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新着情報

令和2年度通常総会 2020年04月07日(Tue)
歴史ウォーク「石州街道と山口のまちを歩く」 2019年06月06日(Thu)
バス&ハイク 四境戦争 〜石州口の戦いの跡をたどる〜 2018年12月17日(Mon)
7/19(木)協議会研修視察 2018年08月27日(Mon)
歴史ウォーク「維新策源地 山口のまちを歩く」後編  藩庁門〜龍福寺 2018年06月09日(Sat)
歴史ウォーク「維新策源地 山口のまちを歩く」前編  湯田温泉〜亀山公園 2018年06月09日(Sat)
第54回湯田地区町内親睦大運動会実行委員会(2回目) 2018年04月19日(Thu)
湯田地区コミュニティ運営協議会 平成30年度総会を開催 2018年04月05日(Thu)
折りたたみ式会議用テーブル(外用) 2018年02月27日(Tue)
第54回湯田地区町内親睦大運動会 第1回実行委員会 2018年02月22日(Thu)

2020年04月07日

令和2年度通常総会

4月2日(木)、湯田地域交流センターにて湯田地区コミュニティ運営協議会令和2年度通常総会を開催しました。
令和元年度の事業報告・収支決算及び監査報告、並びに令和2年度の事業計画・収支予算などすべてについて原案どおり承認されました。
R2.4.2 総会.JPG
posted by 中川 at 08:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

2019年06月06日

歴史ウォーク「石州街道と山口のまちを歩く」


令和最初の歴史ウォークかわいいが、6月1日(土)の午前中行われました。

平成25年度から始まり、今回で8回目を迎えるこの歴史ウォーク、
聞くところによると、始まってから1度も雨天で中止になったことがないそうです。
これも、晴れ女のI事務局長とY事務局員さんのお天気パワー晴れのおかげでしょうか。
20名近くの地区の皆様にご参加いただき、今年も青空の下のウォーキングとなりました。

道案内人は松前了嗣氏・・・もとい!種田山頭火さんわーい(嬉しい顔)です。
山頭火さん3.jpg
写真、ちょっと雰囲気出して白黒にしてみました。
炎天下の中、着物姿で案内してくださいましたよぴかぴか(新しい)

今回のコースは、石州街道を湯田から白石に歩き、その周辺のお寺や公園を散策しました。

◆井上公園◆
井上馨の生家跡に作られた公園です。
文久3(1863)年に起きた「8月18日の政変」で都落ちした三条実美らも滞在した場所で、現在、その宿舎となった「何遠亭(かえんてい)」を再現した建物があります。

山頭火さん.jpg
三条実美ら7人の公卿の忠誠を偲ぶ「七卿の碑」の前にて

ここで、ちょっと宣伝ですが、
湯田の歴史発掘事業として、七卿のリーダー格「三条実美さん」の講演会をこの夏予定しています。是非みなさん、お越しください。
開催の詳細は、最後に記載させていただきます。


@井上公園 IMG_2851.JPG @井上公園 IMG_2854-3.jpg
井上馨の銅像前では紫陽花がとてもきれいに咲いていました。
もうすぐ、梅雨雨の季節ですね。

@徒歩中 KIMG2808[2].JPG
石州街道を白石に向けて歩く様子。

◆龍泉寺◆
A龍泉寺 IMG_2872.JPG
幕末、都落ちした七卿のうち、東久世通禧、四条隆謌が滞在したことがあるそうです。
山頭火さんも、このお寺のお隣に下宿されていたことがあったとか。

◆袖解橋◆
B袖解橋IMG_2882.JPG B袖解橋 IMG_1880-2.jpg
元治元(1864)年9月25日、井上馨が帰宅中の夜道に、この袖解橋付近で襲撃されたそうです。

B井上馨遭難の地 IMG_1883.JPG
袖解橋の碑の近くに「井上馨侯遭難の地」の碑もあります。

◆圓龍寺◆
D円龍寺 KIMG2810[1].JPG
大内氏の時代からあるお寺だそうです。
大きな門です。江戸時代、山口のお寺の中では一番大きなお寺だったそうですよ。

ここからは、白石地区に入ります。

◆長寿寺◆
E長寿寺IMG_2896.JPG
ここも大内氏の時代からあるお寺で、幕末は、井上馨率いる鴻城軍の駐屯にもなったそうです。
このお寺の奥には広い墓地があり、初代山口県令・中野梧一と、その妻・関子の墓や坪井信友の墓がありました。
D長寿寺 IMG_2898.JPG
門に可愛いハート♡のマーク発見。

