私が、登山と言うものに興味を抱き始めたのが小学校高学年。
当時、周りの環境がそのようにさせたのであろう。
叔父が、十勝岳の岩場で遊んでいたり、すぐ上の姉が高校時代山岳部に所属して楽しんでいたのを思い出す。
夕張に就職が決まり、夕張岳という山があるのを知る。
そして、地元夕張の山岳会に入会し色々な山・それぞれの季節を楽しむのが、この上なく至福の時であった。
休日は、ほとんど山に出かけていった。
家族そろっての正月も、私の場合 山に仲間と繰り出し遊んでいたことを思い出し、今となっては家族に申し訳なく思っている。それほどの山キチであった。
前回 「セブン イヤーズ イン チベット」を見て刺激を受けたらしい。
それは、登山道具の「ピッケル」という存在。
ピッケルは、冬山の登山・縦走用などに使用する事が多い。
氷壁用に、ピッケルと同じような「アイスバイル」というものがある。
似ているようだが、用途によって使い分けて使用する。昔 「山屋の魂」といわれてきたものである。
今は、ほとんどがジュラルミンかチタンのピッケルが主流である。
私の持っているフランス製のラプラード デメゾンピッケル。
今は亡き当山岳会の大先輩の長澤さんという方がいた。
北海道大学出身で夕張の北炭に勤め、学生時代ホッケー部に所属していたこともあり、小さいながらも鍛えられた身体で、我々後輩たちの指導に当たっていた。
ある飲み屋で、ピッケル談義が始まった。
長澤氏曰く、「ウッドシャフトの山内ピッケルというものを知っているか。」
私、「聞いた事はありますが、ウッドシャフトのピッケルは他にもあるじゃないですか。他のと比べてどう違うのですか。そして、先輩 今は金属シャフトのピッケルが主流です。古いかもしれません。」
長澤氏、「山内さんという職人が、丁寧に作って妥協を許さないものづくりをした人で、有名になり注文が多くなっても裕福な暮らしが出来なかった職人の一人なんだ。単なる道具としてのピッケルもあるが、自分の限界・・・・山と向き合う人たちが真剣に使う道具のピッケルとは違う。」
と言われ、目からウロコであった。
そのような事から、長澤氏が大切に管理保管していた山内ピッケルを使う機会をいただく。
この写真は、お借りした年か次の年の5月、一人で登って来たもの。
長澤氏は、1969年5月 単独で芦別岳縦走を成功。(写真バックの山が芦別岳)
長澤氏と 2131 これからも若輩ものを見守ってくださいね。
ありがとうございます。