• もっと見る
« 2009年02月 | Main
<< 2009年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新コメント
いしだ
お知らせ (07/08)
庄司 直嗣
お知らせ (07/02)
いしだ
デイタラ・ボッチかも (06/09)
通りすがりの者ですが
デイタラ・ボッチかも (06/03)
めい
エピローグ その2 (04/08)
杉山逸子
エピローグ その2 (04/06)
あぃあぃ
cinema nostalgia (04/06)
ひとみ
エピローグ その2 (03/31)
ムツミ
エピローグ その1 (03/28)
カテゴリアーカイブ
最新記事
エピローグ その2[2009年03月31日(Tue)]
今朝の夕張は、2センチほどの雪が積もり薄い雲がかかている。

昨日、夕張の仲間たちのところに行き、退職について挨拶はてなをしてきた。

日中、各作業所に行くためみんなが一同に会えるのは、朝の食事のときである。仲間たちは、普段と変わらずいつものように過ごしていた。
そして、朝の挨拶を交わしながら一人ひとりに会うが、仲間たちの幾人から私のことについて質問があった。
その大半が「辞めて、何をするの。」という質問である。

返答に困った。
どう応えていいんだろう。
返答できないでいる自分、なんていい加減で哀れなんだろうと自暴自棄。

ある女性からは、「仕事をしないと給料がもらえない。」と諭された。

最後の最後まで、仲間たちに心配をかけっぱなしでいる。


夕刻、私の師匠である大先輩の中鉢先生から電話を頂いた。
私の方からご挨拶に行かなくてはならないのにもかかわらず電話を頂いたこと感謝するとともに、大変恐縮した。

「ご苦労さん。よくやったね。」とねぎらいの言葉。
一つ 自分の「福祉の仕事」として区切りがついた瞬間でもあった。胸に熱いものが込み上げて来る。


28年の間、私にとって「福祉の仕事」とは何であったのか。

仲間たちのかかわりを通じて一言で言うなら「互いの人格形成」と感じている。

福祉の仕事をしているという視線の高さ、支援する側と支援される側という構図のなかにあった高慢な自分・・・・・・・・(本当に穴があったら入りたい)。
そんな私が、長い間仲間たちと過ごしていくうちに、悩んでいる自分がいた。いつも自問自答している自分がいた。言い知れぬ重い荷物を背負っている自分がいた。

しょうがい者という前に「ひと」としての「分かち合い」であった。

そして、再三 話していることで申し訳ないが今の自分をつくってくれたのは、やはり仲間たちである。彼らたちがいなければ、違った価値観を持っていただろう。




続 ゆうばり まちづくり フォーラム2[2009年03月29日(Sun)]
今日の「ゆうばり まちづくり フォーラム2」は午前中のみの講演とシンポ。

初めの講演は、堀江まゆみ氏(NPO法人PandA-J副代表 白梅学園短期大学教授)のしょうがい者の権利擁護というお話。



しょうがい者に対して差別や偏見、虐待・いじめなど、過去の事例をもとに話が進められた。権利擁護という難しい問題、重たい事件の解釈にもかかわらず、堀江氏の聞きやすく理解しやすい講演でかしこまることなく聞かせていただいた。特に、インティビアル・アドボカシーという地域の資源を通じてしょうがい者の権利を守ることの大切さを感じた。例えば、いつも行っているコンビニの店員さんや街角のお巡りさんなどが異変に気づき 本人たちの虐待が防止できる。そんな、社会のちょっとした気配りで、大きく福祉の環境が変えられし支えあう社会の姿だと思う。

シンポジウムについては、コーディネーター 馬川友和氏(北海道ボランティアコーディネーター協会)の司会のもとで、「社会福祉協議会が創るまちづくりと題しまして、事業活動の報告がされました。



坂本大輔氏(登別市社会福祉協議会)
菅野義則氏(夕張市社会福祉協議会)
小国柑奈氏(当別町社会福祉協議会)
成田哲也氏(新ひだか町社会福祉協議会)
それぞれ、地域のニーズをいかに工夫し、活動しているかを、パネリストの熱のこもったお話で理解することができた。