◆阿部橋◆
道場門前と西門前をつなぐ安部橋。この安部橋の側に山口の旧家安部家があったそうです。
安部家は、江戸時代富豪をもって知られ、江戸時代の本陣として、毛利藩主一族の宿所にも使用されていたそうです。

Fあべ橋 IMG_2902-2.jpg
この阿部橋の近くに「亀山御銅像本道」と示された道標があります。
明治33年に建てられたそうです。
銅像がある亀山公園は、このウォーキングの最終目的地です。

コープここと道場門前店の店舗裏にひっそりと沈流亭跡の碑が建てられています。
Fあべ橋 KIMG2816[2].JPG
        沈流亭跡

幕末薩長連合を推進するために、慶応3年(1867)9月薩摩藩の重臣小松帯刀、西郷隆盛らが続々と山口にやってきました。
当時ここ安部半助方の枕流亭の2階で会見したそうです。
盟約がなって、幕府を倒す連合討幕軍の結成を誓ったとか。。。

◆高杉晋作父子邸跡◆
阿部橋から北に上り、普賢寺に行く手前、小高い丘があります。
このあたり茶臼山というようです。このあたりに、高杉晋作が土地を購入し家を建てたのではないかと松前山頭火さんが話されていました。

今は閑静な住宅地です。
もう、どこに家があったかはわかりませんが、この辺りかねぇ。
緑滴る丘陵地が続いていたのでしょうか。。。

G高杉晋作父子邸 KIMG2818[1].JPG

◆普門寺◆
大内弘直(大内氏23代当主弘幸の弟)によって菩提寺として創建されたそうです。
幕末、大村益次郎がここ普門寺の観音堂を宿舎にしたとのこと。
H普門寺 IMG_2914.JPG H普門寺 KIMG2819[1].JPG
境内にある観音堂と鐘の前では、松前山頭火さんと参加者の皆さんとの記念撮影会が和やかに行われていましたよるんるん

◆亀山公園◆
最後に、亀山公園🌲に上がりました。
松前講師の話では、亀山公園は、毛利秀元が築城をしようとしていた長山城跡らしいです。
近くにある池も、その時のお堀の名残だそうです。

関ヶ原の戦いで、西軍が敗れたため、築城がストップしたんだとか・・・

今まで何気なく見ていた池にも、そんな歴史があったとは。
かの有名な関ヶ原の戦いが、こんな西の端まで影響していたんですね。

そして、山頂には以前、銅像がたくさん建っていました。

明治33年に、毛利敬親公の銅像の他に岩国藩主吉川経幹、徳山藩主毛利元蕃、清末藩主毛利元純、長府藩主毛利元周の4支藩主の銅像が建てられたそうです。
その後、毛利元徳公の銅像も建てられたとか。
大きな銅像が6基も山の上に立っていたということですね。

そういえば、清末藩主の毛利元純さん、昨年秋に行った、バス&ハイクでも、四境戦争の際、石州口の総督として名前が出てきましたよね。

昨年の整備で、亀山公園山頂も今は、周辺の木々が伐採され芝生が広がり、山口市の街が360度見渡せる見晴らしの良い公園となっています。
KIMG2834[1].JPG

KIMG2829[3].JPG

今回も、普段は通り過ごしてしまいそうな史跡をたくさん訪ねました。
幕末・明治維新の痕跡は、今もあちらこちらに残っています。
松前山頭火さんのお話を聞きながらの楽しい朝の散歩となりました。
講師の松前山頭火さん、ウォーキング指導員の幸坂さん、そして、参加してくださいました皆さん、本当にありがとうございました。

前でも若干触れましたが、この夏、歴史講演会も企画しております。
是非皆さんのご参加お待ちしております。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
湯田の歴史発掘
「七卿のリーダー格 三条実美」
日時 8月3日(土)10時〜
場所 湯田地域交流センター2階 なんでも研修室
講師 松前了嗣氏(防長史談会山口県本部山口支部支部長)
参加費 無料
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★     

posted by 中川 at 11:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

2018年12月17日

バス&ハイク 四境戦争 〜石州口の戦いの跡をたどる〜

11月24日(土)、湯田地区コミュニティ運営協議会主催のバス&ハイクが行われました。
今回は、「四境戦争〜石州口の戦いの跡をたどる〜」と題し、防長史談会の松前了嗣氏を講師に迎えバスで島根県益田へ向かいました。
幕末におこった四境戦争、大島口、芸州口、石州口、小倉口の4箇所で勃発しましたが、このうちの一つ「石州口の戦い」が、今回の旅の目的地である益田市でありました。


