【ブログ終了】最後に [2011年09月26日(Mon)]
昨日、研究会の謝恩会が六本木でありました。
場所は六本木の"GOSHIKI"。 http://beer-cuisine.com/ 大学時代の同級生の古河君やっているお店です。 先生方や先輩方に感謝の気持ちを伝え、 2年間の大学院生活が終わったという実感がやっと湧きました。 この二年間が走馬灯のように蘇ってきたので、 つらつらと、とりとめなく気持ちを書き記してみたいと思います。 ■出会い〜入学 思えば2008年春、SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)の 初代学部長のカトカンこと加藤寛先生の バースデーパーティーに大学の同期に誘われ、たまたま 気まぐれ的に顔を出し、それがきっかけで再びSFCの先輩方と つながることになりました。 その中に慶応の学事に勤める先輩がおり、その方からSFCの 大学院に新設される社会イノベーター(SI)コースのお誘いを 受けたのが2008年秋でした。 当時の僕は、環境教育業界に入って6年が経過し、ある程度 仕事の手ごたえは感じてはいたものの、環境教育というものの 将来性に漠とした不安を抱き、異分野からのインプットを強烈に 欲していました。 とはいえ、NPOでの仕事、家族4人の生活、そこにきて大学院 という将来への投資は僕にとっても、妻にとっても大きな決断でした。 しかし、最終的に妻は「そこまでやりたいなら」と後押ししてくれ、 SFCから程近い場所にある妻の実家の両親もバックアップを 約束してくれました。 そして、職場も週4日勤務という変則勤務を含む「多様な働き方」を 認めてくれました。 「3足ワラジ」という表現は僕のちょっとしたこだわりからきています。 普通は仕事と研究という”2足”のわらじと表現するのでしょうが、 僕は「家庭」もおろそかにしたくなかった。 人間とは弱いもので、どうしても現状に流される。 あえて宣言することで、どれも立派にやりたいという僕なりの 意思表示でした。 ■学ぶ喜び 大学院の授業や研究、プロジェクトは僕にとってムチャクチャ 刺激的でした。 そこには仕事で味わえない刺激や出会いがありました。 全く異分野の人の考えに触れることでアイディアがフラッシュし、 自分の考えの幅が広がっていくのが実感できました。 ソーシャルイノベーションに関わる人たちはもちろん素晴らしい 頭脳の持ち主たちばかりですが、それにも増してエネルギッシュで、 そしてとても人間くさい、気持ちのいい人たちでした。 また、先生たちの「智」に触れ、議論することは、自分にとって これまたかけがえのない経験でした。 特に一番お世話になった金子郁容先生は、研究の世界に足を 踏み入れれば入れるほど、そのすごさに舌を巻き、その思考に 付いていくだけで精一杯でした。 この年になると純粋に「学ぶ」機会はほとんどなくなります。 基本的には仕事からのインプットのみとなり、職場でも後輩が 増え、都合アウトプットの割合が多くなります。 ただ僕は、「学び」はいつになっても人間が先に進む原動力に なると信じています。 そして、この大人になってからの「学び」は、現状を受け入れながら 仕事をこなしている限り、決して自分の元にはやってこない。 つまり、自分自身で意図的に作り出すほかないわけです。 ただその選択の先に大きな喜びがある。大学院に入ってみて、 学ぶということはこんなに楽しいことなのか、と心から思いました。 ■わらじーず結成 同期では、同じく社会人で入学した学生が数人いました。 分野は違えど、いずれも社会の第一線で働いてきた人たちです。 あるものを犠牲にし、様々なものを背負いながら、それなりの 覚悟を持って再び学究の門を叩いた人たちとはすぐに意気投合 しました。 そして、忙しい中、助け合いながらやっていくための社会人ネットワーク が自然と生まれ、それをわらじを履いている人たち=わらじーずと 自ら名づけました。 わらじーずのメンバーはその後も増え続け、かけがえのない僕の 財産となりました。 また、一回りほど違う学部上がりの学生たちも、CPUが2世代位違う のではないかと思うほど、頭脳明晰の子がたくさんいました。 彼らの柔軟な発想に驚くと同時に、同じ立場で共に学べるも楽しみの 一つでした。 ■異分野コラボレーション 2009年4月のある日、SFCで自然観察会を企画しました。 こうしたことは僕の仕事でやっていることで、僕にとってはごく普通の ことだったのですが、その中で 「ケータイカメラで撮った写真で植物の種類が分かるといいよね」 という参加者の一言から新たなプロジェクトが立ち上がることに なりました。 「地球ガーデンプロジェクト」通称:葉っぱアプリ ケータイカメラで葉っぱを撮影し、その画像を解析して類似候補を 返すというアプリケーション開発を行うプロジェクトです。 このアプリ開発は2ヶ月ほどで急展開し、色んな専門家を巻き込み ながら急速に拡大します。 そして、大学院に新設されるコースのモデルプログラムとして採用 されることになり、予算がつき、動き始めました。 ただ、結果的に類似サービスがタッチの差でリリースされたこともあり、 在学中にビジネスとして離陸するまで持っていけませんでしたが、 異分野のコラボレーションの力と、ビジネス展開の際のスピード感が 実感できました。 ■修士研究 一方、研究は一向に進みませんでした。 