まなざしを変えること(1)[2012年12月01日(Sat)]
ご縁をいただき、ESDの10年地球市民会議2012に参加の機会をいただきました。
ESDはEducation for Sustainable Development(持続可能な開発のための教育)の略です。2002年のヨハネスブルクサミットの際に日本がESDの10年を提唱し、2014年には最終会合を日本(岡山・愛知)で開催するとあって、そこにつなげるために、教育セクター、専門家、企業、NGOなどさまざまなバックグラウンドの方々が集まり全体会合やテーマ別会議を開催しました。
この会合に最初に関わったのは3年前のこと(もう、3年になるなんて・・・!)。その時アテンドとしてお手伝いさせていただいたインド環境教育センターのサラバイさんとはその後リオ+20、生物多様性条約COP11の会合でも再会し、つながるご縁となっています。
今年も海外からの方のアテンドを少しだけお手伝いさせていただき、二日目には「貧困撲滅と社会公正のための教育」というテーマ会議に、「生物多様性と女性の視点から」ということでコメンテータとして参加させていただきました。

(ウー・チーンさん)
この分科会のゲストとして廣野良吉先生がご招待なさったWu Qing(ウー・チーン)さんのお話の内容がとても素晴らしかったので、ここに少し共有します。
ウーさんは北京外国語大学の教授で、北京農家女文化発展センターで中国農村部の女性の教育にも携わっていらっしゃいます。お父さまが中国のミッションの代表でいらしたことから、第二次世界大戦後、廃墟だった日本に暮らしていた経験があるそうです。
まだ幼い少女だったウーさんは、戦争の体験から日本をひどく嫌っていて「絶対に日本語なんて習うもんか、ひとりも友だちなんてつくらない」という気持ちで日本にやってきたそうです(けれども、専属の運転手が日本語しか話せなかったので仕方なしに「あっち」とか「こっち」という日本語から覚えることになったそうですが)。そんなウーさんのお母さんは作家さんで、米国に留学していた時にできた日本のお友だちがいて、日本では彼女たちを自分の暮らす家に招いて、食事をごちそうしたり、家族にわけてあげるようにと食べるものを提供したりということをしていたそうです。彼女たちはウーさんにとって「日本のおばさん」のような存在でもありました。
ウーさんは、日本人のことがにくらしかったけれど、「日本のおばさん」たちから「自分たちは戦争に反対だった、市民も随分、軍隊によって酷い目にあったと・・・」と、一般人が受けた虐待のことなど、生々しい話をきくことになります。これまで「日本人」が憎かった。けれども、そんな日本人もまた、苦しむ市民でもあったと(ウーさんはとてもパワフルな女性ですが、この体験を共有くださった時にはこらえきれず目頭を熱くしていらっしゃいました)。
ウーさんのお母さんも、親戚を日本軍の攻撃によって亡くすなど、戦争でとてもつらい体験をした人だったそうです。だから、日本人を憎しむことだって、いくらだってできた。けれども、彼女は「憎しみ」という選択を選びませんでした。「憎しみをばらまいてどうするの」。そうして、彼女はウーさんに、罪のない人たちを憎んでもしかたがない、人として愛をもって接するということを、身を以て示したそうです。そんなお母さんをウーさんは「真のグローバルシチズン(地球市民)」だと振り返ります。そしてウーさんもまた、お母さんから憎しみではなく愛を持って生きる人間として生きることを引き継いだのです。
ウーさんの暮らす中国では、人権問題を口にすることがタブーでもありました。1995年に開催された国連北京女性会議ではNGOの立場で女性の権利に関するワークショップを複数開催したというウーさん。こういった活動を警戒され、国内外の移動が自由にできない時期もあったのだという話を、個人的に伺いました。そんな危険を犯してまでも、ウーさんにとっては女性の権利を守ること、女性たちの教育・エンパワメントはとても重要なテーマでした。「女性が生命をこの世にもたらすでしょう。母親は最初の先生なの・・・」。女性が教育を受けエンパワーされていることが子どもや家族に与える影響は大きい。だからこそ、どんな貧しい農村においても女性たちが教育を受けていることが大事だと、ウーさんは文字通り「愛と魂(Love and Soul)をかけて」活動に取り組んでいらっしゃいます。
