• もっと見る

« 子ども | Main | 国際»
<< 2011年09月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新記事
最新コメント
らがー
修論執筆の際に感じたこと (09/26)
やまかわ
修論執筆の際に感じたこと (09/26)
きむさま
修論執筆の際に感じたこと (09/24)
ランラン
修論執筆の際に感じたこと (07/18)
らがー
I'll go (03/29)
jin
I'll go (03/23)
きむさま
I'll go (03/21)
カテゴリアーカイブ
リンク集
9.11に考える [2011年09月13日(Tue)]

9.11 テロからもう10年か、と思う。



そのとき自分は26歳で、東京の実家にいた。
実家のテレビに釘付けになり、目の前に広がる光景ににわかに信じられずにいたのを昨日のことのように覚えている。

翌年、僕は当時の仕事を辞め、当時ニューヨークに住んでいた姉を訪ね、9ヶ月たった貿易センタービルがあったであろう場所に立った。

グラウンドゼロの脇には、星条旗と家族や友人からのメッセージや花束、日本から送られたであろう千羽鶴が無数に捧げられていた。

1ブロック先はビジネスマンが行き交い、日常が営まれていたが、グランドゼロの周辺はまるで時間が止まったようなそんな不思議な感覚に襲われ、やや感傷的になったと同時に、崩壊しつつある「大国アメリカ」の予兆を感じた。



その後、ブッシュ前大統領は悲しみの矛先を“テロとの戦い”という“正義”に置き換え、アフガン・イラクとの戦争に突入した。結果戦争は泥沼化し、テロは収まるどころか、憎悪は世界中に飛び火し、驚異はむしろ増えてしまった。



20歳のとき、はじめてアメリカの地に降り立ったとき、そのスケールの大きさ、フロンティアスピリット、多様性を許容する文化に鳥肌が立った。
ただ、20歳の若者が強烈な憧れを抱いた国は、あの事件を境に寛容さを失ってしまったように見える。そして、その不寛容から来るえも言えぬ閉塞感が世界に暗い影を投げかけている。



しかしそんな世の中にも、従来の枠にとらわれず、在るべき理想の姿を描き、そこに向かって周りを巻き込みながら粘り強く進む社会起業家が世界中で台頭している。
そして、従来一生安泰と思われた職に就いた優秀な若者が、社会起業家を目指し、退職する例が続々と出始めている。彼らは間違いなく21世紀の社会に強烈なインパクトを与えていくだろう。


自然学校も、そうした社会変革を成し遂げる主体でありつづけるため、異質の許容と、たゆまぬ自己変革を続けていかなければならない。と気持ちを新たにした。



9.11に、そんなことを思ったのだ。
ふしぎ病院の絶大なる人気の理由は [2011年08月01日(Mon)]

先週末、ウルシにかぶれて以来、病院に通っている。
この病院が極めて興味深い。



この病院は街中にあるいわゆる昔ながらの皮膚科で、
御年80かと言わんばかりのおじいちゃん先生が
診察室の真ん中のどんと座っている。



この先生はまず、触らない、動かない。
虫眼鏡で見るだけ。そして判断を下す。



おそらく積み重ねた経験は何千何万というもので、
ウルシのかぶれなど、目をつむっていていてもわかるという
感じなのだろう。



先生の周りには
これまた「おばちゃん!」といった看護師さんが沢山いて、
てきぱきと働いている。



そして、そのボス格と思われるおばちゃん看護師がいる。
彼女の指示は明快、かつ教育的である。



「この薬は2日間で使い切って!」(結構たくさんある)
「遠慮せずにどんどん塗って!」(もう聞いた)
「山には入らないように!」(そりゃ無理だ)



僕は看護師に教育されに病院に来たわけではないのだが
彼女の「迷いのなさ」にはにある意味感心してしまう。




しかし、この病院が絶大なる人気なのである。




ひっきりなしに患者が来る。
なぜ、こんなに客に支持されているのか。
おじいちゃんはほとんど動かないのに!




