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本当は知っていて、そればかりではく、信じていること。[2012年11月07日(Wed)]
20121107IMG_5026.jpg

もう夏は遠くなっちゃったな・・・と思いながら、この夏に写した花火の写真をあげてみます。

写真の花火は、夏に終わりがくることを知っているみたい。むしろ花火は、終わりの始まりを夏に教えてくれるような潔さを放つ存在で。

「本当は知っていて、そればかりではく、信じていること」

そんなへんてこなタイトルを、今日はちょこんとつけてみました。

社会に向き合う責任…とは、自らの怒りと対峙する決意を持つことでもある。誰も教えてくれなかったけれど、きっとそうだと思うの。心から。

facebookにこんな書き込みをふとしてみて、言葉になったそれを眺めつつ。そういえばこういうことを「怒りを込めずに」はっきり認めたことが今まであったかしら・・・。そんなことを考えると、目を覚ましたばかりのような、ひょこんとした気持ちになります。

社会に責任を持つということについて、たくさんいろいろな場所で耳にするけれど、そこに違和感を覚えることがあったのは、どこかその言葉に「怒り」の気配を感じていたからかもしれないです。「人間として、それはどうなんだ」とか。「こんな社会はおかしい」だとか。

本当にそう思うことは確かにあるけれど、自分の中の奥深くにある「怒り」を楽しげに刺激しながら「怒り返す」というのは、果たしていかがなものなのかしら。「責任」なんていうほど、あなたはご自身に責任をもってそこにいるの?隠しきれずにじみでるばかりの、奇妙に立派なその憤りに?(あなた、といって指差す先にはつねに「私」があります。恐ろしく鋭い言葉:あなた)

今日は米国大統領選挙があって、オバマが再選されたというニュースの映像をいくつもみました。選挙戦全般を振り返る映像だとか。家に帰ると、ポストには自民党の議員の方の活動報告のチラシが。そのどちらもが妙に「国家こっかして」しているように思えました。国家こっかしてるところの言葉はどこかが物騒で、興奮気味で、怒り気配に満ちているようです。

あまり、穏やかではない気持ち。

政治の世界に怒りがあるのはどうしてかしら?国家こっかしている土俵に人が歩みたがるのはどうしてかしら?秋の季節にも春や夏と同じようにみなが忙しくなく通り過ぎているのはどうしてかしら。

一番寂しがり屋の君、出ておいで。

心の中の、一番の寂しがり屋さんはきっと、怒りの感情のような気がして。私はそれをケアすることによって、外側の世界を見る時、触れるときに、怒りで瞳や言葉を曇らせるようなことは、もう終わりにしたいと、ぼんやりと思います。力をいれないからぼんやりだけど、そのぼんやりはとても凛としたぼんやりです。

恋しさの花火 可哀想の恋しさ
蝋燭のように つめたく あつく ゆらり
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