同会場のファミリースクールひまわりの体育館で特設 ボーダレスアート展も感激した。     「北海道上川地域在住の作家によるアート展」を開催(主催:当麻かたるべの森 NPO法人Lapolapola)で、仲間たちとさをり織りをしていた時のことを思い出していた。
また、 日本財団canpan人気ブログ日本財団 山田泰久さんの「Shop人にやさしく」が共催し授産品見本市として、全国各地の授産品の展示販売会があり、北海道小麦使用で天然酵母のパンを購入し、本当においしくいただいた。



第2回 ゆうばり まちづくり フォーラムについて、本当に感謝しています。
第一に主催の「ゆうばりまちづくりフォーラム実行委員」の皆様 「ありがとうございます。」
さらに、年度末という時期の開催 大変忙しい中、講演者・パネラー皆様をはじめォーラムに参加の皆様には、夕張の地まで足を運んでいただきあり感謝しています。

これからの夕張がどう変わっていくのか。夕張に住んでいるものとして一歩一歩確実に歩んで行きたいと思います。
ゆうばり まちづくり フォーラム2[2009年03月29日(Sun)]
ゆうばり まちづくり フォーラム2が昨日、今日と開催されている。
サブタイトルに「求められるまちづくりの再考」である。

北海道の福祉を引っ張ってこられた元北海道医療大学教授の横井先生も来られていた。また、夕張の市議会議員の伝里氏、特別養護老人ホームの清光園鳴海園長や三島さん、清水沢学園の石井さんなどの面子が集まっていた。きのこ博士の安斉さんは、このフォーラムのスタッフとして朝から準備をしていたらしい。

私は、このゆうばり まちづくり フォーラムが、本当に日本の将来を見据えたフォーラムであると感じた。参加数はけっして多い人数ではないし、ましてや夕張市民は指折り数える人しか来ていない。氷山の一角のように小さなフォーラムであるがでも、実は水面下に大きな原動力があるのではないかと感じた。

フォーラムの内容ですが、

「夕張財政破綻から2年 夕張市からなにかを学ぼう」永森克志氏(医療財団法人夕張希望の杜 介護老人保険施設夕張施設長)ということで、永森先生の講演。


永森先生とは、以前から色々とご相談やまちの再生について意見を交わした関係もあり、「医療と福祉」によるまちづくりという共通の認識でいる。また、今回の講演では、ご自分が勤務していた長野県の佐久市にある佐久病院・若月先生の「地域医療:農村医療」や「メディコポリス構想」についてお話されていた。永森先生のお話であらためて地域医療の大切さとそれに従事する志の高い医師たち看護師たちによって地域が変わると言うことが納得できた。

次に、地域医療の先駆体験として
「富山県デイサービス方式から学ぶ地域共生ケアのノウハウ」 惣万佳代子氏(NPO法人このゆびとーまれ代表:富山県)の講演。

「このゆびとまれ」の理念が、「だれもが、地域で ともに暮らす」という。捕捉として「豊かな人間関係の中で人は育ち、喜びも大きい。一人ひとりが輝く」となっている。本当に私もそう思う。惣万さんは、とても物静かであるが秘めた情熱はとてつもなくパワーフル。そして、個々人の生活を大切にし、寄り添って支援する姿勢が伺われ、「非日常の生活より日常の生活」を重視と言う。「なに」が大切なのか、そのなにかを地域で支えていくことが 「ともに暮らすこと」につながっていくのだろう。
そして、元看護師であったことから、惣万さんらしいエールをもらった。それは、赤十字の理念で「あしたの100人より今の1人を救え。」こと。制度があって活動するのではなく、その町にニーズがあってあとから制度ができる。という。さらに、ケネディの言葉。「国が君たちのために何をしてくれるか、ではなく、君たちが国のために何ができるかだ。国民一人ひとりが何ができるか。きっとこの国はすみやすい国になる。という。
日本の福祉を模索し実践している先達に脱帽である。

