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9.11に考える [2011年09月13日(Tue)]

9.11 テロからもう10年か、と思う。



そのとき自分は26歳で、東京の実家にいた。
実家のテレビに釘付けになり、目の前に広がる光景ににわかに信じられずにいたのを昨日のことのように覚えている。

翌年、僕は当時の仕事を辞め、当時ニューヨークに住んでいた姉を訪ね、9ヶ月たった貿易センタービルがあったであろう場所に立った。

グラウンドゼロの脇には、星条旗と家族や友人からのメッセージや花束、日本から送られたであろう千羽鶴が無数に捧げられていた。

1ブロック先はビジネスマンが行き交い、日常が営まれていたが、グランドゼロの周辺はまるで時間が止まったようなそんな不思議な感覚に襲われ、やや感傷的になったと同時に、崩壊しつつある「大国アメリカ」の予兆を感じた。



その後、ブッシュ前大統領は悲しみの矛先を“テロとの戦い”という“正義”に置き換え、アフガン・イラクとの戦争に突入した。結果戦争は泥沼化し、テロは収まるどころか、憎悪は世界中に飛び火し、驚異はむしろ増えてしまった。



20歳のとき、はじめてアメリカの地に降り立ったとき、そのスケールの大きさ、フロンティアスピリット、多様性を許容する文化に鳥肌が立った。
ただ、20歳の若者が強烈な憧れを抱いた国は、あの事件を境に寛容さを失ってしまったように見える。そして、その不寛容から来るえも言えぬ閉塞感が世界に暗い影を投げかけている。



しかしそんな世の中にも、従来の枠にとらわれず、在るべき理想の姿を描き、そこに向かって周りを巻き込みながら粘り強く進む社会起業家が世界中で台頭している。
そして、従来一生安泰と思われた職に就いた優秀な若者が、社会起業家を目指し、退職する例が続々と出始めている。彼らは間違いなく21世紀の社会に強烈なインパクトを与えていくだろう。


自然学校も、そうした社会変革を成し遂げる主体でありつづけるため、異質の許容と、たゆまぬ自己変革を続けていかなければならない。と気持ちを新たにした。



9.11に、そんなことを思ったのだ。