益田に向けて出発したバスは、阿東に入ると石州街道(9号線)を三谷駅から左に折れ生雲を通り嘉年に向かいます。

このバスツアー、現在のように真っ直ぐに山陰道9号線を通り益田行くわけではありません。

実は、四境戦争が勃発する1年前より、長州軍(南園隊)の屯所が現在の山口市阿東の生雲村に置かれ、清末藩主毛利讃岐守元純は石州口の総督として生雲にある法田寺を屯所としたそうです。

なるほど、バスが9号線から逸れて、この生雲や嘉年を通るのも意味があったわけで・・・

車窓に、長州軍の屯所であった法田寺や、嘉年村郷勇隊司令士となった市原儀伝太旧宅跡を眺め、バスの中で松前講師の話に耳を傾けながら当時に思いを馳せます。

 @バス2.jpg @バス.JPG

山口市嘉年を出ると萩市小川に入ります。
島根県との県境にある下小川には、最初の見学箇所である妙権寺があります。

【妙権寺】
妙権寺も、四境戦争石州口の戦いの際、長州軍の屯所となったところで、長州軍が連日演習を繰り返していたそうです。
妙権寺境内には、萩市指定天然記念物の樹齢300年のイブキの木がありました。
この大きなイブキの木、考えてみれば四境戦争の最中もあったわけで、江戸、明治、大正、昭和、平成・・・と、幕末から近代への歴史の移り変わりを見下ろしてきたんでしょうね。
A妙権寺 入口.jpg A妙権寺 境内.jpg
銀杏で黄色で彩られた境内に立つイブキの木の下で当時に思いを馳せます。

 A妙権寺 付近 叶谷の井戸.jpg A妙権寺 付近 叶谷の井戸2.jpg
近くには、旧街道が通り、叶谷の井戸を見学することも出来ました。
半楕円形に作られた石垣の下にある井戸は、とても立派なものです。

妙権寺を出て街道を少しバスで走ると、生雲で別れた石州街道(9号線)に再会します。
こうして実際に通ってみると、長州軍が津和野の町(津和野藩)を避けながら県境を超え益田に入ったことが実感できます。

益田市街の手前に横田という町があります。ここに大村益次郎率いる長州軍が集結したそうです。
そして、長州軍がいっせいに渡ったという川が・・・

【小木の河原】
B小木の河原1.jpg
旧説?? 小木の河原
高津川。広いです。
B小木の河原4⇒横田舟橋.jpg
新松前説?? 横田船橋

横田船橋がかかっている川の様子
B小木の河原4⇒横田舟橋2.jpg
水面に隣接する建物が写り、とてもきれいです。
今日は本当に天気に恵まれ空も青く澄んでいます。
天高く馬肥ゆる秋・・・

何はともあれ長州軍は、横田で、行く手を遮る川を渡り益田の城下町を目指したのでしょう。。。
ツアーのバスもその道をたどり、「石州口の戦い」の火ぶたが切られた津和野藩と益田藩の藩境にある関所「扇原関門跡」に向かいます。

【岸静江國治の墓・扇原関門跡】
バスを降りると、関守岸静江國治のお墓がありました。
C岸静江國治墓1.jpg
岸静江國治の墓の前にて

お参りを済ませ、扇原関門跡へ・・・
ここからは、徒歩でトンネルを抜け山道を登ります。
D扇原関門跡6.jpg D扇原関門跡5.jpg
トンネルを抜けるとタイムスリップしたよう。
ぶち雰囲気あります。
苔むした山道を登さらに登って行くと、その一番小高い場所に扇原関門跡がありました。
 

扇原関門跡には、「岸静江戦死の地の碑」と書かれた大きな碑があります。
ここには、津和野藩と浜田藩の当時の領界を示す標柱も残っていました。
ツアーに参加された皆さん、この標柱を手で触れながら、当時の様子に思いを馳せられている様子でした。
D扇原関門跡2.jpg D扇原関門跡4.jpg D扇原関門跡3.jpg

