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祈りという習慣[2012年12月30日(Sun)]
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この頃、宗教のことについて記す人が増えているように思います。そういう文書を目にすることが、今週になってなんどもありました。twitterやfacebookで、私がフォローしている方々の綴る言葉の中に。

この頃強く思うのは多くの人にとって「いったい、自分にしかできないことというのはなんなのだろう」と考えることが、避けられなくなっているのではないか、ということです。

社会に対する働きかけのこともあるかもしれません。でもその前に、そもそも自分がどうしてここにいるのか、何故こんな風に身体が勝手に動くのか、脈があがったり目頭が熱くなったりするのか、ふと不思議に思って「どうして」と尋ねたくなる時期がきているのではないか。そういうもぞもぞとした感覚が集合の中に蠢きはじめているのではないか。

あまり言葉にされることはなくとも、祈りの習慣を持つ人が実は増えているのではないかとも想像します。祈りというのは、教会や寺院にいってすることとは限らず、例えば風景を眺めたり、楽器の奏でる音に耳を傾けたり、人の呼吸のようすをじっとみつめることのなかにある、凛とした瞬間にあるものです。

凛とした瞬間。そこは「結界」のようなものがはられた絶対的に守られた空間のようにも思えます。あるいは実際、人はそうやって「結界」をはりめぐらすことが出来るのかもしれない。

私たちは表面上は何も変わらず、もしかしたらむしろバラバラにさえ見え始めているのだけれど、外からは見えないところで、とてつもなく深いつながりを探り当てているのかもしれない。

そういう予感がして、今は言葉が追いつかない時代ではないかと(そういう時空間の隙間にさしかかっているのではないかと)どうしても思わずにいられずに、ここに記してみました。

本当に祈るとき、人は言葉を象徴的に用いますが、触れているのはそのずっと奥にあるものです。ですから到底、その世界の体験は言葉では共有することは出来ず、辿り着いた人たちは、ただただ黙っているのでしょう。
タグ:言葉 宗教 祈り
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