写真は、朝日新聞社の提供です
【ゆうばりフォーラムの続きです】
ゆうばりまちづくりフォーラムが終了し、あらためてフォーラムの「障がい者芸術を語る」をお伝えします。
「障がい者芸術活動を語る」 石田 隆二
テーマ
「気付けば『レラ アート』これからも『レラ アート』何でもかんでも『レラ アート』」
続き
(2)アートが好きなスタッフと手織り工房「レラ」の仲間たちで勝手に「レラ アート」
さをり織りを清水沢学園に仲間たちの活動に取り入れて、約20年が過ぎようとしています。実は、この20年間のさをり織りに対する、考え方も紆余曲折ながら現在に至っています。さをり織りで作られた製品は、多くはマフラーやストール、さらに小物のきんちゃく・ティッシュケースなどであり、趣味の領域のものが多く、生産性を重視した活動ではないのです。
さをり織りの活動を継続していく事は、作られた反物が残っていくという事で、多くの在庫を残したまま売れない反物だけ増えていくという現象(売れないものを作る)となりました。
(注 北海道でも、当時さをり織りの活動をしている施設も多くありましたが、当園と同様 反物が残り活動を中止せざるを得ない状況で、現在は道内6ヵ所しか活動していない状況です。)
また、そのような中、千歳から夕張の清水沢学園に通って来られた仲間がいました。千歳から、お母さんが毎朝車で送ってこられ、また、活動が終了する時間に合わせ夕張に来るのです。(大変な送迎です。)その男性の仲間は、とても優しい性格なのですが、
プラウダーウィリー症という病気のため突発的なかんしゃくがあり、女性のスタッフでは止められない行動が見られ、男である私がさをり織りの活動に参加することになったのです。
(本来、私も絵を観たり、歴史的な工芸品や建物・仏像など観るのが好きでしたので、さをり織りの魅力に取り付かれるのに時間を要しませんでした。自分でもすぐにさをりのマフラーを作って楽しんでいました。)
売れ残ったり、加工できなかった昔の反物を、あらためて観て色合いも良く、風情のある力作品ばかりで、本当に驚きましたが、どうしたらこの反物を観せられるのか、悩んだ末に額装することを思い立ったのです。それと、夕張美術館への仲間たちの作品展を考え出したのです。
当時、レラの担当者スタッフの野中さんで、あまり、難しい事は考えず、何でもレラアートとして表現して行こうという雰囲気の中「自分たちが気に入った作品を展示しよう。」と、夜遅くまで仲間たちの作品について検討をして準備しました。