その訳は、点滴を打って分かった。
点滴を打つと20-30分、点滴部屋に座ることになる。
患者は大体同じ時間に来る。点滴中は暇だから
自然と会話するようになる。


おばちゃん看護師たちはてきぱきと、かつ患者の大半を
しめるお年寄りの話し相手にもなっている。


患者たちの
「おじいちゃん先生の言っていることがわからない」
といった質問にも丁寧に答えている。


患者のほとんどは慢性的なものだから、
そうすると先生の出番はほとんどなく、看護師で
要足りることになる。



そこには立派な社会ができている。
その社交をある種楽しみに来ているのだ。



おばちゃん看護師軍団はその社会の絆を
つなぐ重要な役割をになっている。
この社会は彼女たちの活躍によって支えられている
といっても過言ではない。


おばちゃん、おそるべし。




では、おじいちゃんは何か?
これは村のシャーマンのような存在なのではないか?
困ったときに聞く。
そこに経験からくる明確な回答があればそれで良い。



某皮膚科は、そんなところである。




・・・・ということで、どうでもいい話でした。

Future Center Weekのまとめ [2011年05月19日(Thu)]

GLOCOMの野村さんが先週行われた

「Future Center Week」のクイックフィードバックを

してくれました。



僕は1日目の「震災後の社会の評価指標を考える」

ディスカッションに参加しましたが、非常に有意義な議論でした。




良くまとまっているので、リンクを掲載します。

まとめ

FCWeekセッション、行ってきました! [2011年05月10日(Tue)]

行ってきました、「Future Center Week」




敬愛して止まない慶応大学の高橋先生にお誘い頂き

ゲストとして対話に加わり、約4時間に亘って対話してきました。




”Future Center”とは、

「未来志向で創造的に対話する場」であるらしいのですが、

正直最初はよくわからないまま参加しました。





Future Centerの特徴は、想いを持った人の「問い」から

始まり、多様な人が知恵を出し合い、情報を可視化しながら

相互のアイディアに学び、アクションを起こしていくという

ところにあります。




今日のセッションは、今回の企画の発起人でもあるボブの

「皆が望む社会に向かっていくため、何を成功指標とすべきか?」

という問いからスタートし、議論はやがて「コミュニティ」のあり方に

収斂していきました。





ソーシャルメディアが発達した現在、土着性の強い

従来型のコミュニティだけでなく、テーマで繋がる

ゆるいコミュニティが対極としてあり、当然その間も

存在するということ。

そしてそうしたコミュニティが社会に網の目状に形成されて

いるとしたら、その成功指標は何なのかということも議論され、

今まで経済的価値としては論じられてこなかった

「つながり」といった尺度も浮上しました。




広さ、強さ、活性度、場所、時間、考え方など

様々な軸で定義されうるコミュニティは

レジリエント(resilient)−打たれ強く、しなやかで

変わらないものを持ちつつ、変わっていくものである

ということが実感できました。





50人ほど集った参加者はほとんどが経営者、企業人

でしたが、今回一番驚いたのはそうした人と

普通に対話ができたことです。





NPOに勤める私にとって、経済的価値以外の

「成功の尺度」といった議論を彼らとしていること自体、

こうした活動を始めた10年前と隔世の感があり、

時代の変化を実感できました。




そして、そうした場を意図的に作り出し、イノベーションを起こす

「Future Center」の可能性も強く感じました。




この催しはあと3日間続きます。

残念ながら僕は行くことができませんが、何が生まれるのか

本当に楽しみです。議論を見守りたいと思います。









Facebookのグループの議論がアツいです。 [2011年05月06日(Fri)]

暫く前からFacebookを使い出し、使い勝手の良さ、
ダイナミックさに驚いています。



・・・さて、


Facebook上に立ち上がったディスカッショングループ
「3・11後の日本を構想する」が今アツいです!



