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2011年9月、2年間の大学院生活を無事修了し、3足わらじ生活も終わりを告げました。
よって2011年9月25日の記事を以って、当ブログの記事投稿を終了します。
2011年10月よりFacebookに完全移行しましたので、今後はそちらをご覧下さい。
http://www.facebook.com/yuichiro.yamakawa

応援してくださったみなさまにこの場を借りて感謝申し上げます。
今後ともよろしくお願いします。
【ブログ終了】最後に [2011年09月26日(Mon)]

昨日、研究会の謝恩会が六本木でありました。
場所は六本木の"GOSHIKI"。
http://beer-cuisine.com/
大学時代の同級生の古河君やっているお店です。
先生方や先輩方に感謝の気持ちを伝え、
2年間の大学院生活が終わったという実感がやっと湧きました。


この二年間が走馬灯のように蘇ってきたので、
つらつらと、とりとめなく気持ちを書き記してみたいと思います。



■出会い〜入学

思えば2008年春、SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)の
初代学部長のカトカンこと加藤寛先生の
バースデーパーティーに大学の同期に誘われ、たまたま
気まぐれ的に顔を出し、それがきっかけで再びSFCの先輩方と
つながることになりました。
その中に慶応の学事に勤める先輩がおり、その方からSFCの
大学院に新設される社会イノベーター(SI)コースのお誘いを
受けたのが2008年秋でした。



当時の僕は、環境教育業界に入って6年が経過し、ある程度
仕事の手ごたえは感じてはいたものの、環境教育というものの
将来性に漠とした不安を抱き、異分野からのインプットを強烈に
欲していました。



とはいえ、NPOでの仕事、家族4人の生活、そこにきて大学院
という将来への投資は僕にとっても、妻にとっても大きな決断でした。
しかし、最終的に妻は「そこまでやりたいなら」と後押ししてくれ、
SFCから程近い場所にある妻の実家の両親もバックアップを
約束してくれました。
そして、職場も週4日勤務という変則勤務を含む「多様な働き方」を
認めてくれました。



「3足ワラジ」という表現は僕のちょっとしたこだわりからきています。
普通は仕事と研究という”2足”のわらじと表現するのでしょうが、
僕は「家庭」もおろそかにしたくなかった。
人間とは弱いもので、どうしても現状に流される。
あえて宣言することで、どれも立派にやりたいという僕なりの
意思表示でした。



■学ぶ喜び

大学院の授業や研究、プロジェクトは僕にとってムチャクチャ
刺激的でした。
そこには仕事で味わえない刺激や出会いがありました。
全く異分野の人の考えに触れることでアイディアがフラッシュし、
自分の考えの幅が広がっていくのが実感できました。


ソーシャルイノベーションに関わる人たちはもちろん素晴らしい
頭脳の持ち主たちばかりですが、それにも増してエネルギッシュで、
そしてとても人間くさい、気持ちのいい人たちでした。



また、先生たちの「智」に触れ、議論することは、自分にとって
これまたかけがえのない経験でした。
特に一番お世話になった金子郁容先生は、研究の世界に足を
踏み入れれば入れるほど、そのすごさに舌を巻き、その思考に
付いていくだけで精一杯でした。


この年になると純粋に「学ぶ」機会はほとんどなくなります。
基本的には仕事からのインプットのみとなり、職場でも後輩が
増え、都合アウトプットの割合が多くなります。

ただ僕は、「学び」はいつになっても人間が先に進む原動力に
なると信じています。

そして、この大人になってからの「学び」は、現状を受け入れながら
仕事をこなしている限り、決して自分の元にはやってこない。
つまり、自分自身で意図的に作り出すほかないわけです。

ただその選択の先に大きな喜びがある。大学院に入ってみて、
学ぶということはこんなに楽しいことなのか、と心から思いました。



■わらじーず結成

同期では、同じく社会人で入学した学生が数人いました。
分野は違えど、いずれも社会の第一線で働いてきた人たちです。
あるものを犠牲にし、様々なものを背負いながら、それなりの
覚悟を持って再び学究の門を叩いた人たちとはすぐに意気投合
しました。
そして、忙しい中、助け合いながらやっていくための社会人ネットワーク
が自然と生まれ、それをわらじを履いている人たち=わらじーずと
自ら名づけました。
わらじーずのメンバーはその後も増え続け、かけがえのない僕の
財産となりました。



