透明に、透明に。[2012年12月05日(Wed)]

長谷寺の紅葉ライトアップをみにお参りにいってきました。5時前には暗くなる季節。このライトアップを目当てに訪れた団体客もいて、境内の賑わいは大晦日のそれを彷彿させるものがありました(鎌倉に越してきてから、年越しはいつもここで過ごしています。灯籠が美しいから。そして、元旦の朝には初日の出もここで)。
美しい彩りに包まれながら、まわりの人たちと同じに、つい私も携帯を取り出して写真を撮ることに夢中になってしまいました。誰かに伝えたくなるものだから、仕方がない。ブログにアップしてもよいのだけれど(そして今実際そうしているわけですが)、なんとなくこの紅葉の写真は、個人的なメールで、個別に何人かの人に送りたい気持ちになって、そんな風に感情を交換するのを楽しみました。「わあ、綺麗〜!」という、休憩時間のお母さん。「京都にいるの?」と長谷寺だと書いているのに条件反射のお返事をくださった先生(笑)。受け取る「誰か」のことを、具体的に考えるのって、なんだかいいなと思いました。
家に帰ると、クリスマス礼拝の案内がポストに届いていて、その手書きで書かれた宛名もまた、気持ちを温かくさせてくれるひとつです。
さて。今日はタイトルに「透明に」なんて言葉を選んでみました。
年の瀬もせまり、新たな一年に向けて、自分の心の深い部分に触れたいという気持ちの高まる季節。色彩をつかったオーラソーマのカウンセリングを、温かな部屋で静かに流れる時間の中でご提供することが、とても贅沢なよろこびです。
オーラソーマについては、いつもどんな風にそばにいたいだろうとつい考えてしまう。それは、好きな人とのつきあいかた(距離の取り方?)を考えるみたいな感覚です。好きなだけ近くにいてもきっといいのだけれど、こういう風に在りたいなと思うのは、できるだけ私は透明な存在で一緒にいようということ。そのままの綺麗さを受け入れたいのだから、私のこころにあんまり、色を持ち込まない方がいい。できるだけ透明でいたれたらなあ・・・と、いつも思います。
そうしたらいくら存在をみたしても、窮屈になんてならない。言葉によって景色を曇らせることは、きっとできないことでしょう。