姿勢[2012年11月08日(Thu)]

「ものすごく知りたい」という気持ちをもって向き合う会話は、面白いです。
「知りたい」という気持ちは人を前のめりにさせるけど、前のめりが過ぎると、知ることができなくなっちゃう。そのものの全体像を落ち着いてみることが難しくなる。
なので、前のめりの気持ちをセーブして「何故、なに?」と離れたところに軸足を敢えておくことが肝心です。そのようにして、言語化されていない部分まで浮かび上がらせるような自然の言葉を交わしあう。やがてそこから「そうか、これだったのか」という手触りを得ることを、期待しないで知っていること。その、絶妙な感覚。
この感覚から、夏目漱石「夢十夜」の運慶の話を思い出しました。
護国寺で仁王を刻んでいる運慶の腕をたいしたものだと感心する主人公に、そばにいた若い男はこう語ります。「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋うまっているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」。(作品は青空文庫から、読むことができます)
掘ろうとするから、ないものをでっちあげようとするから、うっかり力んでしまうし、どうにも具合が悪いことになるのでしょう。ただ掘ることの純粋さの中に、存在を浮かび上がらせる力と感受性が宿るということを知っていたならば、探り当てる手は、どんどん自在になっていくはずです。
そんなこんなで、3時間に渡るスカイプ会議。姿鏡をおくように、反射させた言葉で、その人の心の奥底にあるものを探り当てようとする濃厚な時でした。
写真は水色が不思議なコンサートホールを写したものです。偶然が見せてくれる光って、おもしろいなと思います。