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状況と、ものがたりと。[2013年04月21日(Sun)]
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返却期限の切れた本があり、急ぎ読み終えようと、とあるファーストフード店で読書した。そのまま返却ポストに返しておけば、明日の午前中には、図書館に戻せるから。

その本は「ベスト・エッセイ<2012>」といって、作家やエッセイスト、哲学者など多くの人たちの随筆により構成されている。震災の経験を受けての文章もいくつかあり、読んでいて、当時感じていたことを生々しく思い出した。こうして少し昔の文章に触れることが、目の前に流れる「被災地の今」というニュースを読むよりもより鮮やかに震災を感じさせるのはどうしてだろう。ざわざわしていた頃のこころを思い出すからだろうか。あるいは、当たり前に流れるはずの時間のどこかに、太く刺さった釘のような象徴的な断片を思い浮かべるからかもしれない。「今」は耐えず動いていく。インターネットの発信する情報は、新聞のように物理的に「積み重ねられる」ことはない。デジタルの世界では、風化は、それ自体が感じにくいのだ。ネット世界において、風化とは、あまりに日常のことだから。

さて、そんな気持ちで本を読み進めていると、となりのテーブルに、何やら騒がしい男の子4人組がやってきた(大学生・・・ではさすがにないだろうと思うが、高校生と大学生1年生くらいはみわけがつかないので、なんとも言えない。いまどきの高校生・・・はこんな時間(夜23時)にこんなところでたむろしているのだろうか)。

彼らはとにかく、たくさんの音をたてた。食べるときの「むしゃむしゃ」「くちゃくちゃ」、椅子やテーブルの「ギイ」、わけもなく誰かひとりが笑い出すと「ひーっひっひっ」と身体をよじらせて、足をガタガタいわせて、全員で大騒ぎする。「俺ら、そのうちクレームで追い出されるぜ」。ひとりが言うと、残りの3人が「間違いねえ」と言って、また大声を出して笑った。

あまりにその様子が酷いので、席を移動しようかとも思ったが、他に客もいない。露骨に移動するのもどうかと思ったので、耐えることを考えた。耐えるというのはストレスがかかる。そうだ。この状況ごと、「味わってみる」ことにしよう。

ちょうど、大竹しのぶさんのエッセイを読み終えたところだった。紹介されていたのは、「それでも、生きていく」というドラマに出演されていた時の話。少年犯罪で娘を殺された母親、役名「野本(深見)響子」の人生を、女優として「生きた」という体験。役者として生きることで(もしかしたら自分ごと以上に深く)対峙することになる、他人の人生の深みについて、記されたものだった。

ものがたりを演じるということ・・・。

とある精神医療の先生が、このようなことを言っていた。「人は誰でも、自分のつくりあげたものがたりの中で暮らしている。そのものがたりが、生きることをつらくさせているならば、ものがたりを自分で見られるようにすれば、少し、楽になれる」。

だから、状況を変えるためには「ものがたりを変える」ことを試みるのがもっともよいと、考えた。こじつけだけれど、4人の騒がしい男の子たちを、彼らがわざとらしいほど意味もない音たちを忙しなくたてるのを、このうえなく愛おしく思う気持ちで受けとめてみよう。・・・誰にも迷惑はかからないし、それによって変わるのは、私の持つ「ものがたり」だけなのだから。

そういう気持ちで、目に入るもの、耳に届く言葉の放つ震動が変化していくのを、少しの間、楽しんでみた。実験だ。これは実験だ。妄想だけれど、立派に正当性をもった私の「ものがたり」。そのものがたりがもたらしてくれた奇妙な安堵感と平和に包まれた感覚。

エッセイを読み終えた頃には、男の子たちに用意した「愛情」のことなどすっかり忘れて、再び本の世界に引き戻された私は、立ち去る際、席を引かずにいたひとりを「おい、邪魔だろ、よけろよ」といった男の子の顔さえも直視することはなく、その場を立ち去っていった。

目をみる、ということは、なかなか、本気で「はいりこまなくては」できない。身体をともなう「ものがたりの転換」は、思考のそれほど、簡単ではないのかもしれない。その意味において「ものがたり」は「ものがたり」に過ぎず、身体だけが、真実をより直感的にわかっているような気がする。

状況と、反応と。そして、ものがたりと想像と。

一杯100円の珈琲を飲み、小さな席に座りながら、こころばかりが宙に舞い拡散する。気づくと、雨はあがっていて、あまり大切にされていないビニール傘をなんとなくたたんで縮こまりながら家路についた。

どうか、明日は晴れますように。

写真は、バリ島を訪れたときに写した一枚。花粉症のような症状がおさまらず、ずっと鼻水をかみつづけていたので、この石像をみた瞬間、一緒にいたHさんが「あ、この石像、トイレットペーパーを持ってる」なんてことを本気でいったのだった。「そんなわけないでしょ、冷静になってよ」。頭脳明晰で冷静な彼女がそんなおかしな勘違いをしたことがおかしくて、このことは一生、忘れられない思い出になるだろう。
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