そして、「北海道型地域共生ケアの可能性を探る」ということで、今回のフォーラム主催であるNPO法人当別町青少年活動センターゆうゆう24の基調及び実践報告がなされた。
講演者は、ゆうゆう代表の大原裕介氏。
当別町の「ごちゃまぜ福祉」と地域・住民の結びつき。
「住民の住民による住民のための福祉」と言う視線と「支援者と要支援者が一体化」できる仕組みづくりというミッション。まさに、これからの福祉モデルの実践。
講演の中で、12歳のボランティアの話があり、家族に「ボランティアするために遅くなる。」と話したようだ。その話を聞きうれしくなった。しょうがいのある人たちと交流する事が、ちょっと特別な感じとして受け入れがちであるが、最年少のボランティアの彼は、「あたりまえ」のようにさらりと言ってゆうゆうの事業を手伝っているのである。


そろそろ、ゆうばり まちづくり フォーラム二日目の時間である。

心から刺激を受けてこよう。

エピローグ その1[2009年03月27日(Fri)]
今は、退職前の消化有休と言うことで夕張にいます。

ブログをご覧の皆様
 福祉や医療に関心のある皆様
 GLAYのTERUさんがつなげてくれた皆様

ブログのリンクいただいている皆様
 
夕張の仲間たち
 手織り工房レラのメンバー
 カリーハウス朋のメンバー
 グリーンハウス(椎茸栽培)のメンバー
 パン工房めぐみのメンバー
 共立製作所(黒板消し)のメンバー
 ビスターリサポート(生活介護)のメンバー
 入所・通所の父母の皆さん
 退所していった仲間たち
 園のスタッフたち

月形の仲間たち

財政破綻の際にご協力いただいた多くの皆様

心の支えとなってくれた皆様

お世話になりました。


さぁ、重たかった第一歩を踏み出そう。「希望」に向かって。


このブログの立ち上げは、元日本財団にお勤めされていた黒澤司氏から夕張の情報を発信してみてはということで立ち上げたのです。「きのこの森へようこそ」や夕張社協「ありがとうの心」も同じ意図からであろうと思います。当時、夕張はどうなるのか、夕張市民がどうなるのか・・・・先の見えぬ不安がありました。
一人で悩んでいるより、みんなに情報を共有し、みんなが支えてくれていると言う思いの中で続けてきました。
また、GLAYのTERUさん・TAKUROさんのつながりで、夕張がどこにあるのか知らなかった皆様もブログをご覧いただき仲間たちの様子や私の思いなど知っていただきました。
本当に感謝しています。
320,096件の多くアクセスと2,731件のコメントがありました。
つたない文章といい加減な表現、幼稚で品格に欠くブロクでしたが、皆様にご覧いただいて本当に感謝です。

ただ、これで終わりではありません。
皆様には、続けてご覧いただきたいと思います。
オバマ大統領ではないのですが、「we can change」です。

私がどう変わっていくかをご覧いただきたいと思っています。
「夢」「希望」に向かってのchangeを炎

cinema nostalgia[2009年03月21日(Sat)]


金曜ロードショー テーマ曲"cinema nostalgia"(http://www.youtube.com/watch?v=hbtWuzBtbC8)
Cinema Nostalgia 「シネマ ノスタルジア」
 現在の金曜ロードショーのメインテーマ曲
 監督制作: 宮崎駿 (1997年4月- )
 作画・演出: 近藤喜文 作曲:久石 譲 



中途半端でいい加減な私のブロクを見ていただいた皆様に、感謝の気持ちを表したく何かプレゼントをしたいと思っていました。
このciema nostalgiaは、皆様もご存知の曲だと思います。ただ、誰が作曲したのか。テレビでは途中で映像が切れ、その後の旋律が聞きたいと思っていました。

是非、お聞きいただきたいと思っています。


ありがとう[2009年03月20日(Fri)]
今日 夕張はとっても太陽陽射しが強く、さらに周りの雪の反射でまぶしいキラキラめがね

先日 18日の水曜日午前中 月形の勤務は終わり、そして退職の時となる。月形の仲間たちに挨拶して玄関を出た。そして、車に乗り少し走りだし、思わず涙が流れてきた。28年間 知的な支援が必要な仲間たちと一緒に過ごしたことが走馬灯のように思い出されてきた。言い知れぬ感情。さびしいとかくやしいかという感情はてな、反対に「自分をほめてあげたい」と言うような満足した感情はてな。そして、落ち着いて心の動きを見つめてみたが、涙の正体は「感謝の気持ち」かもしれない。
「全てに感謝したい」と言う気持ち。今の自分が存在していることへの感謝が涙となったのかなぁ。
そして、・・・・・・