慶応の大学院の高橋秀明先生が発起人となって
立ち上がったこのグループは、
民間レベルで様々な角度から議論し、
この未曾有の大震災を機に日本の将来を描こう、
というものです。


現在、企業の経営者、技術者、メディア関係者
NPO、学生など様々な人が集い、
エネルギー、リスク管理、意識、ライフスタイル
などソフト、ハードの両面から興味深い
議論が展開されています。



僕はNPOの立場から人々のライフスタイルの変革
企業が継続的に被災地にコミットする仕組みなどを
提案しています。
(この点は来週10日のFuture Center Weekでも
 議論したいと思っています)
https://blog.canpan.info/yuichiro/archive/288




グループはオープンですので、ぜひ自然学校関係者も
入ってください。
http://www.facebook.com/home.php?sk=group_143055022429242&ap=1






高橋先生のコメントを引用します。


ディスカッション・グループ  「3・11後の日本を構想する」

2011年3月11日におこった東日本大震災と原発事故は、
これからの日本にとって明治維新や太平洋戦争に
匹敵する転換点になるかもしれません。目を覆いたくなる
ような大震災の惨状、悲しみに耐える被災者の姿、
「想定外」が連発された原発事故、国難に対応する政府の
体制を目の当たりにして、我々フツーの市民一人ひとりが
「被災者のためにできること」、「自分がいまできること」に
はじまって、日々の暮らし方から社会のあり方、
企業のあり方、政府のあり方など普段あまり考えないことを
改めて考えたのではないでしょうか。

政府は東日本大震災復興構想会議(議長:五百旗頭
防衛大校長)を設置し、6月頃には第一次提言をまとめる
そうです。専門家、有識者は、知見を活かして専門性、
精度に優れた提言をするでしょう。でも我々市民も、ここ
一カ月、随分と考えてきました。いや考えさせられました。
せっかく考えを深めたのですから、考えただけで終わらせては
いけないし、政府に任せっぱなしではいけないと思います。
そこでフツーの市民が生活体験、直観、肌感覚に基づいた
提言が出来ればいいなと思って、このディスカッション・
グループを立ち上げた次第です。

グループは、現予定としては6月末までの限定期間で
設置します。基本的ミッションは、「3・11以降の日本が
どんな日本であってほしいか」、「そのために具体的に
どうしたいか」を論じ、意見を交換し、共有することです。
そして提言がまとまれば外部に発表していきたいと
思います。(後略)



(前略)市民の意識、価値観などのソフト面のことです。
これは長期的な運動になるでしょう。大震災を機に
再認識された日本の旧き良き価値観、「秩序」、
「互助」、「節約」、「自然への畏敬」などを、
どう未来へ伝えるかという課題があります。

単に教えるだけでは肚落ちしないし定着しません。
山川さんの自然教室などの体験型学習などの活動は
有効だとおもいますが、これらの体験型学習を
どのように日本中にスケールさせ、長期間の運動に
転化させるのかはイノベーションが必要です。

おカネがかかって複雑なことを全て国に丸投げ
していては、良い結果が得られそうもないことに
我々は気づいたのだと思います。
この分野も良い提案をお待ちします。(後略)



動物を諦めないで!Google「アニマルファインダー」 [2011年04月20日(Wed)]

「飼い主さん、動物を諦めないで」



非難を余儀なくされている区域に

断腸のおもいで置いてきている動物たち。

遠く離れた彼らの消息を知るための心強い

味方ができました。



「アニマルファインダー」

http://japan.animal-finder.appspot.com/

(4月20日現在、既に900件の情報が登録されています。)




大学院SIコースの社会人学生「わらじーず」のメンバーが

ものすごい行動力で企業を動かしました。すごいです。




ぜひ活用ください。
衝撃の告白−元原発技術者・菊池洋一さんの魂の叫び− [2011年04月17日(Sun)]

原発について、賛否を含めて情報を集めています。




想定外が連発された今回の福島での原発問題を

経て痛切に感じたのは

「公式発表は全くあてにならない」ということ。

そして、

「疑わしきは、使わない」

ということ。

起きてからだと決定的に遅いわけです。

自分で情報を集めて、自分で判断する。

これからの社会を生き抜いていくための

基本だと感じています。




で、浜岡原発。

静岡県御前崎に位置する浜岡原発は構造的に

決定的な欠陥があることが指摘されています。

以下、とても分かりやすく、そして胸を打つ映像です。
↓↓↓

「心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた」http://www.youtube.com/watch?v=gNWVljrvl3o

