと、悩んだり苦しく感じることがあっても、大丈夫、いのちを信じようという気持ちを思い出せるのです。

だから時々、落ち込むことがあると、私はこの写真を眺めることにしています。

何歳までにどうするべき、とか、どのようにあるべきとか、そういうことを知ることにも、もちろんそれなりの意味があると思う。でもそれ以上に、いのちの尊さを知り、なによりも私たちが私たち自身を尊厳のある存在として認めあうことをもう一度思い出すことが、大切なのだと思います。

すっかり長くなってしまいました。果たして的を得たことを書けたかどうか定かではないですが、人生の通過点、今どんなことを感じているのかということを記録しておきたくて、書き留めたエントリーでした。

すべてのひとの人生に愛と祝福がありますように。
【こころと身体の最新記事】
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