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嬉しい気持ちとEducation。[2013年01月17日(Thu)]
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ESDの10年地球市民会議2012の総括会議が国連大学1階のGEOC(地球環境パートナーシッププラザ)で開催されました。

*ESD:持続可能な開発のための教育。詳しくはこちら

*昨年11月に開催された地球市民会議2012に関しては以下のふたつに記していますのでよろしければご参照ください。
まなざしを変えること(1)
https://blog.canpan.info/yukikazet/archive/162
まなざしを変えること(2)
https://blog.canpan.info/yukikazet/archive/163

この統括会議には、地球市民会議の登壇者十数名と一般参加者数名が、教育という視点から、持続可能性に関するさまざまなテーマに共通する課題とは何か、その解決のために何が必要かということを話し合いました。

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画像は、私の参加したグループのディスカッションの記録(ちょっと、読みづらいかもしれませんね。ごめんなさい・・・)。

その中でも、私の特に伝えたかった点について、記憶のために記しておきます。

+++

1:教育の中に「政治」というトピックを明確に位置づけること
どのような社会をつくるのか、社会において自分ができることは何なのか。それを突き詰めると絶対に政治のことにつきあたります。けれども日本では、教育の中に政治というものが位置づけられていません。国政である必要はなく、地域の自治のことでいいのです。自分たちの生活がどんな風になりたっているのか、困ったことがあって、あるいは助けたいものがあって、そのために行動を起こすにはどうすればいいのか、など。具体的な「課題解決に向けた社会との向きあい・関わり方」を、教育の現場で、もっと共有していく。そうすると「社会ってどんな風に動いていくのかな」ってこと、もう少し安心して、質問したり学びあったりすることができるようになる。学びがその先の社会システムという文脈と結びついていること。社会システムが解決のために機能する結びつきを持っていること。その両方がとても大切なのだと思います。

2:課題がたくさんあるのはわかっている。「人の可能性をどう活かすか」を考えること
例えば「プロボノ」という働き方があります。自分が持っているスキルを、社会貢献活動などにいかしたりすること。職場には同じようなスキルを持ったひとたちがたくさんいるから、そこでは埋もれてしまうかもしれない。けれども、そういうスキルがない人たちのところにいき、それを活用して力になると、とても感謝される。職場では「私、ダメかも・・・」って思っていた人も、自分の持っている専門性だとかスキルが、とっても感謝される場所に出会うと、失いかけていた勇気を取り戻すようなこともあるかもしれない。自分のよいところをみつける。それから、欠けていることを肯定的に(なにか新しいエネルギーを呼び寄せるかもしれない可能性のポイントとして)みつめなおしてみること。そういうことを、もっとやっていくといい。ほんの小さな成功体験でもいい。それをつくっていく。「働きかけることが楽しい」という、社会の顔に気づいていく

3:世代間の対話を活性化させること
持続可能性という言葉は世代間を意識したことです。今の私たちの暮らしが、未来にどう結びつくかを考えること。それから、過去の私たちの在り方が、今どう変化しているのかを見つめなおすこと・・・。今はとても変化の激しい時代です。そして、中高年と若者では、情報への接し方も違い、「コミュニケーション(という言葉が意味すること)」が(世代によって)大きく変化しています。考え方や価値感も。そんな中、これだけ「情報化社会」といいながらも、学生たちが本当の意味で社会人と触れ、対話する機会が少ないそうです。(学生と社会人の対話の場で、そういう声をよく耳にします)。被災地の方の書き込みで、町内会の人たちが集まり、そこででた結論が「若いもんと、飲むか!」だった、という日記がありました。都会でも、地域でも。世代を超えてフラットに話し合うことが、今、本当にとっても大切なのだと思います。そういう場を、意識的に設けること。教育が起こる装置をつくることが、きっと必要。

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社会が変わるというのは、人が変わる、そして動いていくということ。どうせそうなら、思わず身を乗り出しくなっちゃうような、素敵なきっかけがあるといい。素敵な転換装置をしかけることを考えてみるといい。

「意識の高い人」というよりも「壁を低くすることのできる人」でありたいと、私は思います。「意識の高い人」って「偏差値70以上ね」っていわれているみたいで、なんか居心地が悪い。「偏差値とかそういうのどうでもいいから、みんなで楽しくやろうぜ」って笑っちゃう、クリエイティブでわくわくする集団でありたいね。

・・・って思っているので、よろしくね、ESD(いーじゃん、すてきに、できること)。
タグ:教育 ESD 時代
【こころと身体の最新記事】
この記事のURL
https://blog.canpan.info/yukikazet/archive/202
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