環境としてのパートナーシップ[2012年12月02日(Sun)]
日本臨床死生学会第18会大会からの記録です。
マーガレット・ニューマン女史の発表した「拡張する意識としての健康」という理論があります。その理論に基づくパートナーシップのケアについて、武蔵野大学の高木真理さんから発表がありました。
看護師としてお仕事をなされている中、末期癌の患者の死に直面した際に「あんたは何もしてくれなかったじゃないか」と遺族からののしられた経験があるという高木さん。ケアするとは何なのか、看護師としてできることは何なのかを真剣に悩まれていたさなかに出逢ったのが、ニューマンの理論でした。
ニューマンは「人間はどのような苦しい状況にあっても、環境との相互作用を通じて成長・進化を続ける存在であり、そのプロセスが”健康"である」と定義します。そしてそのプロセス(過程)を支援することの中に、ケアすることの本質があると。
人は苦しみや困難に直面すると、そこから抜け出し新たな自分を見いだそうと必死で奮闘する。その苦しみを抜け出す力を、誰もが自らの内側に秘めている。そのことを認識できるように援助することが「ケア」。
例えいかなる状況にあろうとも、成長し進化すると信じ続ける関係性を構築すること。このことを「豊かな環境としてのパートナーとなる」と、高木さんは表現しました。「豊かな環境としてのパートナー」。なんて、深みのある言葉。
以下、高木さんのプレゼンテーションの資料からです。末期癌を宣告された患者さんが、死の苦しみから解放されるまでのプロセスを、実体験をもとに。
自らに迫りくる死を受け入れられず、まわりに当たり散らしていたAさん。勇気をだして向き合うことから「眠れないんだ・・・」という言葉を受けとめる。耳を傾け、応えたいという気持ちを示すことから、関係性の構築が始まる。
面談を通して、自分の持っていたパターンに気づく。人を信じられなかったこと。関係性をもつ代わりに闘うことを選ぶしかなかった自分・・・。
封印してきた痛みへの気づき。新たなルールの受け入れ。
スピリチュアルな痛み・苦しみからの解放。
「病も死も、その人をおとしめることはない」とニューマンはいいます。だからこそ「あなたの真実の核心にたちなさい(Stand in the center of your truth)」と。
痛みの解放と苦しみからの変容。
肉体的な痛みだけが苦しみなのではない。苦しみを増幅させるこころのパターンが存在する。それに向き合い、成長するプロセスを通じて"健康"を維持する。
このまなざしは深く、強く、愛に満ちたものだと感じました。
同じように、このようなまなざしを必要としている人はたくさんいることでしょう。「死にたい」というのは「苦しみのパターンから抜け出したい」けれどもどうしていいかわからないという叫びであるように私には思えます。
人は「成長したい」という気持ちを無意識に遺伝子のうちに抱きかかえて生きてきた存在であるように思います。痛みを感じるセンサーが働く時:それは忘れられた「約束」が思い出されようとしている時に思えてなりません。その約束を思い出した時に、新たなる成長のプロセスが始まってゆくのだと。
豊かな環境としてのパートナーであること。それは、共に生きる希望。
どうか今日も、やさしく自分を抱き締めるあたたかな夜がありますように・・・。
追記:
個別の章をたてるには重たいような気がして。二階堂奥歯さんという方の書かれた「八本脚の蝶」という日記があります。自らいのちを断たれた方のもので、そのことも記されているので御覧になりたい方には注意が必要かもしれません。どうしてそのことを思い出したのかというと、もしもその方に会うことがあったならば、私はどんな風に存在と向き合うのだろうと、ふと考えてみたからです。眼を背けないこと。それは先ず、私自身が「恐ろしく定義した何か」から自由であることをいうのかもしれません。
マーガレット・ニューマン女史の発表した「拡張する意識としての健康」という理論があります。その理論に基づくパートナーシップのケアについて、武蔵野大学の高木真理さんから発表がありました。
看護師としてお仕事をなされている中、末期癌の患者の死に直面した際に「あんたは何もしてくれなかったじゃないか」と遺族からののしられた経験があるという高木さん。ケアするとは何なのか、看護師としてできることは何なのかを真剣に悩まれていたさなかに出逢ったのが、ニューマンの理論でした。
ニューマンは「人間はどのような苦しい状況にあっても、環境との相互作用を通じて成長・進化を続ける存在であり、そのプロセスが”健康"である」と定義します。そしてそのプロセス(過程)を支援することの中に、ケアすることの本質があると。
人は苦しみや困難に直面すると、そこから抜け出し新たな自分を見いだそうと必死で奮闘する。その苦しみを抜け出す力を、誰もが自らの内側に秘めている。そのことを認識できるように援助することが「ケア」。
例えいかなる状況にあろうとも、成長し進化すると信じ続ける関係性を構築すること。このことを「豊かな環境としてのパートナーとなる」と、高木さんは表現しました。「豊かな環境としてのパートナー」。なんて、深みのある言葉。
以下、高木さんのプレゼンテーションの資料からです。末期癌を宣告された患者さんが、死の苦しみから解放されるまでのプロセスを、実体験をもとに。
自らに迫りくる死を受け入れられず、まわりに当たり散らしていたAさん。勇気をだして向き合うことから「眠れないんだ・・・」という言葉を受けとめる。耳を傾け、応えたいという気持ちを示すことから、関係性の構築が始まる。
面談を通して、自分の持っていたパターンに気づく。人を信じられなかったこと。関係性をもつ代わりに闘うことを選ぶしかなかった自分・・・。
封印してきた痛みへの気づき。新たなルールの受け入れ。
スピリチュアルな痛み・苦しみからの解放。
「病も死も、その人をおとしめることはない」とニューマンはいいます。だからこそ「あなたの真実の核心にたちなさい(Stand in the center of your truth)」と。
痛みの解放と苦しみからの変容。
肉体的な痛みだけが苦しみなのではない。苦しみを増幅させるこころのパターンが存在する。それに向き合い、成長するプロセスを通じて"健康"を維持する。
このまなざしは深く、強く、愛に満ちたものだと感じました。
同じように、このようなまなざしを必要としている人はたくさんいることでしょう。「死にたい」というのは「苦しみのパターンから抜け出したい」けれどもどうしていいかわからないという叫びであるように私には思えます。
人は「成長したい」という気持ちを無意識に遺伝子のうちに抱きかかえて生きてきた存在であるように思います。痛みを感じるセンサーが働く時:それは忘れられた「約束」が思い出されようとしている時に思えてなりません。その約束を思い出した時に、新たなる成長のプロセスが始まってゆくのだと。
豊かな環境としてのパートナーであること。それは、共に生きる希望。
どうか今日も、やさしく自分を抱き締めるあたたかな夜がありますように・・・。
追記:
個別の章をたてるには重たいような気がして。二階堂奥歯さんという方の書かれた「八本脚の蝶」という日記があります。自らいのちを断たれた方のもので、そのことも記されているので御覧になりたい方には注意が必要かもしれません。どうしてそのことを思い出したのかというと、もしもその方に会うことがあったならば、私はどんな風に存在と向き合うのだろうと、ふと考えてみたからです。眼を背けないこと。それは先ず、私自身が「恐ろしく定義した何か」から自由であることをいうのかもしれません。