扇原関門跡を後にし、長州軍が幕府軍の様子を探り作戦を立てたという、机ア神社、稲穂山を車窓に見ながら、益田市街に入ります。

石州口の戦いの戦地であった益田の街では、妙義寺、医光寺、萬福寺をめぐります。
【妙義寺】
E妙義寺.jpg E妙義寺1.jpg E妙義寺4 長州兵の墓.jpg
妙義寺もまた、秋の紅葉に彩られていました。
ここには長州軍の本陣や野戦病院が置かれました。
戦いで亡くなられた長州兵のお墓が残っています。
松前講師が持参されたお花とお酒をお供えします。

【医光寺】
F医光寺2.jpg F医光寺3.jpg F医光寺4.jpg
次に向かった医光寺は幕府方の福山軍の本陣となった場所です。
雪舟庭を眺めながら、しばしお寺の説明に聞き入ります。

Iその他 1.jpg
当時、長州軍がどのような経路を通って益田市街へ入ってきたのか、松前講師が持参された写真地図を広げ確認します。

【萬福寺】
G萬福寺1.JPG   
萬福寺は幕府方の浜田軍の本陣となった場所だそうです。
G萬福寺3.jpg
萬福寺の横を流れる川の向こうから長州軍が射撃。
境内の柱には、今でもその当時の弾痕が残っています。
G萬福寺2.jpg
住職の奥様がお寺の説明をして下さいました。すてきな奥様です。

旅の最後は、萬福寺の横にある小高い丘の上に登りました。
H高台より2.JPG H高台より1.JPG
眼下に、当時の石州口の戦いの激戦の地であったであろう益田の街が広がります。
この川の上を銃弾が行きかったのでしょうね。。。などと、ツアーの皆さんと一緒に当時に思いを馳せたのでした。
posted by 中川 at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

2018年08月27日

7/19(木)協議会研修視察

7月19日、研修視察を行いました。
この度は、地区の町内会長さんや当協議会加入団体の会員さんにご参加いただき、美祢社会復帰促進センター及び、山口県産業技術センター(JAXA)を訪問しました。
湯田にも山口刑務所があり、お祭りへの参加など地域の方との交流が図られていますが、美祢社会復帰促進センターにおいても、地域との共生による運営が行われているようでした。
山口県産業技術センターでは、県内の企業さんの中核的技術支援拠点としての取り組みについて説明を聞きました。
この度は、参加者相互の交流も図られ親睦を深めることが出来、大変有意義な研修となったようです。

山口県産業技術センター(JAXA)
JAXA.jpg

「中核的技術支援拠点」としてのセンターの取り組みについて研修室でお話を聞いた後、施設を見学しました。
DSC01606.jpg

人工衛星だいち2号の模型。
DSC01614.JPG
実物の3分の1の模型だそうです。

だいち2号から写した山口県の衛星写真。
山口の地図.png
世界中どこでも毎日見ることができるそうです。

この、人工衛星に使われている部品の中に、山口県の企業が作っているものがあるそうです。
DSC01614.JPG

実際に使われている部品を、目で見て重さを感じることもできます。
DSC01635.jpg

だいち2号からみた山口県。湯田小学校も見えましたよ!
DSC01647.jpg    山口.png 


続きを読む・・・
posted by 中川 at 12:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

2018年06月09日

歴史ウォーク「維新策源地 山口のまちを歩く」後編  藩庁門〜龍福寺


旧山口藩庁門・山口御屋形(山口城)跡
藩庁山口移転後、最初は中河原の御茶屋にあった政治堂ですが、後に、現在の山口県旧県庁舎および旧県会議事堂の地に移されました。
926藩庁門2.png930県庁2.png
現在の山口県庁が建っている場所に山口御屋形・山口城が築かれました。
当時の山口御屋形は、天守閣がある前時代的な城ではなく、砲台・土塁・水濠を備えた西洋式の近代城郭だったそうです。
敷地内には今も、当時の堀や土塁、石垣の一部、旧山口藩庁門が残っています。

943県庁→洞春寺.jpg945県庁→洞春寺.jpg
 県庁の裏を歩いていくと・・・
950県庁→洞春寺.jpg951県庁→洞春寺.jpg
洞春寺に抜ける道があります。
ここに、「侯爵毛利家・・・」と刻まれた石が残っていました。
言われなければ気付かずに通りすぎてしまっていたところでした。
この辺りが毛利家の敷地だったことを示していた石なのでしょうか。。。

