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歴史ウォーク「維新策源地 山口のまちを歩く」前編  湯田温泉〜亀山公園 2018年06月09日(Sat)

2018年06月09日

歴史ウォーク「維新策源地 山口のまちを歩く」前編  湯田温泉〜亀山公園

6月9日(土)、恒例となっております湯田の歴史発掘事業「歴史ウォーク」を開催しました。
『維新策源地 山口のまちを歩く』と題し、講師にNPO法人防長史楽会の松前了嗣氏、日本ウォーキング協会公認指導員の幸坂満雄氏をお招きし、幕末の舞台となりました山口(大殿・白石)のまちを歩きました。

応募者の方全員が時間通り湯田地域交流センターに集合。
ワクワクしながら皆で連なって、バス停「湯田温泉」に向かいます。
833湯田温泉バス亭(記事用).png
予定通りの時刻に路線バスに乗車し、バス停「西京橋」で下車。
まずは、交通広場で講師の紹介と、ご挨拶がありました。
840交通広場.png

御茶屋橋
最初に立ち寄ったのは、一の坂川に架かっている橋の一つ「御茶屋橋」。
山口中河原に『御茶屋』があった名残がこの橋の名前に残っています。
(『御茶屋』とは、江戸時代、藩主が地方巡視のときに滞在したり、他藩からの来賓を迎接した建物のことをいうそうです。)
841交通広場2.png
元々、江戸時代は萩にあった藩府。幕末に山口に移鎮されたそうです。

詳しく説明すれば、文久3年(1863)4月16日、藩主毛利敬親が、表向きは湯田温泉への湯治と称し萩を出発し山口中河原の『御茶屋』に入り、その一部を政治堂にあてた、ということのようです。この辺り、今はクリエイティブ赤れんがや公園などにかわっていますが、幕末は、防長2州(周防・長門)の政治の中心地となったようです。

軽便鉄道中河原停車場跡
御茶屋橋から亀山公園への入り口に汽車の遊具がある可愛い公園があります。
847停車場跡.jpg
よく見るとこの公園、駅のようなデザインになっています。
845停車場跡.png846停車場跡.png
実は、現在のJR山口線が開通する前に、小郡と山口間を結んだ軽便鉄道の山口駅(中河原停車場)がこの地にあったそうです。
明治41(1908)年に開通しましたが、大正2(1913)年に官鉄山口線(現JR山口線)が開通することにより、小郡ー山口線の軽便鉄道は、開業からわずか5年で廃線となったそうです。こんなところに鉄道の駅があったなんて驚きです。

タラヨウの木
亀山公園の一角にタラヨウの木があります。
タラヨウの木は郵便局のシンボルツリーだそうです。
849えごの木2.png850えごの木.jpg
この葉っぱ、裏にペンを使わず字を書けるんです。切手を貼って投函することが出来たという記録も残っているそうです。松前講師が、実際にマッチ棒の先を使い字を書いてみせてくださいました。

城跡の石垣・明治天皇行幸の碑
855明治天皇行幸の碑.jpg
美術館前に明治18年明治天皇が立ち寄られたことを記念して建てられた碑があります。
その当時、ここを明治天皇が通られたんですね。

そして、この碑の下にとても古い石垣が残っています。
856秀元公城跡の石垣.jpg
亀山公園は、慶長年間に(1596〜1615)毛利秀元が築きかけて中止した亀山の長山城の跡を整備し、明治33年に公園としたもので、実は、この美術館前にある古い石垣、その城跡の名残だそうです。関ヶ原の戦いの後、実際にお城が出来たのは萩でしたが・・・そんなに昔からあった石垣なんですね。

美術館前から、公園の中を通り山口県立博物館に向かいます。
緑がきれいです。
901亀山公園.jpg

防長先賢堂(県立博物館敷地内)
920防長先賢堂.png
県立博物館の敷地内には、こんな建物があります。
「防長先賢堂」というそうです。博物館の上にある山の中にひっそりと建っています。
この建物、明治天皇が山口へ立ち寄られたことを記念して建てられたそうです。
他にも、明治資料館や、行啓記念図書館など、明治の頃からの建物が残っていました。

さて、ここから、県庁へ向かいます。。。
posted by 中川 at 17:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告
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