• もっと見る
« 出逢いの生まれるとき | Main | 奇跡のような。 »
<< 2021年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
不器用だけれど、人は。[2012年09月30日(Sun)]
20120930DSC_1780.jpg

なんども何度もであっているのに
ついぞ出逢えていないもの

+++++

台風の近づく満月の日曜日。久しぶりに教会の礼拝に参加しました。

聖書というのは医療の書であるように感じられるのは、牧師さまの言葉の美しさのためでしょうか。浮ついた心で文字を辿ってもなかなか心に沁みいてこない。「深くにおいて出逢う」という憧れに辿り着くことを願って、祈りを捧げたひとときです。

今日の説教は、主の苦しみについて触れられたルカによる福音書の一節に関するものでした。イエス・キリストが、自らに預言された受難について触れる場面。牧師様の言葉を聞きながら、例えば「隣人を愛する」ことについてとか(10章25〜37節)、「小さきもの」に関する文章(9章48節)という箇所を平行読みしていると、本当に聖書の言葉は深いところへと思考を導いてくれるものだなあと感心してしまう。だから聖書は好きだけれど、一人で学ぶのは難しい(人はだれでも「計算する脳」を持っていて、それを休ませることは、必ずしも容易ではないので)。賛美歌と祈る人たちのある風景に身をおくことは、そういった意味ではとても助けになって、それらを含めてが私にとっての聖書なのでしょう。

「哀しみ」があるとしたら、であっているのに深くの心で出逢えていないこと。「できるだけ傷つかないでいいように」と、可能性を閉じて生きることを選んでしまう習慣。心細くないのは、それらは人を孤独から解き放つ痛みであるということ。

今日の写真は3年ほど前、宇都宮の実家の近くの河原で写したものです。初夏の風景にこんな風に秋めいたものが潜んでいるなんて。

追記:はじめて知ったのですが「ゲツセマネの園」というのはルカによる福音書には登場しないのだそうです。オーラソーマB007(イエロー/グリーン)。メッセージは「信頼を試す」。
【こころと身体の最新記事】
この記事のURL
https://blog.canpan.info/yukikazet/archive/101
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
カテゴリアーカイブ
検索
検索語句
プロフィール

makiko21さんの画像