洞春寺
慶応元(1865)年1月10日、井上聞多は諸有志に推されて長寿寺おいて鴻城軍の総督となりましたが、翌11日、上陣営をここ洞春寺に移したそうです。
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洞春寺には、井上馨侯の分霊墳墓がありました。井上馨や高杉晋作、伊藤博文らと仲の良かった杉孫七郎、杉家の墓もあるそうです。矢原出身の女流日本画家兼重暗香(明治〜昭和初期)のお墓もありましたよ。

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洞春寺境内にて
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洞春寺には、マル住職(紀州犬)もいらっしゃいました。

勅撰銅碑
洞春寺のとなりに香山墓所(毛利家墓所)がありますが、この墓所の前に明治天皇が毛利敬親の偉業を永久に伝えるため、その命によって建てられた勅撰銅碑があります。
1022勅撰銅碑.jpg
撰文は、大内出身で、長州三筆と称された野村素介によるものだそうです。
ここに書かれた楷書はまるでワープロの文字のよう。
日本に数基ある勅撰銅碑の中でも最も美しいと言われているそうです。

香山墓所
ここには、13代毛利敬親公夫妻のお墓があります。
1025香山墓所.jpg

香山公園
緑したたる香山公園の中を歩きます。少し暑くなってきました。
1031香山公園.jpg

枕流亭
元は一の坂川の河畔に建っていたそうです。
この建物の階上で薩長の密議が行われ、連合討幕軍の結成が誓われたそうです。
1031沈流亭.jpg
NHKが取材に来られましたよ。
1032沈流亭.jpg
運動靴の紐の結び方を教えてもらっています。
ウォーキングは、靴の履き方も大事。

露山堂
毛利敬親は、茶事に事寄せて、身分に関係なく、この一室に人を集めて討幕、王政復古の大業について密議を凝らしたそうです。
1040rn露山堂.jpg
この露山堂の裏にある石、萩にあった橋の一部だったそうです。
よく見たら、その橋の名前が刻まれてますよ。

錦の御旗製作所跡
慶応3年討幕の密勅が薩長両藩に下ったと同時に錦の御旗製作の内命がありました。
ここ後河原にあった藩の養蚕所の一室で錦の御旗が約30日かけて作製されたそうです。
御旗製作所跡1050錦の.jpg

錦の御旗製作所跡1040.png
錦旗は、山口と京都の薩摩藩邸にそれぞれ半分ずつ密造し、このことは誰にも知らせなかったそうです。

天花火薬庫爆発遭難者の墓
1105天花火薬庫爆発遭難者の墓.png
最後に立ち寄った龍福寺には、天花火薬庫爆発遭難者の墓があります。
文久元(1861)年、山口の天花に火薬製造所が設けられ、一の坂川の水力を利用し器械を作動させ煙硝が作られていました。
慶応3(1867)年3月17日、そこで事故が起こり、製造所内の火薬庫が爆発し、作業従事者16人が爆死、数人が負傷したそうです。

お昼までに湯田に戻るため、龍福寺の緑のトンネル(山門)を通り抜け、現在休館中の十朋亭(秋にリニューアルオープン予定)を横目に見ながら、路線バスのバス停「西京橋」へ急ぎます。
普段、何気なく通り過ぎていた山口のまちですが、あちらこちらに、明治維新の策源地であった痕跡が残っていました。
天候にも恵まれ、青い空の下、土曜日の朝の歴史ウォーキング、講師のお二人のもと、参加された皆さんと楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。

posted by 中川 at 18:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

歴史ウォーク「維新策源地 山口のまちを歩く」前編  湯田温泉〜亀山公園

6月9日(土)、恒例となっております湯田の歴史発掘事業「歴史ウォーク」を開催しました。
『維新策源地 山口のまちを歩く』と題し、講師にNPO法人防長史楽会の松前了嗣氏、日本ウォーキング協会公認指導員の幸坂満雄氏をお招きし、幕末の舞台となりました山口(大殿・白石)のまちを歩きました。

応募者の方全員が時間通り湯田地域交流センターに集合。
ワクワクしながら皆で連なって、バス停「湯田温泉」に向かいます。
833湯田温泉バス亭(記事用).png
予定通りの時刻に路線バスに乗車し、バス停「西京橋」で下車。
まずは、交通広場で講師の紹介と、ご挨拶がありました。
840交通広場.png

