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自分の真ん中に質問しちゃうこと。[2012年12月11日(Tue)]
20121211.jpg

びっくりするほど、美しい富士山。ヤシの木が植えてあるから「ねえ、木だけを写したらハワイと間違えられちゃうんじゃない?」なんて話すおばあちゃまのおちゃめなささやき声と一緒に、冬の逗子マリーナを訪れました。「昔、オヤジはここから江の島まで赤ふんどしで泳いでいたよ」とか、「滑川にはうなぎがのぼってきたんだよ」とか。ほんの少し昔にあった、なんだかすごい光景。今をいきる私たちがどんなに発展した技術と歩んでいても、あるいは発展した技術と歩みをすすめているからこそ、損なわれてゆく身体感覚っていうのがあるんだろうなあ・・・(そしてそれって、とっても貴重なものだったはずだ・・・)なんてことを、ときどきしみじみと考えます。

自分は美しく老いることができるだろうか。

このことを考えると、必然的に今の足元にある暮らしに目を向けることになる。だからもっと、人は考えた方がいいのではないかなと思っています。社会のことで頭にくるようなことも多いかもしれないけれど、もっと切実に、自分自身が大切にするしかない、たったひとりの誰かさんのことを。

冷たい風の中を自転車をこぎながら、よく考えることのひとつが「自分は、こどもにどんな風に言葉をかけたいだろう」ということです。

例えば、もしも自分にこどもが授かったとしたら、どんな教育の機会を授けたいだろう。

「上質な」とか「優れた」いう言葉は、比較対象を意識しているようでなんだかいやらしいな。そういうんじゃなくて、もっと、素朴に、腑に落ちる感覚がするもの・・・。そう考えて、大切にしたいのは「Fair(公平)」であることかな、なんて考えてみました。対等であること、とも言えるかもしれない。

こどもって、とてつもなく可能性を秘めた存在だから、そういう存在として、先の人生の時間をいきている私は、人生という時間をかけて身体にしみこんだあじわいのある智恵のようなものを持って(ながくいきた分だけ賢いだなんて勘違いしないで)ひとりの存在と対等に向き合っていきたいです。そんな風にあることで、私の中で居眠りをしていた、大切な感覚がふたたび目を覚ますこともあるかもしれませんし。

よく、環境のこととかをかんがえていると、どんな風に思考をこらしても、どうしてもまだ「教える」感じがぬけなくて、どこかがどうもフェアじゃない・・・気がすることがあります(いいわけをすると、そういう透明な感覚を失うのがこわくて、あるいはそういったバランス感覚がつかみきれていないことをよくわかっているから、私はあえて「無知」でいるのかもしれません)。

もしも私が、たったひとつも学問とよべるような知識をもっていなかったとしても、とても真実に人と接することはきっとできるはず(むしろ「知識がないからこそなおさら」できることとさえいえるのかもしれないくらい)。

たまたま大学にいき、たまたま就職をして、たまたま驚くくらいに「賢い」人たちがおおくいる環境に生活しているけれど、もし「何もなかった」としても、人生にとって本当に大切なことを伝えるために不足するものなんて、きっとないのではないかと思います。

ニュースをみていると、とても胸がいたくなることが多いです。昨日はアンジェリーナ・ジョリーがUNCHR(国連難民高等弁務官事務所)特使としてシリア故郷を訪問したというニュースを目にしました(「痛ましい現場を知り得る環境に私たちは生きている」。このことが現代を生きる認識として絶対的に必要なことだと、私は思います)。
http://www.unhcr.or.jp/html/2012/12/ws121206.html

痛みを前に人は平等です。それから、愛のもとにおいても。だからこそ私は、こどもができたとしたら、とにかくできるだけたくさんの「大好き」に出逢ってくれたらいいなと考えています。大好きがたくさん増えちゃって、そのことに夢中になっているうちに、大好きのさきにつながるいろいろなものが見えてきて。だから、大好きなものを大切にしたいなって思ったら、あんまりみたくないような現実のことにも、覚悟して出逢っていかなくてはならない。そういう冒険を生きるたくましさを、まずは愛する気持ちを通じて、自らのうちに育んでいけたなら、素敵なのだろうな。

なんだかぐるぐるしながら書き綴る夜です。

絵本のような本を読みながら考えていたこと。データで語るのは、いろいろなことをみえにくくする。「大好きなあの子が悲しんでいたら、どう思う?」。そういう会話を、私たちはもっと、紡いでゆけばいいのだよなと思います。

環境とか社会とか、まどろこしいのはやめよう。平和だよ。愛おしくてならないすべてを含んだ私たちの求めるものの名前は。そして、平和とは静止画ではないです。それは、美しい廻りのものがたりであるのだから。
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