また、一回りほど違う学部上がりの学生たちも、CPUが2世代位違う
のではないかと思うほど、頭脳明晰の子がたくさんいました。
彼らの柔軟な発想に驚くと同時に、同じ立場で共に学べるも楽しみの
一つでした。



■異分野コラボレーション

2009年4月のある日、SFCで自然観察会を企画しました。
こうしたことは僕の仕事でやっていることで、僕にとってはごく普通の
ことだったのですが、その中で
「ケータイカメラで撮った写真で植物の種類が分かるといいよね」
という参加者の一言から新たなプロジェクトが立ち上がることに
なりました。


「地球ガーデンプロジェクト」通称:葉っぱアプリ


ケータイカメラで葉っぱを撮影し、その画像を解析して類似候補を
返すというアプリケーション開発を行うプロジェクトです。
このアプリ開発は2ヶ月ほどで急展開し、色んな専門家を巻き込み
ながら急速に拡大します。

そして、大学院に新設されるコースのモデルプログラムとして採用
されることになり、予算がつき、動き始めました。

ただ、結果的に類似サービスがタッチの差でリリースされたこともあり、
在学中にビジネスとして離陸するまで持っていけませんでしたが、
異分野のコラボレーションの力と、ビジネス展開の際のスピード感が
実感できました。



■修士研究

一方、研究は一向に進みませんでした。

入学当初の研究計画では、自然学校の社会的インパクトの測定と
いったことをいかに可視化するかという大テーマをすえていましたが、
だんだんとそうしたことを修士の研究に落とし込むことが難しい
ということが分かってきました。

そこで
環境教育プログラムが参加者の行動変容にどう寄与しているのか、
ということを可視化する、という方向に軌道修正しました。

ただ、社会人ゆえの現場感覚が邪魔をして、いわゆる
「研究者的に発想する」ということがどうしてもできない自分が
いました。

先生方には厳しい言葉をかけられ、自分のふがいなさに
落ち込むことも一度や二度ではありませんでした。


3・11後の混乱の只中のデータ集めは困難で、卒業を半期
伸ばそうかと思ったこともありました。
それでも、今まで仕事上お付き合いをしてきた企業の方、
プログラム参加者の方に貴重なお時間をとっていただき、
全面的にアンケートやインタビューに協力いただいたことで
貴重なデータを入手することができました。

修士論文の最後2週間はほとんど寝ずに大学院に泊まり
込んで書き上げました。
もがき、苦しんでなんとか書いたというのが正直なところです。

内容には全く納得していません。むしろ敗北感のほうが強いです。
しかし、色んな先輩方に聞くと、修士の研究とは大体こんなものだ
とのことで、今のこの悔しい気持ちが今後の原動力になると
信じることにしました。



■3足わらじの困難さ

3足わらじと勢い宣言したものの、実際は挫折の連続であったと
言えます。

仕事はどうしても中途半端になります。
現場に出られないことで、後輩からは、自分がいないから進まない、
相談できない、何を考えているか分からない、などなど、不満の
オンパレードでした。
コミュニケーションをとろうにも物理的にいないというもどかしさ。
一時は自主的に”降格”してやり直そうかと真剣に悩みました。


大学院は基本的に充実していたものの、片道3時間のドライブ、
授業は週2日が限度で、希望の授業の大半は諦めざるを
得ませんでした。また当然、授業だけでなく課題や読書など
それ以外のこともやらなくてはならないので、都合、睡眠時間を
削ってやることになりました。


僕は朝型なので、基本的に朝やりたいほうなのですが、
子どもは早起きでおきたときに自分がおきていると遊んでくれと
せがむので、むりやり夜にやらざるを得ませんでした。