その感情は、28年前も一度味わっていた。

かもね。

昭和55年12月 福祉の仕事を志し夕張の施設に行くことになる。札幌からのバスで夕張に向かうが、車中 希望と不安が入り混じっていた。福祉系の学校に行っていな自分が「施設の利用者とうまくかかわりがもてるだろうか。」など色々と考えていたが、施設の玄関を入ったときから不安は拭い去られた。緊張している自分に、横に来てそっと手をつないでくれた利用者がいた。そして、「廊下を一緒に歩こうよ。」とジェスチャーでうながしてくれた。そして、多くの時間一緒に廊下を歩いた。その方は、しょうがいのために話す事ができない方であったが、すでに私の心を知っていた。
 「ありがたかった。」 
しょうがいのある方に対して、どう接すればよいかわからなかった自分が、しょうがいのある彼たちから文字通り「手」を差し伸べ接してくれたのである。

しょうがいのある仲間たちと初めて接した感情と、そして今の感情が同じであることに驚きを感じている。
社会的な見方では、福祉の仕事をしてきたことは何だか高い視線で見られがちであるが、実は、本当に支えてもらったのは自分のように感じて成らない。
「人」の「為」と書いて、「偽り=いつわり」と言う字となる。「しょうがい者(人)の為に仕事をしたい。」という高慢な考え方であったことに、今 恥じ入るばかり。
そして、夕張の仲間たちが私の人格をつくってくれた。

みんな、ありがとうね。
「ありのままが いんだよ。」とさとしてくれたね。
ときには、めをつりあげてケンカもしたね。
ときには、だれかのおおきなオナラでいつまでもわらっていたね。
さびしいとき、かなしいときは、よりそっていっしょにないたね。
りょこうにもでかけ、たくさんのおもいでができたね。
いっしょにかいものにいき、いっぱいかいすぎたね。

おふろでは、おんせんだといっていっしょにはいったね。
しょくじでは、おたがいにすききらいしないでたべようねっていいあったね。
つういんでしんさつがおわったのジュースはおいしそうにのんでいたね。

ほんとうにしごとがんばったね。
こころをこめてつくったシイタケおいしいね。
まいあさ、がんばってつくったパンもおいしかったね。
じっくりにこんだカレーもおいしかった。
こまかなしごとのこくばんけしづくりは、ていねいにつくったね。
みんなそれぞれのこせいのあるさをりおり、とってもすばらしかった。
さぎょうにさんかできなかったなかまたち、からだをきたえるっていって、いっぱいさんぽしたね。

いっぱいの「きどあいらく」、いっぱいの「いっしょけんめい」、いっぱいの「かんしゃ」が、いしだのいきたあかしとたから。
きっと、きっと、つぎにつなげたいなぁ。
そして、そして、つなげるつもり。

いま おもうことやかんじれること、「スベテノモノニカンシャ」です。
勉強するぞ[2009年03月13日(Fri)]
キラキラお知らせですキラキラ
「ゆうばりまちづくりフォーラム」が開催されます。

開催内容は「Shop人にやさしく」から


平成21年3月28日(土)
12:30 受付・開場
13:30〜14:45 講 演
「夕張財政破綻から2年 夕張市から学ぶこと」
永森克志氏(医療財団法人夕張希望の杜 介護老人保険施設夕張施設長)
15:00〜16:30 講 演
「富山県デイサービス方式から学ぶ地域共生ケアのノウハウ」 
惣万佳代子氏(NPO法人このゆびとーまれ代表:富山県)
16:45〜18:00 シンポジウム
「北海道型地域共生ケアの可能性を探る」
*北海道内地域共生ケア実践者及び共生型基盤整備事業採択団体シンポジストは現在調整中
18:15〜20:00 夕食休憩