御茶屋橋
最初に立ち寄ったのは、一の坂川に架かっている橋の一つ「御茶屋橋」。
山口中河原に『御茶屋』があった名残がこの橋の名前に残っています。
(『御茶屋』とは、江戸時代、藩主が地方巡視のときに滞在したり、他藩からの来賓を迎接した建物のことをいうそうです。)
841交通広場2.png
元々、江戸時代は萩にあった藩府。幕末に山口に移鎮されたそうです。

詳しく説明すれば、文久3年(1863)4月16日、藩主毛利敬親が、表向きは湯田温泉への湯治と称し萩を出発し山口中河原の『御茶屋』に入り、その一部を政治堂にあてた、ということのようです。この辺り、今はクリエイティブ赤れんがや公園などにかわっていますが、幕末は、防長2州(周防・長門)の政治の中心地となったようです。

軽便鉄道中河原停車場跡
御茶屋橋から亀山公園への入り口に汽車の遊具がある可愛い公園があります。
847停車場跡.jpg
よく見るとこの公園、駅のようなデザインになっています。
845停車場跡.png846停車場跡.png
実は、現在のJR山口線が開通する前に、小郡と山口間を結んだ軽便鉄道の山口駅(中河原停車場)がこの地にあったそうです。
明治41(1908)年に開通しましたが、大正2(1913)年に官鉄山口線(現JR山口線)が開通することにより、小郡ー山口線の軽便鉄道は、開業からわずか5年で廃線となったそうです。こんなところに鉄道の駅があったなんて驚きです。

タラヨウの木
亀山公園の一角にタラヨウの木があります。
タラヨウの木は郵便局のシンボルツリーだそうです。
849えごの木2.png850えごの木.jpg
この葉っぱ、裏にペンを使わず字を書けるんです。切手を貼って投函することが出来たという記録も残っているそうです。松前講師が、実際にマッチ棒の先を使い字を書いてみせてくださいました。

城跡の石垣・明治天皇行幸の碑
855明治天皇行幸の碑.jpg
美術館前に明治18年明治天皇が立ち寄られたことを記念して建てられた碑があります。
その当時、ここを明治天皇が通られたんですね。

そして、この碑の下にとても古い石垣が残っています。
856秀元公城跡の石垣.jpg
亀山公園は、慶長年間に(1596〜1615)毛利秀元が築きかけて中止した亀山の長山城の跡を整備し、明治33年に公園としたもので、実は、この美術館前にある古い石垣、その城跡の名残だそうです。関ヶ原の戦いの後、実際にお城が出来たのは萩でしたが・・・そんなに昔からあった石垣なんですね。

美術館前から、公園の中を通り山口県立博物館に向かいます。
緑がきれいです。
901亀山公園.jpg

防長先賢堂(県立博物館敷地内)
920防長先賢堂.png
県立博物館の敷地内には、こんな建物があります。
「防長先賢堂」というそうです。博物館の上にある山の中にひっそりと建っています。
この建物、明治天皇が山口へ立ち寄られたことを記念して建てられたそうです。
他にも、明治資料館や、行啓記念図書館など、明治の頃からの建物が残っていました。

さて、ここから、県庁へ向かいます。。。
posted by 中川 at 17:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

2018年04月19日

第54回湯田地区町内親睦大運動会実行委員会(2回目)

5月13日(日)開催予定の第54回湯田地区町内親睦大運動会の第2回実行委員会が開催されました。実行委員会の紹介の後、各団体の役割分担、プログラム、予算などについて説明があり話しあわれました。

第2回実行委員会(H30.4.17).jpg
第2回実行委員会の様子です。
posted by 中川 at 10:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告

2018年04月05日

湯田地区コミュニティ運営協議会 平成30年度総会を開催

4月4日(水)、湯田地域交流センターにて湯田地区コミュニティ運営協議会平成30年度総会を開催しました。
平成29年度の事業報告・収支決算報告並びに平成30年度の事業計画・予算などすべてについて原案どおり承認されました。

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2018年02月27日

折りたたみ式会議用テーブル(外用)

湯田地区コミュニティ運営協議会で、屋外で使用する折りたたみ式会議用テーブルを購入しました。地区の行事での利用が楽しみです。
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2018年02月22日

第54回湯田地区町内親睦大運動会 第1回実行委員会

2月8日㈭、第54回湯田地区町内親睦大運動会 第1回実行委員会が湯田地域交流センターで開かれました。今年は、5月13日(日)に開催が決定されました。
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