1-5原発の土台がいかに弱いか
http://www.youtube.com/watch?v=Db4FXEU_ZBc&feature=related

2-5放射能で元気?創った者の苦労
http://www.youtube.com/watch?v=DCj55NeCwfI&feature=related

3-5どれだけ弱い設計か!
http://www.youtube.com/watch?v=JVYjlkeNhcs&feature=related

4-5無資格の溶接技術での原発建設
http://www.youtube.com/watch?v=Yz03TZBnglM&feature=related

5-5技術者どうしなら本当の怖さが分かり合える
http://www.youtube.com/watch?v=UiTwwTmp38w&feature=related





静大小山先生の言う「パンドラの箱を開けてしまった」今、

東海・東南海・南海地震はいつおきてもおかしくありません。




それが浜岡原発を直撃したら、西風で東海〜関東一円は

不毛の地になります。

そうなったら日本は終わりです。

東北の復興どころではありません。

上記の菊池さんのYouTubeを見て改めて思いました。



少なくとも、菊池さんが言うように上記の地震が過ぎ去るまで

停めておくことが必要でしょう。

では、停めている間の電力をどうするか、という問題があります。

これは、私たち一人ひとりが真剣に向き合わなければ

なりません。




今こそ、産業界も、家庭も電力消費の少ないライフスタイルを

真剣に考えましょう。

僕も個人として、そして自然学校に勤めるものとして

真剣に考え、実行していきたいと思います。

4月6日OSUSOWAKEプロジェクト報告 [2011年04月10日(Sun)]

4月6日
大学院の友達のまるちゃん、のんちゃん、あいこちゃんが
企画した「OSUSOWAKE DIALOGUE」にゲスト出演してきました。


今回は震災について現地の報告をしましたが、
なるべく現地の声を届けたいと避難所のリーダーの湯本二中の
澤井校長先生にメッセージを貰おうとしたところ
「そんなことなら、行って直接話す」といっていただき、
東京まできてくれることになりました。



僕からは、23日から入っている福島県いわき市の現状と
ホールアースの取組について、そして現地で支援活動を行って
感じたことについてお話させていただきました。



現地では、
常に「あなたは何をするのか」「何が出来るのか」ということを
問い続けられた気がします。
これはこれからも突きつけられ続けるのでしょう。



また、現地では震災の中でも力強く、前を向いて歩く人に
たくさん出会いました。そしてそのつながりは今も広がっています。
僕は現地で逆に元気を貰った気がします。




澤井校長先生は震災直後から今に至るまでの学校の様子を
臨場感たっぷりに話してくれました。



1日目は自主避難してきた20名と過ごしたこと
3日目に突然375名の受入要請が市から入ったこと
5日目に水素爆発でパニックがおき、落ち着かせるために
    リーダーシップを発揮したこと
6日目に生活の場所を教室に移動し、その時点で自立を視野に入れた
    10の係を設定し、各自の役割分担を行ったこと
    割り振りには被災者の中のリーダーに任せたこと
7日目にはひとりでに動き出したこと



湯元二中は澤井校長と松本教頭の強烈なリーダーシップという
属人的な部分があるものの、これらは今後の有事の際の
避難所運営にとても有意義なお話でした。



澤井先生からは、他にも物資支援には順番があることや
ボランティアの問題点なども指摘されました。




素晴らしい出会いに感謝。



今後もつながりあいながら見守っていきたい
とおもいます。



考えないニッポン [2011年04月09日(Sat)]

どうしてもいいたいことがあります。




いわきに行って痛切に感じたこと。




それは、「被災者の心情に配慮してイベントを差し控えます」
ということは、全くのナンセンスだということです。




彼らは別に僕らに祭りを自粛して欲しいなどと
微塵も思っていませんでした。



被災地の人は普通に生活できない。
被災していない人は、被災者に心を寄せつつ
今までどおり普通に生活して、
そして、今までより少し元気を出して生きる。
それが日本の復興への一番の近道ではないでしょうか。