20:00〜22:00 講演
いま求められる 福祉とのコラボレーション
〜発達障がい者への支援からのまちづくり〜
河内崇典氏(NPO法人 み・らいず:大阪府)
22:00〜endless 交流会

平成21年3月29日(日)
10:00〜11:00
「おいしいもの展@しょうがいのある人たちju-sun products」の取り組み
〜授産商品のマーケットネットワーク構想〜
            堀江まゆみ氏(NPO法人PandA-J副代表 白梅学園短期大学教授)
            小田 泰久氏(NPO法人楽笑:愛知県)
11:10〜12:40 講演
シンポジウム
「社会福祉協議会が創るまちづくり
坂本大輔氏(登別市社会福祉協議会)
菅野義則氏(夕張市社会福祉協議会)
小国柑奈氏(当別町社会福祉協議会)
成田哲也氏(新ひだか町社会福祉協議会)
コーディネーター 馬川友和氏(北海道ボランティアコーディネーター協会)


プラス ボーダレスアート展
     北海道上川地域在住の作家によるアート展を開催
     主催:当麻かたるべの森 NPO法人Lapolapola


プラス Shop人にやさしく 授産品見本市
     日本財団canpan人気ブログ日本財団 山田泰久さんの「Shop人にやさしく」との
      共催により全国各地の授産品の展示販売会


このように、夕張に対してご支援いただき本当に感謝です。
そして、色々と勉強させていただきたいと思っています。



スベテノモノニカンシャ[2009年03月08日(Sun)]
今日の夕張は朝から快晴。

良い時間を過ごさせてもらいました。

午後からスキーとシールを使い、裏山の冷水林道を登ってきました。





スキー     : 昔のフィシャー製スキー
ビンディング  : 昔のジルブレッタ製
シール     : 先達のプレゼントのアザラシシール
ポール     : シュナード製(現ブラックダイヤモンド)
ブーツ     : ノルディカ製 スキー兼用靴

去年の秋以来の雰囲気キラキラ


高度を上げていくうちに・・・・・すっきりとした汗が流れています。

山から大空に向かい全世界に感謝のオーラを流しました。
「スベテノモノニ カンシャ」と・・・・・・・拍手

新しい、第一歩を踏み出します。[2009年03月03日(Tue)]
新しい、第一歩を踏み出します。

このたび、私は社会福祉法人雪の聖母園を退職することを決心しました。
そして、社会福祉法人からも受理していただきました。

一年半の間、法人本部のある月形に夕張から通ってきましたが、色々と考えあわせ決心いたしました。
雇用問題が取りざたされている中、退職することは不安がないわけではありませんが、家内・子供たちもこの退職について理解してもらい承諾してもらいました。


夕張に昭和55年12月に来て以来、知的なしょうがいを持った仲間たちと一緒に生活をしてきました。その間、北炭新鉱の爆発や三菱大夕張炭鉱の閉山など社会的な大きな出来事も出会いました。そして、炭鉱離職者の受け皿を「観光」という産業に移り変わりましたが、3年前に夕張市が財政破綻し多くの市民、そして友人たちがこの夕張から去っていきました。社会の大きな変革の中にあっても、約30年の間 夕張の仲間たちと一緒に過ごしたこと、この貴重な体験は私の宝物であります。私を成長させてくれたのは、実は夕張の仲間たちです。私の先生と言っても過言ではありません。
知的なしょうがいがあるから支援・援助しなければならないというのは反対で、「人間として未形成なおまえさんがフラフラしないように付き合っているんだ。」ということの方が正しいと思います。

さて、「これからどうするの。」と尋ねられたら本当に返答に困ってしまう。
でも、「私と夕張」は、何か強い結びつきがあるようです。

今後「夕張の知的な支援を必要とする仲間たち」は、3月末で終了を考えております。「続編」のブログを今思案中です。

プロフィール

石田 隆二さんの画像
石田 隆二
プロフィール
ブログ
リンク集
月別アーカイブ
最新トラックバック
https://blog.canpan.info/yubarinonakama/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/yubarinonakama/index2_0.xml