家庭では家族と過ごす時間は十分にとれず、妻には苦労を
かけたと思います。



■それでも

それでも何とかかんとか這いつくばって卒業までこぎつけました。

僕は、基本的には楽観的なタイプなので、辛くても寝れば忘れて
次の日には前を向いて進むことができました。
こうした性格も助けになったのかもしれませんし、
そしてなにより、妻、妻の実家の両親、職場の上司、同僚、
大学院の仲間、、、こうした人たちが僕のチャレンジを後押しして
くれたからこそ、2年間の3足わらじ生活を全うできたと思っています。

そういった意味では、感謝をしてもしきれません。
関わってくれた全ての人にありがとうといいたいです。



■これから

さて、これからですが、
もう既にフルタイムで仕事には復帰しているので、今までの
生活が劇的に変わるということはないと思います。


ただ、大学院での学びを受け、いくつかの試みを既に
始めています。


第一に、「プログラム効果の可視化」


既にプログラム参加者へのアンケートを全面改訂し、
今まで参加しないと、または実施者でないと
分からなかった教育効果の可視化に取り組んでいます。
数年かけてサンプルを取り、分析していきたいと思います。

環境教育とは行動する人材を育てることと国際機関も
規定しています。行動につなげるための効果的な方法論と
効果の可視化は、今後の業界全体の一つの大きなテーマに
なるでしょう。



もうひとつは、「林業再生」


森づくりのプロジェクトには2005年から関わらせてもらっていますが、
日本の森を健全な状態にしていくには、ボランティアレベルでの
森の関わりでは到底不十分であり、プロ、そしてセミプロが
しっかりと稼いでいける状態でないとだめだという気持ちを強く
しました。


これは大きなテーマですが、林業はいろんな意味で可能性を
秘めています。これについては書き出すと長くなりそうなので
またの機会に譲ることにします。



他にもいくつかありますが、大きく言えばこの二つで、
これを今後10年位かけて公私に亘って取り組んでいきたいと
思っています。



■最後に

このように一見順風満帆に見えた3足わらじ生活は水面下で
必死に水かきを掻く水鳥のように、もがき、這いつくばって
なんとか卒業できたというのが正直な実感です。



それでも、この選択をして良かったと心の底から言えます。



なぜか。



もちろん、自分の選んだ道を全うできたという達成感のようなものは
あります。ただ、それは一部に過ぎない。

それよりなにより、自分が色んな人に生かされていると感じられた
ということ一番の収穫です。

言い方を変えると、
自分にとって大切なものが何か、ということがはっきりと分かった、
ということです。


つまり、それは妻であり、子どもであり、両親といった家族。
職場の同僚、友達といった自分に繋がる人たち。
そして、日本の美しい自然。


巡り巡ってそこに帰って来た。

同じ場所に立っているのですが、見える景色がちょっとだけ違う。
それがこの二年間の最大の成果だったのかな、と思います。




・・・つらつらと書きましたが、これで3足わらじは終わりです。


応援してくださったみなさん、ありがとうございました。
”2足”になった山川を今後ともよろしくお願いします(^^)


ではでは。


Posted by ラガー at 00:47 | 大学院 | この記事のURL
【ご報告】修士論文にご協力いただいた方へ [2011年09月23日(Fri)]

インタビュー、アンケートにご協力くださったみなさまへ


みなさまのご協力のお陰で
修士論文も無事書き上げることができました。


アンケートのコメント、インタビューのお話には
目を見開かされたことも多々ありました。


ご協力いただいた方へのご報告は
時を見てしっかりさせていただきますので、
しばしお待ちください。
(時期は年内を目処にしています)


今後ともよろしくお願いします。
Posted by ラガー at 03:56 | 大学院 | この記事のURL
9.11に考える [2011年09月13日(Tue)]

9.11 テロからもう10年か、と思う。



そのとき自分は26歳で、東京の実家にいた。
実家のテレビに釘付けになり、目の前に広がる光景ににわかに信じられずにいたのを昨日のことのように覚えている。

翌年、僕は当時の仕事を辞め、当時ニューヨークに住んでいた姉を訪ね、9ヶ月たった貿易センタービルがあったであろう場所に立った。

グラウンドゼロの脇には、星条旗と家族や友人からのメッセージや花束、日本から送られたであろう千羽鶴が無数に捧げられていた。

1ブロック先はビジネスマンが行き交い、日常が営まれていたが、グランドゼロの周辺はまるで時間が止まったようなそんな不思議な感覚に襲われ、やや感傷的になったと同時に、崩壊しつつある「大国アメリカ」の予兆を感じた。