そんなウーさんが大切にしているのは「生徒たち一人ひとりを愛しその声に耳を傾けること」。そうすることで信頼が生まれ、相互に通う愛が生まれ、人は変わっていく。「意識を変えることが大切ではありますが、それは難しいことではないですか?」という問いに対して、ウーさんはこのことを即座に答えました。ウーさんの大切にしていること:Love, Listen, Learn, Laugh(愛すること、聴くこと、学ぶこと、笑うこと)。学ぶことはプロセス。そしてそれは、関係性のなかで(学び合うことによって)おこること。
とてもパワフルな言葉と笑顔が、深く心に刺さりました(個人的にお話をさせていただくと、驚く程深く瞳をのぞきこまれるようで、さらにドキドキしてきます。こういう体験は、めったに味わえることではないなと思いました)。
ウーさんが全体セッションでお話されたことに「和 言皆」という言葉があります。調和を意味するという中国語。和は穀物と口。食べることができること。言皆(これで一文字の漢字です)は皆が声をあげることができること。つまり調和とは「みんなが食べることができて、声をあげることができること」だとウーさんは言います。
これは本当に真実をついた言葉だと、私は思いました。ウーさんの言葉がパワフルだったのは、彼女が心を痛ませながら、生きる上で何が大切なのかということを自身で見つけ、確信していったからではないかと思います。「農村に行って、私は貧困を知ったの・・・」。その言葉を口にした時の、その瞬間にタイムスリップしたようなウーさんの眼差し。きっとその時の衝撃は、毎日のように貧困の現場に携わる今も変わらず胸に生き続けているのでしょう。
「まなざしを変えること」。これは初日にウーさんの講演を聞いて、私が自分のスピーチ用に用意したタイトルです。
初日に伺った話を受け、自分なりにこれまでに感じてきたことを言語化しようと試みた講演のことは、次のブログに記します。
ESDはEducation for Sustainable Development(持続可能な開発のための教育)の略です。2002年のヨハネスブルクサミットの際に日本がESDの10年を提唱し、2014年には最終会合を日本(岡山・愛知)で開催するとあって、そこにつなげるために、教育セクター、専門家、企業、NGOなどさまざまなバックグラウンドの方々が集まり全体会合やテーマ別会議を開催しました。
この会合に最初に関わったのは3年前のこと(もう、3年になるなんて・・・!)。その時アテンドとしてお手伝いさせていただいたインド環境教育センターのサラバイさんとはその後リオ+20、生物多様性条約COP11の会合でも再会し、つながるご縁となっています。
今年も海外からの方のアテンドを少しだけお手伝いさせていただき、二日目には「貧困撲滅と社会公正のための教育」というテーマ会議に、「生物多様性と女性の視点から」ということでコメンテータとして参加させていただきました。

(ウー・チーンさん)
この分科会のゲストとして廣野良吉先生がご招待なさったWu Qing(ウー・チーン)さんのお話の内容がとても素晴らしかったので、ここに少し共有します。
ウーさんは北京外国語大学の教授で、北京農家女文化発展センターで中国農村部の女性の教育にも携わっていらっしゃいます。お父さまが中国のミッションの代表でいらしたことから、第二次世界大戦後、廃墟だった日本に暮らしていた経験があるそうです。
まだ幼い少女だったウーさんは、戦争の体験から日本をひどく嫌っていて「絶対に日本語なんて習うもんか、ひとりも友だちなんてつくらない」という気持ちで日本にやってきたそうです(けれども、専属の運転手が日本語しか話せなかったので仕方なしに「あっち」とか「こっち」という日本語から覚えることになったそうですが)。そんなウーさんのお母さんは作家さんで、米国に留学していた時にできた日本のお友だちがいて、日本では彼女たちを自分の暮らす家に招いて、食事をごちそうしたり、家族にわけてあげるようにと食べるものを提供したりということをしていたそうです。彼女たちはウーさんにとって「日本のおばさん」のような存在でもありました。