勿論、心情に配慮することは大事ですし、
そんな気分にならない人もいるでしょう。




ただ、巷で氾濫している「自粛」の多くは、
単に停電などの影響でオペレーションが面倒くさいという
ことが大きな理由なのではないでしょうか。
でも大部分の催しはちょっと頭を使えば実行できるはずです。





よほどふざけた催しでない限り、自粛などする必要はない。
むしろどんどんやって日本を盛り上げたほうがいい。





右に倣うことは簡単ですが、今本当に必要なのは
深く考え、自分の意思で行動していくことだと強く思います。

「競い合う」支援への疑問符 [2011年04月09日(Sat)]

桜も遅まきながら満開、そして久しぶりの雨ですね。
やっと何か、季節の移ろいが体に入ってきた気がします。


先日東京で震災の支援活動の報告を2本してきました。


一つはクレアンという組織が主催したNPO・NGO数団体と
企業の意見交換会。



もう一つは大学院の仲間が企画してくれた
「OSUSOWAKE DIALOGUE」



両会とも、災害現場に行った人の報告を聞いて
自分達の出来ることを考えたい、という趣旨のものでした。



両会で共通に感じたのは、皆何かしらしたいと考えているが、
下手に動くと現地に迷惑がかかるという意識が働き、なかなか
動き出せないでいるということです。
支援の動きの滞りは、裏を返せば大きなチャンスでもあります。
今回の震災は、復興の道筋が描けるまでも数年単位でかかるでしょう。
一過性のイベントではなく中長期的な支援が必要です。
そのためには、個人や団体や企業がそれぞれの出来ることや得意分野を
生かして現地と結びついていくことが大切です。
ただ、無秩序に現地入りすると混乱をきたすだけなので、
組織化されたNPO/NGOが窓口になり、適切な支援を適切なタイミングで
行い、そこで個人個人が考え、次の行動を起こす。
そのために私たちがその橋渡し役になることはできると感じました。



もう一つは、同じ震災被災地であっても、場所によって求められる支援
が異なるということです。
クレアンの会合には、石巻で瓦礫撤去や泥だしを精力的に行っているNGOが
来ていて、泥だしボランティアの必要性を力説してらっしゃいましたが、
ホールアース自然学校の支援活動の対象地である福島県は、原発問題の
収束目処が立たず、避難生活が長期化し、農林畜産業や観光業へ従事する
人は、その打撃から将来への展望が描ききれずにいます。



おそらく今後、夥しい数の失業者がでるでしょう。
今地域で頑張っている人たちでも、今後やむなく故郷を離れざるを
得ない時が来るかもしれません。
避難所に身を寄せていない生活者の雇用、産業支援を同時に進めていく
必要を痛感しています。
福島県産の野菜やその他の生産物を「買う」ことで彼らの生活を応援する
仕組みづくりを今進めています。



OSUSOWAKEプロジェクトでは、広報期間が1週間程度で、そこまで大々的に
宣伝しなかったにも拘らず、30人近い人が集ってくれました。
僕といわきの避難所のリーダーをされている湯元二中の澤井校長先生との
掛け合いで報告会を行いました。
澤井校長先生とはとても不思議な縁で結びついたのですが、彼は独自の
ネットワークで色んな支援を引き寄せています。
必要なものはネットワークだと断言していました。
今回の震災では各地でこのような「出会いの連鎖」が生まれています。
今後、このネットワークが更に生きる時が来るでしょう。
繋がりあいが日本を強くすると実感しています。



支援は数や金の多寡を競い合うものではありません。
腰を据えて個人個人が現地と向きあう中から本当の支援が生まれる
ものだと思います。



ホールアースでは今後現地にボランティアとして関わる機会を
作ります。
いずれにしても、各人がそれぞれの立場で考え、行動していくことが
最も大切なことだと思います。がんばりましょう!

| 次へ