その後、ブッシュ前大統領は悲しみの矛先を“テロとの戦い”という“正義”に置き換え、アフガン・イラクとの戦争に突入した。結果戦争は泥沼化し、テロは収まるどころか、憎悪は世界中に飛び火し、驚異はむしろ増えてしまった。



20歳のとき、はじめてアメリカの地に降り立ったとき、そのスケールの大きさ、フロンティアスピリット、多様性を許容する文化に鳥肌が立った。
ただ、20歳の若者が強烈な憧れを抱いた国は、あの事件を境に寛容さを失ってしまったように見える。そして、その不寛容から来るえも言えぬ閉塞感が世界に暗い影を投げかけている。



しかしそんな世の中にも、従来の枠にとらわれず、在るべき理想の姿を描き、そこに向かって周りを巻き込みながら粘り強く進む社会起業家が世界中で台頭している。
そして、従来一生安泰と思われた職に就いた優秀な若者が、社会起業家を目指し、退職する例が続々と出始めている。彼らは間違いなく21世紀の社会に強烈なインパクトを与えていくだろう。


自然学校も、そうした社会変革を成し遂げる主体でありつづけるため、異質の許容と、たゆまぬ自己変革を続けていかなければならない。と気持ちを新たにした。



9.11に、そんなことを思ったのだ。
ふしぎ病院の絶大なる人気の理由は [2011年08月01日(Mon)]

先週末、ウルシにかぶれて以来、病院に通っている。
この病院が極めて興味深い。



この病院は街中にあるいわゆる昔ながらの皮膚科で、
御年80かと言わんばかりのおじいちゃん先生が
診察室の真ん中のどんと座っている。



この先生はまず、触らない、動かない。
虫眼鏡で見るだけ。そして判断を下す。



おそらく積み重ねた経験は何千何万というもので、
ウルシのかぶれなど、目をつむっていていてもわかるという
感じなのだろう。



先生の周りには
これまた「おばちゃん!」といった看護師さんが沢山いて、
てきぱきと働いている。



そして、そのボス格と思われるおばちゃん看護師がいる。
彼女の指示は明快、かつ教育的である。



「この薬は2日間で使い切って!」(結構たくさんある)
「遠慮せずにどんどん塗って!」(もう聞いた)
「山には入らないように!」(そりゃ無理だ)



僕は看護師に教育されに病院に来たわけではないのだが
彼女の「迷いのなさ」にはにある意味感心してしまう。




しかし、この病院が絶大なる人気なのである。




ひっきりなしに患者が来る。
なぜ、こんなに客に支持されているのか。
おじいちゃんはほとんど動かないのに!




その訳は、点滴を打って分かった。
点滴を打つと20-30分、点滴部屋に座ることになる。
患者は大体同じ時間に来る。点滴中は暇だから
自然と会話するようになる。


おばちゃん看護師たちはてきぱきと、かつ患者の大半を
しめるお年寄りの話し相手にもなっている。


患者たちの
「おじいちゃん先生の言っていることがわからない」
といった質問にも丁寧に答えている。


患者のほとんどは慢性的なものだから、
そうすると先生の出番はほとんどなく、看護師で
要足りることになる。



そこには立派な社会ができている。
その社交をある種楽しみに来ているのだ。



おばちゃん看護師軍団はその社会の絆を
つなぐ重要な役割をになっている。
この社会は彼女たちの活躍によって支えられている
といっても過言ではない。


おばちゃん、おそるべし。




では、おじいちゃんは何か?
これは村のシャーマンのような存在なのではないか?
困ったときに聞く。
そこに経験からくる明確な回答があればそれで良い。



某皮膚科は、そんなところである。




・・・・ということで、どうでもいい話でした。

gmailの恐怖 [2011年07月21日(Thu)]

一昨日知り合いからLinkedInの誘いがきて、気楽に登録したつもりが、アドレス帳に登録された数百件の人に一斉にお誘いメールがいってしまい、大混乱に陥ってしまいました。


