最近のできごと。[2012年12月09日(Sun)]

一年を振り返る時期です。
今週はとくに、懐かしいことが続きました。
感覚的に一番深くのことを思い出させられたのは、大学卒業以降数年携わっていたコミュニケーション・ラボ21という演劇集団のメンバーとの再会です。メンバーから呼びかけがあって、集まれる人たちだけで集まろうよ、という感じで開催されたその会合には、懐かしい顔ぶれがいくつもそろって、お互い「どれくらい前から近況報告がいるんだっけ・・・?」というでこぼこな感じで。
舞台に励んでいた頃、あれはほんとうに青春だったねえ。擦り傷をいっぱいつくりながらがんばったよねえ・・・と、懐かしさでいっぱいになりました。いまではずいぶんまるくなった(であろう)面々も、舞台に向かえばまたとんがってぶつかりあったりするのかしら?あの、緊張感。今ここでしかない時空間を生きるスリルをとても恋しく思います。
さて。とても気にかかる記事をいくつか、記録のためにここに記しておこうと思います。
何故だかふと、今日、目の前におりてきた記事。どこからここに辿り着いたのだろう。「亡くなる2日前に、友が残したメッセージです」というメッセージとともに、とある方のツイッターで紹介されていた「結婚未満」という新聞記事。
http://twitpic.com/85yvpu
作家の片山恭一さんのブログより。限界原発差止等請求事件・原告としての意見陳述書
http://www.kkatayama.net/blog/?p=393
その一部を、抜粋します。
"最後に、私がたずさわっている文学の話をさせてもらいたいと思います。文学とは本来、人間の可能性を探るものです。人間はどのようなものでありうるか。小説は、それをフィクションという設定のなかで問うものだと、私は考えています"
今日私は、「想像力」についてのことを話すメッセージを知り合いに送りました。復興のこと、原発事故のこと。当事者の方にお話を伺う機会が今年も何度かあり、そういった時に多くの方が口にしたのが「想像力」という言葉です。
「どうか、想像力を持ってください」「想像力が働かなくなることが、怖いんです。情報を鵜呑みにすることが」
それは風化という言葉、あるいはステレオタイプ化という言葉の向こう側にある、生きる言葉だと思いました。
facebookで、多くの人たちの間でシェアされていた、糸井重里さんと西水三恵子さん(元世銀副総裁)の対談。
http://www.1101.com/nishimizu/2012-12-06.html
今日の日記は、なんだか順番や構成がばらばらです。ばらばらだけど、大切に想うことを貼付けたので、表現したかったことについては、なんとなく推測はつくのではないかと思います。
クリスマスが近づき、家でも賛美歌を聴いています。賛美歌を聴くといつも思う。人はいつかは死んでいき、けれども何かを必ず残す。生きた証は、必ず残る。ぬくもりの今を。