入学当初の研究計画では、自然学校の社会的インパクトの測定と いったことをいかに可視化するかという大テーマをすえていましたが、 だんだんとそうしたことを修士の研究に落とし込むことが難しい ということが分かってきました。 そこで 環境教育プログラムが参加者の行動変容にどう寄与しているのか、 ということを可視化する、という方向に軌道修正しました。 ただ、社会人ゆえの現場感覚が邪魔をして、いわゆる 「研究者的に発想する」ということがどうしてもできない自分が いました。 先生方には厳しい言葉をかけられ、自分のふがいなさに 落ち込むことも一度や二度ではありませんでした。 3・11後の混乱の只中のデータ集めは困難で、卒業を半期 伸ばそうかと思ったこともありました。 それでも、今まで仕事上お付き合いをしてきた企業の方、 プログラム参加者の方に貴重なお時間をとっていただき、 全面的にアンケートやインタビューに協力いただいたことで 貴重なデータを入手することができました。 修士論文の最後2週間はほとんど寝ずに大学院に泊まり 込んで書き上げました。 もがき、苦しんでなんとか書いたというのが正直なところです。 内容には全く納得していません。むしろ敗北感のほうが強いです。 しかし、色んな先輩方に聞くと、修士の研究とは大体こんなものだ とのことで、今のこの悔しい気持ちが今後の原動力になると 信じることにしました。 ■3足わらじの困難さ 3足わらじと勢い宣言したものの、実際は挫折の連続であったと 言えます。 仕事はどうしても中途半端になります。 現場に出られないことで、後輩からは、自分がいないから進まない、 相談できない、何を考えているか分からない、などなど、不満の オンパレードでした。 コミュニケーションをとろうにも物理的にいないというもどかしさ。 一時は自主的に”降格”してやり直そうかと真剣に悩みました。 大学院は基本的に充実していたものの、片道3時間のドライブ、 授業は週2日が限度で、希望の授業の大半は諦めざるを 得ませんでした。また当然、授業だけでなく課題や読書など それ以外のこともやらなくてはならないので、都合、睡眠時間を 削ってやることになりました。 僕は朝型なので、基本的に朝やりたいほうなのですが、 子どもは早起きでおきたときに自分がおきていると遊んでくれと せがむので、むりやり夜にやらざるを得ませんでした。 家庭では家族と過ごす時間は十分にとれず、妻には苦労を かけたと思います。 ■それでも それでも何とかかんとか這いつくばって卒業までこぎつけました。 僕は、基本的には楽観的なタイプなので、辛くても寝れば忘れて 次の日には前を向いて進むことができました。 こうした性格も助けになったのかもしれませんし、 そしてなにより、妻、妻の実家の両親、職場の上司、同僚、 大学院の仲間、、、こうした人たちが僕のチャレンジを後押しして くれたからこそ、2年間の3足わらじ生活を全うできたと思っています。 そういった意味では、感謝をしてもしきれません。 関わってくれた全ての人にありがとうといいたいです。 ■これから さて、これからですが、 もう既にフルタイムで仕事には復帰しているので、今までの 生活が劇的に変わるということはないと思います。 ただ、大学院での学びを受け、いくつかの試みを既に 始めています。 第一に、「プログラム効果の可視化」 既にプログラム参加者へのアンケートを全面改訂し、 今まで参加しないと、または実施者でないと 分からなかった教育効果の可視化に取り組んでいます。 数年かけてサンプルを取り、分析していきたいと思います。 環境教育とは行動する人材を育てることと国際機関も 規定しています。行動につなげるための効果的な方法論と 効果の可視化は、今後の業界全体の一つの大きなテーマに なるでしょう。 もうひとつは、「林業再生」 森づくりのプロジェクトには2005年から関わらせてもらっていますが、 日本の森を健全な状態にしていくには、ボランティアレベルでの 森の関わりでは到底不十分であり、プロ、そしてセミプロが しっかりと稼いでいける状態でないとだめだという気持ちを強く しました。 これは大きなテーマですが、林業はいろんな意味で可能性を 秘めています。これについては書き出すと長くなりそうなので またの機会に譲ることにします。 他にもいくつかありますが、大きく言えばこの二つで、 これを今後10年位かけて公私に亘って取り組んでいきたいと 思っています。 ■最後に このように一見順風満帆に見えた3足わらじ生活は水面下で 必死に水かきを掻く水鳥のように、もがき、這いつくばって なんとか卒業できたというのが正直な実感です。 それでも、この選択をして良かったと心の底から言えます。 なぜか。 もちろん、自分の選んだ道を全うできたという達成感のようなものは あります。ただ、それは一部に過ぎない。 それよりなにより、自分が色んな人に生かされていると感じられた ということ一番の収穫です。 言い方を変えると、 自分にとって大切なものが何か、ということがはっきりと分かった、 ということです。 つまり、それは妻であり、子どもであり、両親といった家族。 職場の同僚、友達といった自分に繋がる人たち。 そして、日本の美しい自然。 巡り巡ってそこに帰って来た。 同じ場所に立っているのですが、見える景色がちょっとだけ違う。 それがこの二年間の最大の成果だったのかな、と思います。 ・・・つらつらと書きましたが、これで3足わらじは終わりです。 応援してくださったみなさん、ありがとうございました。 ”2足”になった山川を今後ともよろしくお願いします(^^) ではでは。 |