私につながる皆さまに多大なるご迷惑をおかけしましたことをお詫びします。


ただ今回感じたのはgmailの恐ろしさです。


gmailは一度メールをもらうもしくた出した人のアドレスが優れた検索機能で探しだせるようになっているのが特徴です。


しかし今回はその機能が仇になり、実に600件以上の人にメールが送られてしまいました。しかも、指摘をされるまで、この「機能」を使って数百人に同じメールが送りつけられていたことに気づきませんでした。
恐ろしいです、本当に。


こうした利便性の裏にあるリスクをいかに見つけてそうならないようにマネジメントすることが求められます。


自戒を込めてみなさんにシェアしました。
Posted by ラガー at 15:44 | この記事のURL
修論執筆の際に感じたこと [2011年07月10日(Sun)]

7月4日に大学院生活2年間の集大成である

修士論文を無事提出しました。




最後の2週間くらいはほぼ睡眠時間は数えるほどで

なんとか乗り切った、というのが正直なところです。




性格的に計画性を持ってコツコツやるほうではないので、

しっかりやればもっと楽にできたかもしれませんが、

いずれにしても、人生の中でこんなに深く考えたことは

今回が初めてでした。




2週間前は「本当にこれでまとまるのか?」

と思ったのが正直なところでした。



先生や博士の先輩方は「大丈夫、大丈夫」と言って

くれましたが、実際のところ不安でいっぱいでした。




けれど、意外となんとかなるものですね。

一度経験すればわかる、というのが終わってみての

結論です。




こうした、思考のとりまとめの作業は今までここまでの

規模のものをしたことがなかったので、「まとまるイメージ」

がなかった、というのが正直なところです。





提出したときに、安堵と共にまっ先に浮かんのは

お世話になった人の顔。

そして、次の瞬間は今後の自分の仕事や生活の

ことを含めた未来に思いが行っていました。





大学院生活は楽しかったですが、

研究はもういいかな。

今は、現場がやりたいです。



Posted by ラガー at 01:04 | 大学院 | この記事のURL
エコツーリズムと屋久島」日本山岳会自然保護全国集会in福岡 [2011年05月26日(Thu)]

興味深いイベントがありますので紹介します。

ちなみに、ホールアースの創業者と僕の父が関わっています。
縁とは不思議なものです。

*****************************************************


「エコツーリズムと屋久島」日本山岳会自然保護全国集会(福岡)


2011年度・日本山岳会自然保護全国集会
        テーマ: 「エコツーリズムと屋久島」

自然保護委員会では昨年に引き続き屋久島問題を取り上げます。

わたしたちは2010年11月提言書「屋久島への提言」を公表しましたが、
そのあと、「屋久島エコツーリズム全体構想 」が屋久島町で発表になり
パブリックコメントの募集が行なわれました。

このあと、主務大臣あて本構想が提出承認されれは、屋久島は
全国で最初の「認定エコツーリズム推進地域」ということになります。

わたしたちの提言がどれだけ受け入れられこの全体構想に反映
されるかの正念場です。本問題に関心をお持ちの方是非ご参加ください。


(プログラム)

日時:6月11日(土) 13:00〜17:00

場所:福岡市「西鉄イン福岡」 092-712-5858
 (アクセス)天神駅から南西へ350メートル・アクロス福岡向

テーマ:「エコツーリズムと屋久島」


(プログラム)
■ 1. 「屋久島問題取組みの経緯と課題」 山川陽一
         (日本山岳会自然保護委員・世界自然遺産プロジェクトリーダー)

■ 2.「エコツーリズムとはなにか 」広瀬敏通   
         (日本エコツーリズムセンター代表理事・ホールアース自然学校会長)

■ 3.パネルディスかション 
   「これからの屋久島を考える」
 伊藤秀三 日本ガラパゴスの会会長、長崎大学名誉教授
 広瀬敏通 日本エコツーリズムセンター代表理事・ホールアース自然学校代表 
 井上晋(すすむ)  福岡支部自然保護委員、元九州大学助教授
 太田五雄 福岡支部(屋久島在住)
 山川陽一 自然保護委員、世界自然遺産プロジェクトリーダー  
 (進行) 山本博 福岡支部自然保護委員