ウーさんは、日本人のことがにくらしかったけれど、「日本のおばさん」たちから「自分たちは戦争に反対だった、市民も随分、軍隊によって酷い目にあったと・・・」と、一般人が受けた虐待のことなど、生々しい話をきくことになります。これまで「日本人」が憎かった。けれども、そんな日本人もまた、苦しむ市民でもあったと(ウーさんはとてもパワフルな女性ですが、この体験を共有くださった時にはこらえきれず目頭を熱くしていらっしゃいました)。
ウーさんのお母さんも、親戚を日本軍の攻撃によって亡くすなど、戦争でとてもつらい体験をした人だったそうです。だから、日本人を憎しむことだって、いくらだってできた。けれども、彼女は「憎しみ」という選択を選びませんでした。「憎しみをばらまいてどうするの」。そうして、彼女はウーさんに、罪のない人たちを憎んでもしかたがない、人として愛をもって接するということを、身を以て示したそうです。そんなお母さんをウーさんは「真のグローバルシチズン(地球市民)」だと振り返ります。そしてウーさんもまた、お母さんから憎しみではなく愛を持って生きる人間として生きることを引き継いだのです。
ウーさんの暮らす中国では、人権問題を口にすることがタブーでもありました。1995年に開催された国連北京女性会議ではNGOの立場で女性の権利に関するワークショップを複数開催したというウーさん。こういった活動を警戒され、国内外の移動が自由にできない時期もあったのだという話を、個人的に伺いました。そんな危険を犯してまでも、ウーさんにとっては女性の権利を守ること、女性たちの教育・エンパワメントはとても重要なテーマでした。「女性が生命をこの世にもたらすでしょう。母親は最初の先生なの・・・」。女性が教育を受けエンパワーされていることが子どもや家族に与える影響は大きい。だからこそ、どんな貧しい農村においても女性たちが教育を受けていることが大事だと、ウーさんは文字通り「愛と魂(Love and Soul)をかけて」活動に取り組んでいらっしゃいます。
そんなウーさんが大切にしているのは「生徒たち一人ひとりを愛しその声に耳を傾けること」。そうすることで信頼が生まれ、相互に通う愛が生まれ、人は変わっていく。「意識を変えることが大切ではありますが、それは難しいことではないですか?」という問いに対して、ウーさんはこのことを即座に答えました。ウーさんの大切にしていること:Love, Listen, Learn, Laugh(愛すること、聴くこと、学ぶこと、笑うこと)。学ぶことはプロセス。そしてそれは、関係性のなかで(学び合うことによって)おこること。
とてもパワフルな言葉と笑顔が、深く心に刺さりました(個人的にお話をさせていただくと、驚く程深く瞳をのぞきこまれるようで、さらにドキドキしてきます。こういう体験は、めったに味わえることではないなと思いました)。
ウーさんが全体セッションでお話されたことに「和 言皆」という言葉があります。調和を意味するという中国語。和は穀物と口。食べることができること。言皆(これで一文字の漢字です)は皆が声をあげることができること。つまり調和とは「みんなが食べることができて、声をあげることができること」だとウーさんは言います。
これは本当に真実をついた言葉だと、私は思いました。ウーさんの言葉がパワフルだったのは、彼女が心を痛ませながら、生きる上で何が大切なのかということを自身で見つけ、確信していったからではないかと思います。「農村に行って、私は貧困を知ったの・・・」。その言葉を口にした時の、その瞬間にタイムスリップしたようなウーさんの眼差し。きっとその時の衝撃は、毎日のように貧困の現場に携わる今も変わらず胸に生き続けているのでしょう。
「まなざしを変えること」。これは初日にウーさんの講演を聞いて、私が自分のスピーチ用に用意したタイトルです。
初日に伺った話を受け、自分なりにこれまでに感じてきたことを言語化しようと試みた講演のことは、次のブログに記します。