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おじいちゃんの命日のこと。[2012年11月03日(Sat)]
11月2日はおじいちゃんの命日です。

小さい頃からずっと、私を育ててくれたおじいちゃん。高校生の頃は随分と反発をして本気で怒らせるようなこともあった。そういうこともあって(それから干支が同じということもあって)「まきちゃんとおじいちゃんは特別に仲がよかったよね」とおじいちゃんが亡くなったのちに妹から言われて、嬉しかったことを覚えています。「仲がよい」って、改めて言われるとこんなに嬉しい言葉なのだな、と。

おじいちゃんが亡る日の朝。具合がよくないからもしかしたらと実家から電話がありました。会社を早退させていただき、そのまま妹とふたりで宇都宮に向かい、病院についてほんの少したってからのこと。目の前でおじいちゃんが息をひきとりました。テレビでみるよりもずっと「なんのこともなく、ごく自然に」心臓音をつげる「ピーッ、ピーッ」というマシンが淡々と音をたてて。人の亡くなる瞬間の、最後の呼吸と、それを終えたのちに「ふっ」っと、文字通り魂の抜けたようになる様子を目にしたのは、それが初めての体験でした。身体から温度が消えてゆくような感覚も。

生きている、ということは、死をもってまさにその正体が浮かび上がってくる、不思議な存在に思えます。こんなにも確かで、こんなにも染みついてここにいて。

今年はこうして、おじいちゃんの命日に実家に帰ることができて本当によかった。おじいちゃんが大好きだった福沙屋のカステラを買って帰って、夕飯の時、やっぱりおじいちゃんが大好きだった日本酒とけんちん汁を仏壇に添えて、家族で懐かしい昔話をして。

身体を離れたひとは、きっと神様の近くにかえっていったような気がします。だから、神様のことを思うと、身体を離れる日のことを想う気持ちも強くなるんだ、きっと。

おじいちゃんが亡くなったころ既に、身体が少し弱いようにもみえた我が家のわんこ。もう8年もたった今も、まだちゃんと、家を守ってくれている。さすがにずいぶん弱くなって、時折咽せこんで苦しそうにしているけれど。

今日はとても「旅」を想う夜です。生きている今この時間は、旅のステージの一部。還る場所があることを、見ないふりして、けれどもそうはできずにあゆみつづける、旅。
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