問合せ:山本 博 092-551-1635 
     川口章子 047-463-8721

世界自然遺産を考えよう!ウェブサイト
http://jacsekaiisanprj.sakura.ne.jp/index.php
Posted by ラガー at 14:26 | 情報提供 | この記事のURL
丸の内朝大学「ピクニックプロデューサークラス」 [2011年05月25日(Wed)]

ひょんなことからご縁を頂いて、

丸の内朝大学で講師を務めることになりました。


とってもいい企画ですし、メイン講師の岩崎雅美さんもさんも

とっても素敵な方なのでぜひぜひ!お越しください♪

http://www.ecozzeria.jp/asadaigaku/




丸の内朝大学は僕の高校の友人が主宰していて

前からユニークな取組みだなあと気になっていたので、

こうしてつながりができると何だか嬉しいです。





■□■□ピクニックプロデューサークラス■□■□
http://www.ecozzeria.jp/asadaigaku/course/17152919.html


環境への関心が高まっていることから、アウトドアが注目を集めています。

そのアウトドアへの第1歩ともいえるピクニックは、気軽に、どこでも、

誰とでも、グリーンを楽しむことができる最適なアクティビティです。



本クラスは、ピクニックやアウトドアの基本知識を学び、レクチャーや

フィールドワークを通じて、自由なピクニックスタイルを発見していきます。


楠公レストハウスでさわやかな夏の朝を感じつつ、アウトドアの多様性と

自然の中でのコミュニケーションを学び、オリジナルのピクニックスタイルを

つくりあげてみませんか?



最終回では、ピクニックのアイデアを持ち寄った"ピクニックフェス"を開催!

この夏、アウトドアでヒーロー、ヒロインになりましょう!



講師:岩崎雅美、新保壮太郎、noyama、山川勇一郎

日程:全9回(60分) 7月13日(水)〜9月11日(日)

学費:36,000円(税込)


Posted by ラガー at 06:25 | 情報提供 | この記事のURL
新たな木材の利用可能性 [2011年05月22日(Sun)]

今日は大学院のつながりでふたりホールアースまで来てくれました。


一人はファブラボ(FabLab)を主宰するSFCを今年卒業したばかりの平本くん。

もう一人はSFCのM2で山中研の讃井さん。


FabLabとは、「3次元プリンタやカッティングマシンなどの工作機械を備えた一般市民のためのオープンな工房と、その世界的なネットワーク」(FabLab WEBSITEより)とあります。



共通のツールを使って、デザインして切り出す、そのアイディアをネットワークで共有する、そうした試みを行っており、日本では鎌倉、筑波を中心にいくつかの場所でFabLabが立ち上がりつつあるそうです。

基本となるのはペーパーカッター、3Dカッター、CNCと呼ばれる2Dのカッターなどの工作機械で、これをベースに設計した図面を機械で切り出していくのですが、Water Jetと呼ばれる特殊な機械に至ってはアルミの板も自由自在にカットできるそうで、今まで机上や想像上でしか実現しなかったものが、物質としてのモノ作りに繋げられる、そうしたモノ作りの限界を超える可能性があると感じました。









今回は、僕が担当しているろうきん森の学校プロジェクトで、材の活用の取組みを進める中で、新たな活用の方法としてこのデザイン分野から派生した世界的な動きとのコラボを考えました。



デザイン的な志向の彼らとの話はとっても刺激的で、
こちらもクリエイティビティを刺激されました。



現場でアイディアを交わす中で、林地残材をテーマにしたモノ作り企画を秋口に行うことで合意しました。楽しみー。わくわく。



ちなみに讃井さんは子ども向けの色を学ぶ教材を開発していて、
こちらもとってもオモシロそうでした。



Posted by ラガー at 05:29 | 仕事 | この記事のURL
Future Center Weekのまとめ [2011年05月19日(Thu)]

GLOCOMの野村さんが先週行われた

「Future Center Week」のクイックフィードバックを

してくれました。



僕は1日目の「震災後の社会の評価指標を考える」

ディスカッションに参加しましたが、非常に有意義な議論でした。




良くまとまっているので、リンクを掲載します。

まとめ

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