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知らない人。[2013年05月09日(Thu)]
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東京に暮らす前のこと。「東京」っていうのは、東京駅のことだと思ってた。

大学に通うため上京することが決まり、東京の地図を買う。暮らすことが決まっている「武蔵境駅」のある中央線。それを真ん中に向かってまっすぐいくと新宿があり、それを下に降りたところに渋谷がある(今では懐かしい思い出だが、西日暮里をどうしてもよめずに、にしひぐれざと、と読んでいた)。

入試のためなんどか訪れたのでぼんやりとは分かっていたけれど、やっぱり奇妙な感覚がする。車社会で生きてきたので、新宿から電車で20分、なんて距離も、近いのか遠いのか、判断することができなかった。

武蔵野市の0422という局番を伝えると、地元の友達は「東京03じゃないじゃん」と言った。東京っていってもいろいろあるの、武蔵野市ってところなの、新宿とかにも直ぐ出られるの。そういっても、東京の中身があいまいな人たちには、それがどういうものか分からない。宇都宮からの電車は上野に向かう。上野と遠いの、新宿って?

・・・あれ、なんでこんなことを書いていたのだっけ。

そうだ、このエントリーに新宿の写真を選んだからだ。そうでなければ、こんなことを書くつもりはなかったのに。

シナリオという雑誌を読んでいた。そこには、かつてクラスメイトだった脚本家のインタビュー記事が掲載されている。静かに奥底を流れる情熱を秘めた人。・・・そうだったなと、今になって振り返る。

そこには、彼女がかつて先生から受けたアドバイスのことが紹介されていた。それは「事件じゃなくて、事情を入れなさい」という言葉だった。

シナリオを書いていると、つい、事件をたくさんちりばめたくなる。感情が動くし、映像としてもイメージしやすいし。そして、そういった表層的なトリックにはまり込むうちに、人物の方がどんどん疎かになっていく。「どこにでもいそうな誰か」が予定調和に事件に翻弄される話になる。

事情を入れる、というのは「人を注意深く観察しなさい」ということだ。どこにいても、何をしていても、その人らしさがにじみでる。つい、感情移入してしまう人になる。それくらい人間に真剣に向き合ってはじめて、アイデアをドラマへと紡ぎ上げてゆくことができる。

作話とは、登場人物と出会い、その人の持つ世界を、その世界で起こる変化を、発見していく作業だ。出会うためには、相手を「知りたい」と思う気持ちがあることが大切だ。「知ってる」と思ってしまうと、たくさんの角度から、その人をみることがむつかしくなる。「知ってる」ことに安心したくなると、そういう傾向が強くなる。

このエントリーのタイトルに「知らない人」と書いたのは、人との出会いを深めたい時、おまじないのように思い出す言葉に、それをしようとしているからだ。

「知っている人」。ともだち。かぞく。パートナー。

つながる人が増えた分だけ、知らない人が増えるといい。そうすると世界に、たくさんの知らない地図が広がっていく。確かめるまでわからない、確かめてもなお定かではない世界とまた、「おはよう」と言って出会っていくことができる。

たくさんの色彩や線たちは、きっとどこかでつながり、すれちがい、思いがけぬところで交わり、思い思いに変化するだろう。生きているとは、とてもダイナミックなものなのだ。みえなくても、わからなくても。

思えば自分の身体のことでさえ、その全体のことを、私たちは知らない。眠っている間にも動きをやめない心臓や呼吸、いろいろな細胞たちのこと。リアルな夢を見て目を覚まし、またすぐその記憶が遠のいていくことの不思議。

東京も、その人も、私も。知らないけれど、よく知っている。

そして、「知っている」という言葉を使うときの自分については、せめて、自覚的であれたらいいなと考えている。
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